ミルクティーに彩る

■ ■ ■

「苗字さんの好きな人いい加減教えてよ」

 クラスメイトの女の子三人が机に身を乗り出して聞いてくるものだから、つい返答に窮する。ここ一週間、二週間ほどずっとこの調子だ。どうやら私はわかりやすいらしく、恋をしていることがあっという間にばれてしまった。

「好きな人……なんて、いないって」
「嘘はいいの! 苗字さん、わかりやすいんだから」

 机をばん! と叩くと、それにまた驚いて肩が小さく跳ねてしまう。前の席の男の子も驚いて小さく声を出していたので、クラスメイトは軽く「ごめんごめん」と言ってから再度私の方を向き直した。早くチャイム鳴らないかな、と思って自身の腕時計を確認するも、まだ五分以上ある。秒針が進むのが酷く遅い。遅く感じる。
 私の好きな人を言ってしまえば、毎日のこの無駄な緊張の時間もなくなって、クラスメイトにも応援してもらえるかもしれない。けれど私が好きになった彼はそもそも学科が違う。それ以上に、普通科からあまり良い印象を抱かれていない彼の名前を出したところで、応援してもらえるかと言えば微妙なのだから。
 未だ諦めないクラスメイト三人の声を、もう受け付けません、とでも言うように顔を突っ伏した。

 ◆

 私が彼を好きになったのは、入学して間もない頃だった。
 私たち普通科にとってはあまり詳しくないうえ、彼が本当にこの学校にいるのかも疑わしいオールマイトについてのインタビューで連日マスコミが押し寄せていたのだ。ヒーロー科の人たちは質問攻めにされているようで大変だな、なんて思っていたのだけれど、他人事のように思っている場合ではなかった。何せ体育祭もまだ開催されていないその時期には誰がヒーロー科か、誰が普通科か。そのように判断する根拠はないのだから。

「オールマイトが雄英で教師をしているということで、彼の様子や動きについてぜひ教えてください!」
「いや……えっと、詳しくなくて」
「勿体ぶらないで! どんな些細なことでも構わないので!」
「え、……えっと…………」

 昔からティッシュや塾の勧誘のチラシを配っているのを断れないくらいなので、こういうのを無視して直進、なんてことはとてもできるはずがない。助けを求めようとまわりを見ても、運が悪いことに知り合いなんて一人も通っていなかった。押しに弱いと見たのか、マスコミの女性は私にマイクを向け続け、次々に質問をしてくる。他にもカメラやら何やらに圧倒されて、思わず後ずさってしまうと、何かに軽く当たった。なんだろう、そう思って振り向いて少し見上げると、彼がいた。
 お世辞にも良いとは言えない目つきに、赤い瞳。つんつんとした薄い色素の髪。私が今朝飲んできたミルクティーみたいな、そんな色の。可愛い色だな、と思ったけれど、そんなことは違う思いによってすぐさま蝕まれてしまう。

「……」
「あ、あの、……」

 ごめんなさい。一番に脳内を支配してきた言葉だ。だって、怖い顔をしていたから。もしかすると殴られるんじゃないか、なんて思っていたけれど。……あれ、この人って確か――

「君『ヘドロ』の! 今日こそ詳しく話を――」
「やめろっつってんだろ」

 やっぱりそう。見覚えがあると思った。彼ははっきりと拒絶の言葉を発するや否や、マスコミの人たちを掻き分けようとするけれど、何十人の壁を突破するのは至難の技なのか、少し進んだと思えば彼はまた押し返されて来た。なんて迷惑な人たちなのだろう。本当に大人なのかな。けれどまあ、彼に人が集まってくれたおかげで私を取り巻いていた人たちはあっという間に消えた。あの人には悪いけれど、今がチャンスだ。
 そう思って歩き出せば、マスコミの人たちに少し押された彼の背中にぶつかった。

「あ?」
「あっ、その、ごめんなさ」

 震えた声で謝罪の言葉を言い切る前に、彼は舌打ちをしてから私の腕を引いて強行突破。制止の声がかかる中で私たちは無事に校門の中へ入ることができて、体力のない私は少しだけ、息を切らした。もしかすると、緊張や安堵によるものなのかもしれない。そんな私を引っ張った彼はと言えば、流石はヒーロー科と言うところか。少しも息を乱していない。
 助けてくれたっていう認識でいいのかな。顔は少し怖いけれど、もしそうなら人は見た目で判断してはいけないな。
 校門の外に見向きもせずに私に背中を向けて歩き出してしまった彼。そうだ、お礼を言わないと。さっきのは都合のいい私の理想というだけで、もしかすると彼は怖い人かもしれない。そんな考えを捨てきれずに、でもお礼を言わなくちゃ、そう思って口を開いた。

