29.血みどろの激闘

 途中から彼の姿が見えないことに気づいていたが、まさかこんな行動に出るとは思わなかった。ベジータが悔しげな声を上げ、クリリンと悟飯は呆然とした顔をしている。

「ち、ちくしょう……オレの、シッポがッ」

 するりと力の緩んだ手から悟空がすり抜け、受身を取ることもなく地面に落ちた。数歩、後ずさったベジータの体が、みるみるうちに人間のサイズに戻っていく。笑ってしまうほど大きかった気はまだまだ圧倒的な量を保持しているが、それでも先ほどのような絶望を感じさせるほどのものではない。

「きっ、きさまら……オレを怒らせてそんなに死にたいか……!」

 喜びの表情を浮かべたのもつかの間、ベジータから発された怒りのこもった声に思わずセレナは一歩後ずさった。いくら弱体化したとはいえ、悟空が動けなくなった今、自分たちに勝機があるかと問われれば、否と答えるしかない。
 さっきのよりはずっとましだ、と思わず考えた先ほどの自分の、完全に麻痺した感覚に乾いた笑いが洩れた。

「ど、どうなってるの……なんであの化け物がっ」

 ベジータの怒りに血の気を引かせながらも、そうぼやいた悟飯に説明している暇はない。

「だったら望み通りぶっ殺してやる……! ゴミどもめーッ!!!」

 怒りで血管を額に浮き上がらせたベジータを見据える。ごくりと無意識のうちに唾を飲み込めば、苦い味がした。

 ベジータの殺気を湛えた目がセレナと悟飯に向いた。

「悟飯、セレナっ逃げろーーっ!!」

 そう叫んだクリリンの声が届く前に、ベジータが目の前に迫った。とっさのことに反応できず、重いベジータの一撃にあっさりとセレナの体が後方へ吹き飛んだ。続いて、悟飯が膝蹴りを受けて蹲る。

「がっ、」
「まずは女、貴様からだ」

 痛みに耐えながら立ち上がるセレナの前には嫌味なほど余裕の笑みを浮かべたベジータ。息をする間もなく、セレナの腹部に拳がめり込んだ。ダメージを受けた身体は吐血という形を通してそれを伝えてくる。膝をつき、あごを伝う不快なそれを乱暴に拭えば、べったりとした暗褐色の血が手についた。

(たった一撃でこのダメージ……)

 わかってはいたことだが、あまりの強さに愕然とした。
 にやにやと笑うベジータの背後からクリリンが攻撃を仕掛けたが、それもあっさりと蹴りを受けて返り討ちにされてしまった。声を上げることすらせず、クリリンの体がバウンドして岩に叩きつけられ、べしゃりと落ちる。かろうじてまだ生きていることは分かるが、セレナにはもうそちらを気にする余裕はない。

「へっ、順番が変わっちまったかな」

 再びセレナに視線を戻したベジータの拳が降りかかる。ばし、と咄嗟に差し出した手で何とか受け止めたが、じんじんと腕に痺れにも似た痛みが広がった。痛みを堪え、爪を立てながら渾身の力をこめて押し返せば、ぶつりと右手の爪が手袋を破り、その下にあった手に食い込んだ。一瞬だけ痛みにひるんだベジータの力が緩む。その一瞬にさらに力をこめたが、さすがというべきか、すぐに力負けしてぐいぐいと押されていく。

 完全に押されるまでの一瞬の間に、ナッパと戦ったときの感覚を思い出せ、とあせる思考を必死で巡らせた。

(正面からの肉弾戦では圧倒的にあちらが有利。溜めもなしに打ち出した気弾じゃ威力が足りない……)

 気を直接攻撃に転用せず、なんとか隙を作るにはどうすればよいか。ふっと息を吐いた次の瞬間に、頭に浮かんだそれを実行に移した。ふっと力を抜いて手を離す。

「はあっ!」
「なにッ、」

 ベジータが次の動作に入る前に、なぎ払ったセレナの手から幾多の小さな氷の欠片が生み出され、散乱する。
 狙い通り、一つ一つが角張ったそれはきらきらと光を反射し、ベジータの視界を遮ることに成功した。

「チッ、小賢しい……!」

 邪魔だといわんばかりにベジータがエネルギー波を出して氷を消し飛ばしている隙に、背後に回って回し蹴りをお見舞いする。

「やぁッ」
「ぐ、」

 不意打ちの蹴りは見事決まった。僅かに目を見開いたベジータに薄く笑みを浮かべたセレナは、体勢が崩れたその身体めがけて左手で突きを撃ちこむ。ベジータの身体が空に滞在する僅かな合間に目いっぱい気を練り上げ、右手から一気に爆発させた。

「はぁっ、はぁっ……」

 宙を舞い、激突して硬い岩に沈むベジータを見やりながら荒く息をつくセレナ。いったんベジータが離れたことで緊張が僅かに解け、脂汗がどっと吹き出してきた。先ほど攻撃を食らったことであばらが傷ついたのか、呼吸をするたびに胸が鋭く痛む。

