定価葛

■ ■ ■

「ねえ、」

 ――どうして殺されないって思ったの?

 真っ直ぐ伸びた人差し指をその爛れた首にあてがう。捲れることなんて気にしない短いスカート。ギシリと鳴る金属特有の音。とても清潔とは言えないソファに横になっていた彼の腹に馬乗りになる。指に力を込めてみても、男はまったく微動だにせずに私の目の奥を覗き込んでいた。

 ◇

“個性”が発現してからの十数年間。得になることはなかった。小学生の頃、暴走してしまった私の“個性”で友人を失い、日に日に増す“個性”の威力は私をも怖がらせた。
 だから私は、雄英高校を受験した。もしかしたら、雄英に来たら、何か変わるのかもしれない。自身の“個性”と上手に付き合えるようになるのかもしれない。もしかしたら、ヒーローになれるのかもしれない、と。
 雄英高校には運良く合格した。しかもヒーロー科だ。両親も泣いて喜んでくれた。色々な“個性”を持った同級生。ここなら、上手くやっていける。そう思った。
 でも、現実はそんなに甘くなかった。
 体育祭。勝ちたいという思いで放ったそれは、あと少しで相手の手首を切り落としてしまうところだった。
 合宿。爆豪くんのこと、守れなかった。何もできなかった。そして敵も、私を引き入れようとした。体育祭は全国中継だ。私の“個性”を見たのだろう。
 その後も、何度か継ぎ接ぎだらけのあの男からの敵連合への勧誘が続いた。でも、私はヒーローになりたくて、その一心で断り続けた。
 必殺技を授業で考えた。やはり私が考えられるのは、人に危害を与えるような技ばかり。あのとき、緑谷のアドバイスに耳を貸していれば、私は今と違う道を進んでいたのかもしれない。皆の心配をよそに、私はすべて一人で抱え込んでいた。

 街を歩いていると、何度か聞いたあの声に出会った。きっとまた勧誘。今回も断ろうとした。けど。
『俺はお前の“個性”を必要としてる』
 今思えば、安い言葉。でも、あのときの私にとってはこれ以上ないくらい嬉しかった。私を必要としてくれてる人がいる。それだけで。

 私は、男――荼毘の手をとった。

 ◇

 そんな彼はまさに今、私に殺されようとしている。今“個性”を使ってしまえば、彼の首は身体とおさらばだろう。
 落ちた邪魔な髪を耳にかければ、私は口角を少しばかり吊り上げた。

「だって私……雄英高校ヒーロー科の生徒だよ? ヒーローを志しているの。いくら敵連合に入ったからとは言え、いつあなたたち敵を裏切るかわからない」

 さらに指に力を込めると、荼毘は私を笑った。

「はっ。アンタが、俺を殺す? できるわけないだろ」

 そう言いつつ、私の手を掴む動作すらしない。“個性”を使う素振りもない。止める気がないのかしら。

「『お前の“個性”は人を殺せる』。そう言ったのはあなただよ、荼毘」

 私の言葉を聞いた荼毘は、喉を鳴らして笑った。

「そうだな、確かにお前の“個性”は人を、俺を殺せる」

 彼もまた、口角を吊り上げる。自身の首にあてがわれていた手を腕ごと離した。

「けど、――お前は俺を殺さない」

 刹那。
 男の両手が、私の首へと伸びる。喉元を絞められれば、苦しくて声が漏れた。

「お前も、どうして俺がお前を殺さないって思った?」

 喘ぎながら、荼毘の腕を掴めば、首を絞める手がわずかばかり緩んだ。数回咳き込んだ後、言葉を続ける。

「荼毘も、いつでも私を殺せる。けど――、」

 ――荼毘は私を殺さない。

 彼に言われた言葉をそのまま返せば、荼毘は小さくため息をついた。私の首を捕らえていた火傷だらけの腕はゆっくりと離れ、私の腰に回された。

「馬鹿な女だな、名前」

 そのまま彼の胸へと引き寄せられれば、ソファのスプリングの軋む音が残った。


2022.4.30