「あ、あの……ありがとう」

 第一声が裏返ってしまったのは恥ずかしいし、震える声も相変わらず情けない。地面に伸びている自身の影を見ながらお礼を言ったもので、彼がどういう反応をしているのかわからないまま数秒。もしかすると聞こえなかったのかな、それともなんだコイツ、なんて思われているのかな。考え始めると耳まで熱くなったり、変な汗まで出てきたりした。この間に彼はもう校舎に入っているかもしれない。
 こわごわと顔を上げると、ポケットに手を入れて歩いていたはずの彼は足を止めて、こちらを振り向いていた。

「ん」

 それだけ言って、スクールバッグを持ち直すとまた、歩き出した。
 どういたしまして。気をつけろ。そんな言葉ではなかったけれど、私にはその一言、一音、それだけで十分だった。その日から私は彼のことが頭から離れなかった。高校生にもなってなお、優しくて王子様みたいな人が理想だ、なんて言っていた私はまんまと目つきも態度も正反対の彼に一瞬にして恋をしてしまったようだった。

 後に彼は爆豪勝己くんというヒーロー科の入試のトップで、ヒーロー科以外からは悪い印象ばかり抱かれているのだと知ることになるのだけれど。

 ◆

 爆豪くんは体育祭でも大活躍をして、表彰台の一番上に上がって、それだけでますます手の届かない人になってしまった。私は予選で敗退だと言うのに。クラスの何人かは体育祭前に視察……と言うより宣戦布告でA組にお世話になったらしく、私も行っておけば彼の姿を一目見ることができたのかもしれない。今更済んだことを後悔しても仕方ないのだけれど。

「爆豪って奴マジないわ〜」
「なんであんな奴がヒーロー科なん?」

 体育祭が終わったあとも、クラスメイトが口々にA組や爆豪くんに対しての不満を漏らす。確かに彼は口も悪いし態度もアレだけど、決して悪い人じゃないと思う。フィルターがかかってしまっているだけかもしれないけれど、彼は私を助けてくれたもの。けれど、もしかすると邪魔だっただけなのかもしれない、なんて一人落ち込んでしまったりするのだけれど。

「てかあの目つきとか顔でヒーロー科はありえんわ」
「それ。あれじゃ女子にモテないよ」

 そんなことないよ。事実、ここにそんな爆豪くんに恋してしまった女子が一人いるのだから。それに、爆豪くんはあのおかしいくらいつり上がった目で誤解されがちだし、気づく人がいないだけで顔立ちはすごく整っている方だ。思い返せば初めて会ったときも冷静な表情はかっこよかったし。なんて、保存された爆豪くんの写真を眺めながら考える。決して隠し撮りじゃない。ネットにアップされていたものを保存しただけだ。決して、変な人じゃない。

「――ねえ、苗字さんもそう思わない?」
「……えっ? 何が?」
「爆豪ってモテなそうだよねーって話」

 声をかけられてすぐさまスマホを裏返しにする。皆とは考えが別なのか、私は彼のあの意外と冷静なところとか、器用なところとか、整った顔立ちとか。そういうところが逆に人気になりそうで心配なのだけれど。

「んー……わかんないや」
「えー、そっか」

 私の濁した返答を聞くと、残念と言ったように、でももう興味がなさそうに話の続きをする。私は溜息を一つ零して、何も書かれていない黒板に視線を移した。
 私は普通科で、彼はヒーロー科。私の“個性”じゃとてもヒーローには不向きで、でももし私が普通科じゃなくてヒーロー科なら、彼ともっと近づけたかもしれないのに。でも結果に“もし”なんて存在しないのだから、今更考えたところで仕方ない。もう一度会いたいし、話したい。ならせめてヒーロー科に友達を――

「……これだ」
「え?」

 小さく呟いた言葉に言及されつつも、いつものように訂正するほどまわりが見えているわけではない。私はヒーロー科に友達を作って、それを口実に爆豪くんと話す。たった今思いついた、そんな作戦を決行することにした。