 そして、がらがらと崩れた岩の欠片を押しのけ、ベジータが姿を現した。多少はダメージを与えることが出来たらしいが、それも微々たる物だ。

「女の分際でよくも……、やってくれたなっ!」

 向かってくるベジータの攻撃を防ごうと腕をかざしたセレナだが、ずきりと一際大きく走った激痛により、一瞬、思わず息を詰めた。
 急に動きを止めたことでできた間をベジータが逃すはずもなく、容赦のない一撃が再び胴に突きこまれた。

「が、あッ」

 うめき声とともにごぽりと血が口から溢れる。あまりの痛みに目の前で星が散ったようにさえ感じた。

「くく、痛いか? 早く死ねば楽になれるぞ?」

 無造作に髪を掴まれ、甚振るように攻撃の雨が降り注ぐ。いや、実際に甚振っているのだろう、重点的に損傷が激しい胴を狙われている。反撃しようとする気力をそぎ、且つ命だけは刈り取らない程度の絶妙な力加減により、気絶することもかなわない。

「ずいぶんと大人しいな、え? ナッパを相手にしていたときの力をオレにも見せてみろよ」

 動けないのを知っていてそんな言葉を吐くのだから、たちが悪い。殴られるたびに半開きになった口からは意味を成さない声と唾液、血が垂れた。

 もう痛みに声を上げる力も残っていない。ばっくりと開いた額の傷から流れ出た血が目に入り、視界の一部がふさがれる。

「これで終わりだ」

 狭まった視界の中で、やけにゆっくりとベジータの拳が振り上げられるのが見えた。いよいよ迫ってきた死を目の前にして、諦観にも似たものが胸に浮かぶ。

(……ピッコロさん)

 死んだら、あの世で会えるだろうか。ふ、と細く息を吐き出した、そのとき。

「やめろ――――っ!!」

 落ちてくるベジータの拳がぶれた。回らない頭は少し遅れてから、悟飯がベジータに体当たりをしたのだと今しがた起こったことを認識した。
 髪を掴んでいた手の力が緩む。そのまま投げ捨てられるようにセレナの体は宙を舞い、岩に激突した。



 はっと意識が浮上したことで、初めてセレナは自分が気絶していたことに気づいた。
 時間の感覚が曖昧で、どのくらい気絶していたのか分からない。ただ、気絶していた間、僅かに気が回復していた。それに感謝しつつ、顔の血を乱雑に拭ったセレナは、ふっと感じた気の動きに慌てて身体を起こした。

「あれはっ、」
「当たれぇ――ッ!!」
「なっなんだこれは……!」

 クリリンの手から放たれた、とてつもないエネルギーを持った青白い玉がまっすぐに飛んでいく。

 当たれという願いに反して、放たれたそれをベジータが飛んでよける。さっとセレナの顔から血の気が引いた。青白い玉が飛んだ先は、血まみれになって地面に膝をつく悟飯。

「もう、ダメだっ……」

 大きく開いたセレナの瞳孔の中で、はっとなにかを感じ取ったように、悟飯が手のひらを前に向けた。ばちん、という音とともに玉が跳ね返され、反動で悟飯の身体が背後の岩に叩きつけられる。
 跳ね返された青白い玉は、まるで吸い込まれるように宙に浮かんだベジータに向かっていく。

「あ、……!」

 刹那。バチバチという音を立てて、凄まじいほどの光をまき散らしながら、ベジータの体にそれが炸裂した。青い光はいつの間にか目を焼くほどの白になり、球体を歪ませ光線状に変わる。
やがて、絶叫とともに、ベジータははるか上空へと打ち上げられていった。

 先ほどの熱気がうそのように辺り一帯が静まり返る。

「おわ、った……?」

 か細い声が口からこぼれ、ひどく現実味のないような、そんな感覚が身体を伝う。
 おとうさん、と呟いた悟飯がよろよろと悟空の元へ向かい、クリリンも歓喜の声を上げながら彼に近寄っていく。セレナも、ゆっくりと、彼らの元へ歩み寄った。

「と、とうとうやったな、おめえたち……」
「うん……」
「ははっ、もう何回もダメかと思ったぜ」
「二人ともボロボロだな、」
「ははっ、お前ほどじゃないよ」
「ふふっ……」

 クリリンの言葉通り、セレナもクリリンも悟飯も、全身傷だらけだったが、悟空とは比べ物にならない。横たわったまま、ぴくりとも動かないのはほとんど全身の骨が折られている所為だろう。六年前よりもひどい有様にそっとセレナは顔を歪めた。

 ふいに、ひゅうっと風を切る、否、何かが落下してくる音が耳に届いた。上を見上げ、目を凝らせば目に入るのは人型の影。ぐんぐんと高度を下げるそれは受身も取らず、どさりと土ぼこりを立てながら地面に落下した。

