28.最悪の事態
カメハウスを目指して飛び続け、かれこれ一時間は経っただろうか。
「もう少しでカメハウスだ。がんばれよ、悟飯、セレナさん」
「はいっ」
無言のままのセレナの顔をクリリンが覗き込む。
「……セレナさん、大丈夫か?」
「あ、はい……すみません、大丈夫です」
さきほど口にした仙豆のおかげで飛ぶこと自体には問題ないが、遠くでぶつかり合う悟空たちの気に何度も足を止めそうになる。
(さっき悟空さんが界王拳、を使ったときよりも大きな気を感じる……たぶん、悟空さんは……界王拳を限界以上のレベルにまで上げて無茶な戦い方をしてる)
六年前のあの一件で、悟空には無謀ともいえるような行動をする面があることをセレナは知っている。だからこそ、そんな戦い方をしていることが確信できた。
「お、おい。あれ……」
突然、クリリンが足を止めた。クリリンの声に振り向けば、ちかちかと輝く光の玉が目に入り、見慣れないそれに眉を顰めた。
「なんだろう、やけに明るいぞ。星か?」
「いいえ……星にしては位置も大きさも変です」
太陽は別の位置にある。最後に浮かんだ単語に、あれならずっと前にピッコロさんが壊したはずだ、と頭を振って否定した。
そして次の瞬間、嫌味なほどはっきりと伝わった馴染みのある感覚に、一気にうなじの毛が逆立った。
「な、なんだ……? また気が上がったぞ」
「おとうさんの気じゃないみたいですね……」
「あ、ああ、この嫌な感じの気は奴のほうだ」
冷や汗がつうっと流れ落ちる。ふいに、悟飯がふらりと悟空がいるであろう方向に動き始めた。
「お、おい、悟飯、」
「ボク戻ります」
「戻るって、悟空さんのところへ、ですか?」
へ、と声を上げたクリリンを振り返ることなく、再度戻りますとだけ告げた悟飯にセレナが確認をするように問いかけた。
「ボ、ボクわかるんです。おとうさんが危ないって、このままじゃ死んじゃうって……」
ゆっくりと悟飯に近づくと、その肩が小刻みに震えていることに気が付いた。恐怖を感じながらも、父を助けるために戻ると口にした悟飯の強さを目の当たりにして、セレナは小さくため息を吐いた。
自分たちが行っても何の役にも立たない、と悟飯を止めるクリリンと、それでも戻ろうとする悟飯。
いまさらあの場所に戻って、サイヤ人と戦ってももうピッコロは戻ってこないことぐらい、わかっている。が、それを言い訳にして、恐怖心と良心の呵責を天秤にかけようとした、どこまでも自分勝手な自分の考えに心の底から嫌悪した。
不意に、肩で息をしながら「地球をなめるなよ」と言ったピッコロの姿が蘇った。
(ピッコロさん……)
もし、彼がまだここにいたのならば、きっと自分たちよりももっと早く戦場に戻る決断を下していたのだろうか。ぐっと温度のない自らの手を握り締め、セレナは悟飯に近づいた。
「クリリンさん、私も戻ります」
「セレナさん……」
みっともなく体は震え、出した声の末尾が震えて不明瞭なまま空気に溶ける。
もう一度、あのサイヤ人と戦うために戻るのは恐ろしい。だが、悟飯をこのまま一人で行かせて見殺しも同然の状態にするのはもっと恐ろしかった。
「行きましょう」
「……はい!」
悟飯の顔が僅かに明るくなり、びゅうっと同時に風を切って飛び出した。カメハウスへ向かったとき以上のスピードに、ものすごい勢いで風が顔を吹きつける。と、クリリンの焦ったような声が聞こえたと思ったら、すぐ隣にクリリンの姿が現れた。
「待ってくれ、オレも行くから!」
追いつくためにかなりのスピードを出したのだろう、ぜえぜえと息を切らしたその姿に少しだけ申し訳ない気持ちがわいて、セレナは眉を下げて頷いた。
そうこうしている間にも、悟空の気はどんどん小さくなっていく。父の命が薄れていくのを肌で感じた悟飯の口から、おとうさん、と小さな呟きが洩れた。
「近い、もうすぐそこだ!」
はやる気持ちとともに、空を切るスピードも増していく。近づけば近づくほど、あの光の玉の有する光はよりまばゆいものに感じられ、そのあたりだけ昼間のようだった。
近くで見るとなおさら満月によく似ているとセレナは思った。噴きあがるサイヤ人の気と、満月に酷似したもの。その二つが頭の中で結びつき、一年ほど前にした光景が目の裏に蘇った。
そうでなければいい、という密かな願いは、岩の切れ間から見えた光景によって打ち砕かれた。
クリリンさん、あれ、という悟飯の声に眼を凝らすと、そこにはあの戦闘服を纏った大猿の姿。最悪の事態に、目の前が真っ暗になりかけた。
「お、降りろ悟飯! 下に降りて隠れるんだ!」
「なっなんなの、あれ、」
「いいから! 早くしろ!」
戸惑う悟飯にクリリンが鋭い声を飛ばす。クリリンの声に従い、悟飯の手を引きセレナもまっすぐ地面に降りた。
大猿に変身したベジータの手の中には悟空がいる。ベジータが愉悦を滲ませながら力をこめるたびに、悟空の悲鳴が響き渡った。戦いというよりは、一方的に悟空が痛めつけられているその様子に、かなりの劣勢だと悟ったセレナが口を引き結ぶ。
「悟空がやられてる! やばいぞ、こっちだ!」
二人についてベジータに向かって駆け出していく。と、途中で見知らぬ男が飛び出し、セレナたちの行く手を塞いだ。