 ◇

 そうは言ってもどうやってヒーロー科の人とお近づきになればいいんだろう。もし爆豪くんと食堂でばったり会うことができればそんな必要はないのだけれど、私の見立てでは彼はお弁当派らしい。食堂で見かけたことがないもの。
 そんな私は、購買部の自販機の前に立って、炭酸飲料を眺める。コーラにするか、サイダーにするかと迷っているところだ。お昼前の今、しゅわしゅわしたさで財布を持って購買まで走って来てしまった。早く食堂に行かなきゃ席が埋まるな、なんて思いつつ自販機の前で小銭を片手に立ち止まっている。こんなに悩むのならいっそのことカルピスソーダにしてしまおうか。

「そうしよ……」

 ぽつりと呟いてから小銭を入れ、カルピスソーダの下のボタンを押す。でもそれは出てこなくて。何度も何度も押してみるけれど、本来緑のはずのランプの色は赤色だった。なんならコーラもサイダーも。残念に思って返却レバーを下げると、ちゃりんと音を立てて五枚の小銭が出てくる。

「ついてないなあ……」

 小銭を財布に入れ、またしても溜息をつく。仕方がないから食堂に行こう。自販機に背を向けて歩き出せば、後ろから誰かに肩を叩かれた。急なことに驚いて、恐る恐る振り返ると、金髪の男の子がいた。

「カルピスソーダ。いる?」
「えっ、と……」
「なんか俺ので最後だったみたいでさ、よっぽど欲しそうだったからどうかなーって。まだ飲んでねーからさ! な!」

 確か彼は、ヒーロー科……というより、爆豪くんと同じA組の上鳴くん。体育祭で塩崎さんに瞬殺されていたような。そんな上鳴くんにまだ水滴のついた冷たいペットボトルを差し出されれば、下を向いたまま、ありがたくそれを受け取った。

「ありが、とう」
「どーいたしまして!」

 こんなところでヒーロー科の人と出会えるなんて逆についているのかもしれない。でも、欲を言うなら女の子が良かった。男の子相手だと、何を話せばいいのかわからなくて。私にペットボトルを渡した彼はその場から立ち去らずに私を見ていたので、なんだろうと思って少し考え込む。あっ、お金だ。私は財布から再度小銭を取り出して、彼に握らせようとするも、「そうじゃなくて」と言われ、そのまま言葉を続けた。

「可愛いなーって思って。どう? お礼の代わりっつってもあれだけど、今から一緒に昼食べね?」
「えっ……あ、じゃあ、ぜひ」
「いや、強制じゃねぇからもし嫌なら断っても全然」
「ううん、嬉しいから、……一緒に、食べて」

 クラスで固定のメンバーがいないものだから、こうして誘ってもらえるのはありがたい。それにしても、今までどうやって友達って作ってたっけ。今こそヒーロー科の彼と友達になれる絶好の機会なのに、こんなに挙動不審で申し訳ないったら。
 様子を伺うように俯いていた顔を少し上げると、上鳴くんは笑顔で私の手を引いて食堂へと連れて行った。

 ◇

 各々食べたいものをトレーに乗せて、向かい合って席に着く。男の子と食べたことはないし、何を話せばいいのかはわからないから、彼のコミュ力にすべて任せることにしてサラダを口に運んだ。

「普通科の子だよな、名前なんて言うの?」
「わ、えっと、苗字名前、です」
「おっけ、名前ちゃんね」

 初対面で名前呼びだなんて、見た目同様チャラいみたいだ。そんなこと、お昼ご飯に誘う時点でわかっていたことなのだけれど。聞かれたことに対して答えるだけ、なんていうつまらない人間の私に、彼は質問を止めない。何組か、とか、どこの出身か、とか。そんなことを知って意味があるんだろうか。そしてご飯を食べ終わった頃には連絡先の交換だ。上鳴くんは、今までにこうして何人の女の子の連絡先を入手してきたのだろう。

「じゃ、また機会あったら食べようぜ! なんかあったらいつでもA組おいで」
「あ、ま、待って」

 質問攻めに遭っていたせいで私からの質問は何もできていない。クラスまで送ってくれた彼はA組に戻ろうとしたけれど、声で引き止める。不思議そうな顔をしてこちらを見てくる上鳴くん。ごめんなさい、何も聞くこと決まってない。えっと、えっと、