「さ、サイヤ人だ」
「大丈夫、死んでいる」

 足を引きずりながらクリリンがベジータに近寄る。

「くそったれっ。とんでもねえ奴だったけど……墓ぐらい、つくってやるか」

 落ちたときの姿勢そのままで倒れたまま、ぴくりとも動かない。やっと戦いが終わったのだ、とセレナが小さく息を吐き出した、次の瞬間。

「貴様らの墓をか?」

 カッとその目が開かれ、もう聞きたくないと思っていた声が鼓膜を揺らした。きゅ、と喉の奥が圧迫されたようになり、引き攣った声が洩れ出た。

「ずいぶんひどい目にあわせてくれたな……。い、いまのはさすがに、オレも死ぬかと思ったぜ……かなりのダメージを食らったが……ゴミを片付けるぐらいの力は残っている」

 荒く息をつきながらもゆらりと立ち上がったベジータは言葉通り、まだ十分に余力を残していた。おそれをはっきりと顔に浮かばせ、後ずさるクリリンを、片腕一本で薙ぎ払う。地面に倒れ伏し、咳と共に血を吐き出すクリリンを冷たい目で見下ろして笑うベジータ。

「貴様らを殺したあと、体力の回復を待って、この星を徹底的に破壊してやる……!!」

 その目は血走り、最初の余裕など欠片もなかったが、それ以上にセレナたちの力も残り少ない。ベジータの余力がなくなるのが先か、それともセレナたちが力尽きるのが先か。

「貴様ら、こ、このベジータ様の力を限界近くまで使わせやがって……数人がかりとはいえ、ゴミども相手にこれじゃあプライドが傷ついたぜ……いい加減にしてくたばっちまえっ!!」
「あ、あ……」
「ちきしょう……ちきしょう……ッ」
「はあああッ!!」

 ばっと両手を広げたベジータの体が光った。
 爆風が巻き起こり、防御をする隙すら与えず、セレナの体が吹き飛ばされ何度かバウンドをしてやっと止まった。
 至近距離で気をまともに喰らい、体中が痛みを訴える。ちかちかと視界が点滅し、こみ上げる吐き気が身体に力を入れるのを邪魔した。

 思うように動かない身体に、思わずぎゅっと目をつぶって唇を噛むセレナ。

(他の人たちは……まだ、生きている、)

 弱弱しくはあるが、感じる気の数は減っていない。だがそれも時間の問題だ。
 薄く目を開くと、悟飯に近寄ったベジータが、なにかをつかんでいるのが目に入った。目を細め、よくよく見てみればそれは茶色の、ふさふさとしたシッポ。見覚えのあるそれに、セレナは目をゆっくりと瞬かせた。

「シッポ、は……ピッコロさんが、切ったはずじゃ、」

 あれから再生する兆しがなかったため、もう生えてこないのかと思いきや、そうではなかったらしい。

(あの光を見てあいつが変身したなら……悟飯くんも、)

 それは危険な賭けだった。ベジータと違い、悟飯は大猿になれば理性をなくし、ただ暴れまわるだけの獣と化す。だが、この絶望的な状況ではしのごの言ってられなかった。

「とああぁぁぁあぁあッ!!!!」
「!?」

 はっと意識を戻すと、ベジータに刀で切りかかるヤジロベーの姿が見えた。
 大ダメージを与えたものの、しぶとく起き上がったベジータに痛めつけられるヤジロベー。

(今のうちに、)

 標的が悟飯からヤジロベーに向かったところで、声を張り上げるためにうつぶせになっていた身体を起こす。骨が軋み、ひどい痛みが全身に走るが、歯を食いしばって堪える。

「……ん、ごはんッ……」

 ふと、悟空の弱弱しい声が耳に届き、そちらに顔を向けた。ばちり、悟空と目が合う。ちら、と空に浮かぶ光の玉を見やれば、悟空の頭が僅かに上下した。
 どうやら、悟空も自分と同じ考えらしい、と理解するや否や、今度こそセレナは声を張り上げた。

「悟、飯くん……っ! 空をっ……空にある、光の玉を見てください!!」

 ぴくり、と悟飯の体が動いた。ぐぐ、と力をこめ、悟飯がうつ伏せから仰向けに体勢を変える。

「ひかり、のたま……?」
「し、しまった……!!」

 悟飯の様子が変わった。気づいたベジータが慌てて止めを刺そうとしたが、すでに変化は始まっている。めきめきと衣服が裂け、巨大化する身体と一緒に悟飯の気も膨れ上がっていく。

「グオォオオオ……ッ」

 尻尾を切ろうとあせるベジータに、変身を終えた悟飯が拳をたたきつけた。身を起こした悟飯はそのまま、ベジータを気に留めることなく周囲を手当たり次第に破壊し始めた。叩き割られた岩の破片がパラパラと降り注ぐ。
 そのうちの一つが、まさにばっくりと傷のひらいたセレナの額に直撃した。

「う、っ」

 小さなうめき声だったはずなのに、ぎろりと赤い眼がセレナに向いた。ぐっと無造作に身体を握られ、思わず悲鳴を上げる。
 自分を見つめる、理性の欠片もみあたらないその目に、さっと心臓が冷えた。

(ああ、やっぱり)

 一か八かの賭けの結果は、勝利の女神に見放された。死の覚悟を決めて嚥下した唾液は、妙に苦い味がした。



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