「おいっ!」
「うわ、」
「っ誰!」
クリリンと悟飯が驚きの声を上げる中、セレナは苛立たしげに短く問うた。
簡易的な和服を身にまとい、腰に刀を差したぼさぼさの髪の男。セレナには見覚えがなかったが、クリリンは面識があったようで、驚きに見開いた顔を戻すや、彼の名を呼んだ。
「ヤジロベーじゃないか!」
「おい、あの化けもん誰だと思っとる!? サイヤ人だがな、サイヤ人!」
とにかく敵ではないと知るや、セレナは剣呑な表情を緩めたが、クリリンの声もそっちのけでヤジロベーがベジータを指差しつつそう訴える。
「ああ、それは知ってる!」
「あんな化けもんと戦えるか! 叶うわけねえ、やめとけ!」
なおも言い募るヤジロベーにそれも知ってると短く言葉を返すクリリン。
「シッポを切れば元に戻ります!」
背を向けてはいるが、念のため見つからないように近くの岩陰に三人を引っ張りこみながらセレナがそう言うと、クリリンが驚いたように顔を向けた。
「セレナさんも知ってたのか」
「はい、ピッコロさんと修行していたときに……」
簡単な説明だったが、クリリンはそれだけで理解したようで、ああ、と頷いた。
「いいか、悟飯とセレナさん、それからヤジロベーは前に回って奴の気を引いてくれ。隙を見てオレが後ろからシッポを切ってやる」
大猿からもとの強さに戻ったとしても、ベジータの強さは規格外だが、今の状態よりははるかにましだろう。こうしている間にも悟空の痛みに耐える声が耳に入る。
「急げ、悟空が死んじまうっ!」
だっと悟飯とともに駆け出し、クリリンはベジータの背後に向かっていく。悟空の気はもう僅かな大きさにまで減ってしまい、その命を散らす寸前だということが感じ取れた。
「何かいやがるな? どこだ」
ふいに、ぴくりと耳を動かしたベジータがそう呟き、周囲の様子を伺い始めた。
(嗚呼、最悪だ)
あのときの悟飯のようにむやみに暴れまわっていないのが不思議だったが、どうやらベジータは大猿と化しても理性を保てるようだった。本能のまま暴れまわる大猿も厄介だが、理性があるということは、あの恐ろしいほど切れる頭も健在だということだ。よけいにシッポを切る難易度が上がった。
いつのまにか悟空の悲鳴もやみ、しんとした静寂があたりを包んでいる。ベジータの視線が正面から反れた瞬間、こっちだ、という声とともに悟飯が飛び出した。
「おとうさんを離せ!!」
悟飯に続き、セレナもベジータの前に飛び出した。
「ほほう、こいつは驚いた。カカロットの息子と角女じゃないか。なるほど、父親の最期をわざわざ見に来たか」
悟空を握り締めたまま、ベジータの顔が愉悦に歪む。悟空は既に気絶しているのか、何の反応も示さない。ぐっと悟飯が歯を噛み締め、セレナが拳を握る中、耳障りな高笑いが大猿の口から発せられる。
「ハハハハハッ! いいタイミングだぞ。ちょうど死ぬ間際だ、これからフィニッシュを決めようってとこだ」
ベジータの背後で、クリリンの気が練られはじめたのを肌で感じる。ぐ、とベジータが悟空の頭を無造作に掴み、押し込め始めた。思わず止めようと体が動きだすのを我慢し、クリリンがベジータの尾を切るのを待ち続ける。
と、ベジータがぴくりと何かに反応を示した、と思ったら、ばっとその巨体を空におどらせた。ベジータの足元からクリリンの気円斬が飛び出し、セレナと悟飯のいた岩山をすっぱりと切り裂き、空へ消えていく。
「あ……っ」
「もう一人いることくらい気がつかんとでも思ったか? 貴様らは下らん人情とかが好きらしいからな、このガキと女だけが来るわけがないと様子を探っていたのだ。……シッポのことを知っていたらしいが、残念だったな」
こうなってしまっては不意打ちでシッポを切ることは不可能だ。かといって、真正面から向かっていってシッポを切れるほど太刀打ちできるわけでもない。これ以上打つ手がないことに、ぎりりとセレナは奥歯を噛み締めた。
カカロットを片付けたら次は貴様らの番だ、と笑ってベジータは悟空を掴んだ手にさらに力をこめ始めた。ぐぐぐ、とベジータの手にさらに力がこめられた。手の中にいるであろう悟空からは何の反応も見られない上に、感じる気もごく小さなものになっている。
「やめろっ……やめろやめろ――――ッ!!!」
怒号を上げた悟飯がキッとベジータを睨みつけ、セレナも悟飯と同時に構えを取った。
ベジータの手にこめられた力が止まり、ぎろり、と白目のない真っ赤な隻眼がセレナたちに向かう。にい、と大きく裂けた口がつり上がった。
「そうか、父親よりも先に死にたいか」
一歩、また一歩とベジータが近づいてくる。悟空でさえあんな状態になった相手だ、勝ち目はほぼないがやれるところまでやるしかない。
「どうした、恐ろしくて動けんか……、!?」
突然、身構えたセレナたちを馬鹿にしたように笑っていたベジータの表情が変わった。
ぶれる視界の端でどさり、と重たげな音を立てて落ちる毛むくじゃらのそれ。続いて、刀を片手に走り去る、和服を着たぼさぼさの髪の男が足早に走り去るのが遠目に見えた。
「……!」
ヤジロベーが、ベジータのシッポを切り落としたのだ。