「……ば、爆豪くんってどんな人ですか」
「え、爆豪?」
「……あっ、……」

 完全にやってしまった。また今度、とか、楽しかった、とかじゃ会話が終わってしまう気がしたから何か違うことを言おうとすればこの有様だ。大失敗。こんなの爆豪くんのことが好きだって暴露してしまったようなものだ。顔だけじゃなくて、身体中、なんなら脳にまで熱が集まって沸騰してしまいそうな私に、数歩先にいた上鳴くんは足もとに視線を送っていた私の顔を覗き込んだ。

「……へえ、名前ちゃんって爆豪のことす」
「ちょ、す、ストップ!」

 今日一番大きい声が廊下に響き渡るとますます顔が熱くなって、私の顔を覗き込んで来た上鳴くんの顔と、おそらく赤くなっている私の顔。どちらも隠すように両手を突き出せば、上鳴くんは数歩後退した。手の隙間から見える金髪の彼は、考える素振りを一度見せてから、一人頷いて何か納得した様子だった。

「なるほど、だから俺の誘い素直に受けてくれたわけだ」
「う、……それだけじゃない、けど……」
「かわい。了解、今日放課後メッセ送るな」
「えっ、……あ、ありがと?」
「ん! じゃあまたあとでな!」

 彼はひらひらと手を振ると、A組の方へと帰ってしまった。力の抜けた私は壁に思わず寄りかかってしまい、このあとクラスメイトの子たちに上鳴くんとの関係について酷く質問攻めにされることになるのだった。そんな私はと言えば、爆豪くんへの思いがばれてしまった恥ずかしさでそれどころじゃなかったのだけれど。

 ◇

『名前ちゃん!』
『よろしく!』

 家に帰るとスマホに二通のメッセージが届いていた。名前を見なくとも上鳴くんだとわかる。そうか、ヒーロー科は今授業が終わったんだ。毎日七限だなんて、しんどいし大変そう。

『よろしくね』
『授業お疲れ様』

 たたた、とキーボードの音を鳴らしながら文字を打ち、返信をすると、すぐに既読がつく。それから二分、三分、返信がなかったので一旦会話は終わりかな、と思っていると、一つの画像が添付されてきた。なんだろう、と思って開くと、授業中の盗撮と思しき爆豪くんの写真、で……。

『ど? 今日盗撮してみた』
『ば』
『や』

 慌ててしまった私は、よくわからない一文字を二回に分けて返信してしまう形となる。それに対して『おもろ笑』と返ってきたので、きっと上鳴くんは笑っているのだろう。それにしても、かっこいい。私の幻覚かもしれないけれど、画面越しの静止画だというのに思わず見惚れてしまう。この真面目な表情がなんとも。無言で保存をすると、トーク画面へと戻った。

『あの』
『A組行ってもいい?』
『明日』

 これでもし断られたらどうしよう。でも、さすがに断らないよね。でもどこか不安で、トーク画面から目を離さなかった。
 もちろんそれは杞憂で、上鳴くんからスタンプが送られてきた。変なクマが手招きしているスタンプだったから、了承と受け取って私もスタンプを送り返した。

 ◇

 翌日、私は昼休みになるや否や教室を出てA組へと向かう。まわりからは「上鳴んとこ?」「お熱いね〜!」なんてからかわれたりして、私は「違うよ!」と言いながら教室を出たのだけれど。
 
「はあ……」

 私がまたしても溜息をついているのは、A組の教室の前である。相変わらず大きすぎる扉を前にして、教室の窓から見えないように上手く隠れては立ちすくんでいるのである。心臓がうるさい。廊下に人が少なくて良かった。もし人がいたら、聞こえてるんじゃないかってくらいドキドキがうるさいのだ。
 けれどせっかく来て引き返す、なんていうわけにはいかない。やるときにはやる女なので、私は思い切ってドアに手をかけた。

「よし……!」

 ガラッと音を立てて扉を開けると遠くで見ていたヒーロー科の面々がいた。しかも、ほとんどがこちらを向いていた。そりゃ、普通科の生徒が何の用だっていう話だけれど、し、視線が痛い。助けて。A組の知り合い、というよりヒーロー科に知り合いなんて、上鳴くんくらいだし。もっと私にコミュニケーション能力が備わっていれば、「爆豪くんいる!?」なんて言ってズカズカと教室の中へと入っていけたのだろうか。
 俯いたまま、つま先で地面を軽く叩いてみたりして。誰か……というより、上鳴くん、出てこないかな。自分から行かなくちゃいけないのは、わかっているんだけど――

