警備の配置、セキュリティ、全てに抜け目はない筈だった。
「あんなデカイものをどうやって……」
自分の身体より倍、3メートル以上はあったであろう絵画の痕跡を呆然と眺めるしか術がなかった。
怪盗が逃走のために破った天井のど真ん中、半径1メートル程度の穴に場違いなほどの明るい満月が覗いている。



完敗劇から3日が経過した5月上旬の休日。
目の前にはホットケーキをもりもり頬張っている幼馴染みで親友のおついちがいる。
大きめに切り分けたホットケーキを口に入れる合間、他人事のような態度で、「探偵辞めれば?」と彼は呟いた。
「簡単に言うけどねぇ……ここまで綺麗に連敗だと、負けず嫌いなあの2人が手を引くわけないんだよなぁ」
おついちが食べている苺だとかグレープフルーツだとかが乗った無駄に豪勢なホットケーキを一瞥する。1,500円もするスイーツを良い歳の男が食うかフツー。
一方の俺は、おかわり無料のコーヒーをちびちびと啜りながら手持ち無沙汰に店内をぐるり眺めた。カフェの中も行き交う人々の全員が全員、このご時世に現れた怪盗の話でもちきりである。
「苦い」
「そりゃあそのコーヒーはブラックだから」
おついちが口を拭いた紙ナプキンで蝶々を作りながら大真面目な顔で言う。
「そろそろ出るかぁ……今日は奢るぞー」
そして男のくせに白くて長い綺麗な指で伝票をかっさらった。
「妙に羽振りがいいな」
「今日だけな」
今日だけか、右のケツポケットに入っている薄くて軽い財布を気にする。会計レジのかわいいお姉さんの笑顔に、いつもならだらしなく笑ってしまうけど、今日は少しだけ身に沁みた。



見晴らしが良い雑居ビルの屋上に立っていた。遠くに見えるビル群の明かりが月より輝いている。風が少し強い。

「右おっけー左おっけー、後ろー……はちょっとまってー」
5月半ばの平日深夜。ワイヤレスイヤホンから聞こえるおっつんの声は、いつものように緊張感は皆無だった。
「決行日よりはまあ、戴いたものを元に戻すだけだから楽ちんでしょ」
イヤホンとマイクの位置を確認しながら軽い体操をしている弟を一瞥する。こいつも緊張感がまるでない。
深呼吸代わりに溜息を吐き目下の美術館を眺めた。先日陽動で突き破った天井辺りにブルーシートが突貫作業らしく張ってある。
「そういえば鉄塔さんからは何か配置情報とか引き出せた?」
イヤホンの向こう側で咀嚼音を出しているおっつんに話しかける。ちょっとなに食い始めたんだこいつ。
「いや、ぜんっぜん。どんさんとぺーさんが辞めない限りは探偵続けるって内輪程度の話なら聞き出せた。友人と争ってるのは地味に嫌なんだけどな」
このご時世探偵なんて儲からない仕事辞めちまえよなあ、呟くおっつんの声色はうら悲しい感じがした。怪盗も儲からないけど。
「後ろおっけー! 始めていいぞー」
「兄者、お先」
「遊びじゃないんだぞ……いや遊びか」
おっつんの声を皮切りに、先陣を走る弟。
ワイシャツのポケットに入っていたサングラスを左手で掛けなおすと、先程よりは落ち着いた初夏の少し湿った夜風を切って弟の後を追った。
未だに煌々と月が明るく背中を照らしている。




1909





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