10.武道会の終焉
「孫悟空選手、天下一武道会優勝ーーー!!」
というリングアナウンサーの声が響き渡った。
思わずセレナの腰から力が抜けて、へなへなと座り込みそうになったが、クリリンたちが悟空の元へ向かうのを見て、はじかれたようにピッコロのところへ駆け寄った。
「ピッコロさん……!」
力なく横たわるピッコロはぴくりとも動かない。じわ、と収まったはずの涙がもう一度浮かんでくる。
「さあて、こいつをどうするかな」
すぐ近くで聞こえた声にはっと顔を上げた。気づけば、ピッコロの周りには神様と天津飯、亀仙人が立っており、厳しい顔でこちらを見つめている。
「っ、この人をどうするおつもりですか」
「……決まっておる」
愚問だ。答えはわかりきっている。
「どうしても、ですか」
「なぜそこまで此奴に入れ込む? さきほどの此奴の所業を見たであろう。生かしておいてはろくなことにならん……わかったらその手を離すがよい」
気づけばセレナの手は神様の服の袖を掴んでいた。
「無礼を承知でお願いします。……私にとっては、ピッコロさんこそが私を救ってくれた人です。たとえ、本人にその気はなくとも」
考える前にするりと言葉が口から出た。
いつの間にこんなにこの人に入れ込んでいたんだろう。
ピッコロが死に掛けてからようやく気づいた自分も愚かだ、と頭のどこかで冷静な自分が嗤う。
あの生きづらい家から出るきっかけをくれたのはピッコロだ。一緒に旅をしている間もセレナ自身を否定するようなことはなかった。
それにどれだけ救われたことか。
「だから……お願いします、見逃してください」
盲目的だと言われてもかまわない。身の程知らずな真似をしているのはわかっているし、甘い考えだということもわかっている。プライドの高い彼は自分のような小娘がかわりに命乞いをしたと知れば激怒するかもしれない。
それでも、セレナはピッコロを死なせたくなかった。
ふっとセレナに集まっていた視線が外れた。神様の服に縋り付いていたセレナの手がやんわりと振りほどかれた。振り上げられた神様の腕を目にして、あぁ、やっぱりダメかと悟り。そっと目を伏せた、その時。
待て、という声とともにひゅっと空を切る音がした。
気づけば満身創痍だったはずの悟空が神様とピッコロの間に立っている。
「なっ、何をする、孫!」
「それはこっちのセリフだよ、神様」
いったい何をする気だったんだ、という悟空の問いにその場が静まり返った。
「此奴はまだ生きておる! 息の根を止めねばならん!! 生かしておいてはいかんのだ!」
横たわっていたピッコロが微かに呻き声を発する。
「また同じことを繰り返すぞ」
「そのときはまたオラが止めてやる。マジュニアを殺せばあんたも死ぬんだぞ!」
だがそうなったら神龍で神様だけを生き返らせればいいという神様の言葉に、その通り、その方法しかないんだと諭すように天津飯も口を出す。
だが、「ドラゴンボールは神様が創ったもの、その神様が死ねばドラゴンボールも消えてなくなる」という悟空が落とした爆弾により、それぞれが吃驚の表情を浮かべた。
悟空の言葉に目を大きく見開いた神様は、あきらめたように空を仰ぎ、長年の悩みを誰にともなく吐き出した。わたしなんぞ、とうの昔に神をやめるべきだったのだ、という神様の言葉に否定を述べたのは、白いひげを蓄えた、亀仙人と呼ばれた老人だった。
全てはたった一個のドラゴンボールから始まった……そして世を平和に導かれたのです、という言葉で締めくくられた亀仙人の発言にいつの間にか集まっていた悟空たちはにっこりとおだやかな笑みを返した。
やわらかくなった場の空気に、どうやらピッコロさんを死なせずに済みそうだ、とセレナはほっと息をついた。
それにしても、ピッコロさんボロボロだし、これからしばらくどうしようか……とセレナが考え始めた時。
「食え。元気になるぞ〜!」
と言って、悟空がどこからか持ってきた小さな豆をピッコロの口に押し込んだ。お世辞にも丁寧とは言えないその手つきに、セレナはぎょっと目を剥いて悟空の顔を見返す。
セレナの視線に気づいた悟空はやたらと良い笑顔で「心配すんな」と言うだけで何も説明してくれない。
背後ではなにやら悲鳴が木霊しているが、正直それどころではない。
そうこうしているうちに、口に含まされたものをうまく飲み込めたらしく、カッと目を開いたピッコロは起き上がりざまにセレナの腕を掴むと、後ろに飛び退いて距離をとった。
手加減なしで掴まれ引っ張られた腕が痛みを訴えるが、そんなことは後回しだ。
すっかり回復したピッコロの様子に驚くセレナ、悟空に非難の声を向けるヤムチャたち。
そのままピッコロが死んでしまったら神様も死んでしまうし、宿敵がいなくなってしまうのも寂しいと力強い笑みを浮かべて言う悟空。それに対してその甘さが命取りになると忠告したはずだと返すピッコロ。
すでに一戦終えたからか、二人の間に漂う空気はそれほど張り詰めたものではなくなっている。
「今日のところはこのまま引き下がってやるが、そのうち必ず貴様を倒す…そしてこの世界をいただくぞ……!」
そう言い捨てるなり、ピッコロはセレナの片腕を掴んだまま、飛び立った。
こちらを見つめてぽかんとしている悟空たちの姿がみるみるうちに小さく遠ざかっていく。
ある程度の距離を進んだところで、セレナは先ほどから痛みと痺れを訴えていた腕の感覚がないことに気づいた。
ちらりと掴まれている腕の先を見ると血の気がなくなり、紫色を通り越してなんとも気持ちの悪い色になってしまっている。
思わず焦ってほぼ反射的に手を動かしたことでピッコロも異常に気づいたのか、ハイスピードで視界を滑っていた景色がぴたりと止まった。
短い舌打ちが聞こえたと思ったら、腕から手は離され、かわりに腹に腕を回す形で抱え込まれた。
ぐっと腹にかかる圧迫感。それでも宙吊り状態よりはずっといい。
(今回、負けちゃったけど……これからどうするんだろう)
体にかかる負担が減ったことでセレナにも考え事をする余裕が出てきた。
神様には好きで着いていったとは言ったが、当のピッコロに必要ないと言われればそれまでだ。
悟空がピッコロに食べさせたあの薄緑色の豆は回復効果があるのだろうが、精神的な疲労は癒せないだろう。
そんな状態なのに、セレナの腹に回る腕には、しっかりと力がこめられている。
離すまいとでも言うかのようにこめられたそれに、「まだそばにいてもいい」と言外に示されたような気がして、セレナはひっそりと微笑んだ。