「お! 名前ちゃん!」
「上鳴知り合い?」
「ん、ちょっとな!」

 未だ俯いたままの私の視界に、私のものよりひと回り大きな上履きが映りこんだ。おそらく上鳴くんなのだろうけれど。ごめんなさい、皆の視線が痛くて、あなたの顔、見れないです。手をドアにかけたままの私の肩をぽんぽん、と軽く叩かれたことによって、ようやく上を向く決心がついた。

「か、上鳴くん、」
「爆豪ならあそこに……」
「ちょっ、ば、……こっち来て!」

 無意識なのか、意識的になのか、爆豪くんの名前を出した上鳴くんに対してこれはまずいと思った私は了承の言葉を聞く前に彼の腕を引いて廊下の端の方へと連れて行った。芦戸さんや峰田くんはなんだなんだと廊下を覗き込もうとしていたけれど、八百万さんと飯田くんによって止められていた。


「……かみ、なりくん、……まさか誰かに言ってないよね」
「え、何を?」
「私が、ば、爆豪くんのこと……す、…………って、」
「言ってねーって! 俺しか知らねえよ」

 その言葉を聞いて安堵の息をついた。足の力が抜けて崩れ落ちそうだったけれど、崩れ落ちている場合ではないので必死に耐えた。必死に。それにしても、A組に行ったって私は上鳴くん以外に話せる人がいないし、どうやって爆豪くんに認知してもらえばいいのだろうか。変わらず下を向いていると、上鳴くんは「なんとかなるっしょ!」なんてもはや投げやりなことを言ってきた。私のコミュ力ではどうにもならないのが現実だ。
 けれどまあ、爆豪くんにいきなり話しかけに行ってしまうと狙っているのがバレバレだし、皆の前で拒絶されるのは避けたい。そんなの、一生立ち直れないかもしれない。とりあえず、女の子たちとお話してみようかな。そう言うと、上鳴くんは親指を立てた。

 A組に戻ると、幸いなのかどうなのか、爆豪くんは席を外していた。他にも数人、お昼ご飯の時間だから食堂に行っているのだろうか。先程よりも人が少ない。私もお昼食べなきゃ、だけど、それより今日はA組の人たちと仲良くなりたいから、あとで食べよう。
 上鳴くんが食堂に行ったのは仕方ないけれど、今は人が少ないしなんとか……。

「ねえ、さっき上鳴と話してたでしょ?」
「えっ、あ、……うん」
「どういう知り合いなわけ? あ、ウチ耳郎響香ね」
「あ、苗字名前、です」

 あちらが名乗らなくても、このクラスの人のことはよく知っている。皆体育祭で活躍していて、名前を聞いたことがない方がおかしいもの。上鳴くんとは昨日知り合った、と言えば、「アイツってナンパ成功するんだ……」なんて顔を顰めていたので、そんな関係ではないと訂正をした。

「A組に何かご用があったのでは?」
「あ、……そう、えっと、」

 八百万さんにそう言われて、彼女たちと友達になりたい、ということを思い出す。けれど、友達の作り方なんてまるでわからなくて。またしても下を向いたまま。上を向いて話ができたのなんて、数える程しかない。でも、せっかくの機会だし、爆豪くんとお話できるチャンスかもしれないし。小さく深呼吸すれば、彼女たちの方を向いた。今思えば、こんな方法で仲良くなれたのが不思議なのだけれど。A組の皆が親切だった故、かな。

「わ、私と、……友達になってください……」

 私の尻すぼみになっていった声に、二人は笑顔で頷いてくれた。

 ◇

 それからというものの、A組の女の子全員と話せるようになって、お昼も一緒に食べるようになって。クラスメイトとの関係も良好になってきた。でも、爆豪くんとはまだ一度も話したことがなくて。すれ違ったときに意外にも、彼は甘い香りがするのだとわかった。でも、それしか知らない。彼と近づくのが目的だったのに、距離感はまるで変わらないのだ。毎日、上鳴くんにいつしかもらった写真を眺めるだけ。
 今日こそは、今日こそは、と思ってクラスに向かえど、毎日得られる結果は同じ。爆豪くん、もしかすると、……もしかしなくても、私のことなんて知らないのかもしれないし。それにしても、これだけ目標が達成できなくとも爆豪くんのことを好きな気持ちが一ミリもなくなっていないのは不思議だ。恋は盲目、なんて言うけれど。

