1.全ての始まりと、偶然の出会い
カリカリと紙の上をペンが走る音のみが響いていた部屋に、ひゅう、と風が吹き込む音がした。風に煽られた少女の黒い髪がふわりと持ち上がり、鮮やかな紫色と青色がわずかに覗いた。
俯き机の上に視線を落としていた少女は、その感触にはっと顔を上げると、同時に目に入ってきた時計の針が示す時刻に目を細めた。
再び手元に目を落とすと、そこにはほとんどが字で埋め尽くされたノートと、最後のページが開かれた参考書。
「もう終わっちゃった」
誰にともなく呟くと、机の上を片付けにかかる。そして、次にかばんの中に水筒やら細々としたものを入れたカプセルを詰め込み、髪をしっかりと結いなおすと、少女は自室を出た。
「勉強がひと段落ついたので少し森へ散歩に行ってきますね」
「いってらっしゃい、セレナ。お夕飯には……、」
キッチンで本を読んでいた母親にそう告げると、セレナは母が話し終えるのを聞かずに家を飛び出した。向かう先は家から少し離れた森。
……物心ついたときから、何かが変だった。
何が変かと言われると、うまく答えられない。強いて言うなら、不信感と孤独感、だろうか。
目の前で穏やかに話す母親に、信頼を寄せられない。
困ったことがあったら何でも話しなさい、と笑う父親に、親しみがもてない。
自分の手を引いて、一緒に遊ぼうと誘う兄弟に、意味もなくその手を引っ込めたくなる。
幼心で理解するにはあまりにも難しい感覚だったが、成長するにつれ、無理やりそういうものだと自分で納得させた。そうして過ごして、十五歳の初夏。
両親に本当の子供ではないのだ、と打ち明けられた。
親しみがもてないのはそのせいか、と一人うなずいてみたが、それでも胸を黒く蝕み続けるこの孤独感の原因だと納得するにはどこかしっくり来なかった。
しかしそれでもなお養ってくれる両親には大人しく従うほかなかった。何を言っても所詮自分はただの子供。
放り出されたらまともに生きていけるわけがない。ならば、一人でも生きていけるだけの知識を身につけて、適度な年齢になったらこの家を出ようと思った。
……タイミングをつかめずに未だずるずると家にとどまっている現状ではあるが。
そんな思いを胸に抱えて数年立ったある日のこと。いつもどおり通信教育で届くテキストを書き終え、残った時間をのんびりと一人で過ごすために森へ出た。いつもどおりの散歩の時間。両親にも、兄弟にも邪魔されずに一人で過ごせるこの場所は唯一の癒しだった。
ぼんやりと思考の海に沈みながら歩いていたら、もう森は目の前に迫っていた。
獣の声が時折響く、鬱蒼とした深い森。木々が重なり合って作る濃い影に、わけもわからず安心する。自分でも相当な変わり者だと思う。
黒々とした夜色の髪の下に覗く、怪しい紫色と氷の色を思わせる冷たい青色。昔、近所にいたいじめっ子に「鬼の子」と罵られたことがあったが、あながち間違いではないのかもしれない、とセレナは自嘲を含んだ笑みを浮かべた。
そうして歩みを進めること数十分。歩みを止めて休息をとっていると、上からはらりと葉が舞い降りてきた。ゆっくりと落ちてくるそれを何の気なしに手に取って、しげしげと眺めるセレナ。
自然に落ちたにしては妙にきれいな葉だ。鮮やかな緑色の葉を手に持ったまま、上を見上げてみる。
そして。
緑色の何かが、勢いよく落ちてきて、セレナとぶつかった。
ぶつかった衝撃で悲鳴を上げる間もなく仰向けに倒れたセレナの上に、馬乗りになるかたちで落ちてきたそれ…緑色の肌を持った、セレナよりずっと小さな少年は、目を丸くしてこちらを見つめていた。
はく、と息が吐き出される。
お互いに驚きのあまり声も出せずに見つめ合う。……とりあえず。
「あの……まず、私の身体から降りてくれませんか……」
いつまでもこの格好なのは恥ずかしい。左胸に感じる小さな手の感触に若干の羞恥を覚えながらそう言うと、すぐにその少年は我に返り、セレナの身体から飛び退くようにして離れた。
「ありがとうございます」
と退いてくれたことにお礼を言うとふい、と顔をそらされた。大方気まずいのだろう、と適当にあたりをつけたセレナはその頬に小さな赤い線が走っているのを見つけた。落ちてくるときに葉か何かで切ってしまったのだろう。
「ちょっと失礼」と断ると少年の傍により、ポケットから取り出した絆創膏を貼り付けた。あっけにとられたようにこちらの顔を見つめる少年にセレナは小さく微笑んでみせる。
しばらくこちらを呆けたように見ていた少年だが、すぐにキッと鋭い表情をして口を開いた。
「人間がこんなところに何の用だ。殺されたくなければ早くここから失せるんだな」
礼儀も何もないその物言いに少しだけカチンときたがそもそもお節介を焼いたのはこちらだ、と思い直したセレナは
「そうですか。じゃあ」
と言ってその場を離れる。背を向けてさらに森の奥へと歩みを進めていくセレナは後ろから視線が痛いほど刺さってくるのを感じたが、振り返らずに、足を進めた。