 数週間A組に通い、今日もその教室へと向かっているところである。今日こそは、爆豪くんと話をしたい。そう意気込んで教室の扉を開けたけれど、爆豪くんは見当たらなかった。

「あれ?」

 いつもならこの時間にいるから、お手洗いにでも言っているのかな。少し待っていよう、と思って壁にもたれかかっていると、そんなミルクティー色をした彼が私の前を通って、私の前で立ち止まって、訝しげな表情をする。

「……ぁ」
「アイツならさっき出てった」
「……え、」
「あのアホ面待っとんだろ」

 青いハンカチで手を拭いながらそう言うと、律儀にそれを畳んでポケットに入れる。初めて話しかけられたのに、何も返答できずに俯いたままでいると、彼はドアに手をかける。駄目だ苗字名前。せっかく神様が与えてくれたチャンスかもしれない。ここで、動き出すのよ。

「ち、違うよ」

 私のその否定の言葉は見事爆豪くんがドアを開けるのを止めたようで、彼が痺れを切らしてしまう前に何か言わなきゃ。そう思うと声が震える。それに、こういう勇気を出したときに限ってうっかり口を滑らせてしまうのは、私の気をつけるべき点らしい。

「私、……爆豪くん、探してたの…………あ、」
「あ?」

 顔が熱くなるの、久しぶりだ。最近調子が良くて、赤面症が治ったものだと勘違いしていたのだけれど、こういう失態をさらしてしまったときにはどうも発動してしまうらしい。もしかすると、爆豪くんを前にしているとずっとそうなのかもしれないけれど。言ってしまったものは仕方がないし、顔は見れないけれど、私の言葉を待っている気がした。また小さく息を吸って、必死になって言葉を紡ぐ。

「爆豪くんと、ずっと話したくて、……ごめんなさい、今まで話したことなかったし、……なんなら、初対面みたいなものなのに、」
「……初対面じゃねェだろ。四月にぶつかっとるわ」
「え、……そ、」

 覚えててくれた。信じられなくて、でも嬉しくて。冷静に考えれば、爆豪くんのようなまわりをよく見ている人なら、覚えていて当然なのかもしれないけれど。
 嬉しさ、恥ずかしさ、緊張、気まずさ、怖さ。色々なものが混ざりあって、私は結局下を向くという結論に至る。上履きの汚れを見つめて、なんとか落ち着こうとして。

「俺は別に話す用なんかねえ」

 ずきり。胸が少し痛んだ。こんなにはっきり拒絶されるなんて、思っていなかったから。でも、それもそうなのかもしれない。私なんかに話しかけられても、困るだけだし。

「……そ、そうだよね、だって私なんかが迷惑だし」
「おい」
「だって私みたいな」
「おいっつってんだろ」

 彼特有の強い口調にまた、肩が跳ねる。確かに、彼が怖いと言われる理由やヒーロー科に相応しくない、なんて言われる理由がわからなくもない。私は爆豪くんの声に、少しだけ涙目になりながら顔を上げる。彼はどんな顔をしているだろうか。冷たい目? ゴミを見るような目? 色々な可能性に怯えつつも顔を上げたけれど、それはどれも不正解だった。

「そんな下見んな」
「え、……」

 彼の目は、冷たいとかじゃなくて、呆れたような、でもどこか優しさを感じるのは、私が彼に惚れているせいだろうか。初めて合った目は、思ったよりも、写真で見るよりも綺麗な赤色をしていた。目つきは悪いけれど、吸い込まれるような赤色を。

「そっちのがいいわ」
「えっと、」
「……下向かねえなら、勝手に話しかければいいだろ」

 それだけ言うと、彼はまたドアに手をかけた。こんなに長く、上を見るのはいつぶりだろう。こんなに、明るかったっけ。そう思うと、少しだけ弱虫でメンタルが脆い私も、積極的になれたりするの。あなたのおかげで。そしてまた、私の声で彼の動きを止める。

「わ、私のこと、上向かせたの、爆豪くんだから」
「ん」
「私、しつこいくらい話しかけるんだから!」
「勝手にしろ」

 彼は投げ捨てるように、でもどこか優しさを含んだ声でそう言うと、やっとドアを開けて教室へと入った。
 いつもは下を向いていたけれど、今日からは上を向いて。あなたのおかげで、私の世界まで少しカラフルになったの。胸の前でガッツポーズを作ると、一部始終を見ていたらしい上鳴くんにあの日とは違う、質問攻めをされた。


2022.10.08