30.残されたものは
どくん、どくんと心臓が胸骨にぶつかりながら嫌な音を立てる。
「悟飯ーーーッ!」
どこからかクリリンの叫び声が響き、ぴたり、と一瞬遅れて、大猿が動きを止めた。
「ご、ごはん、くん……」
もしかしたら、と。その反応に、縋りつかずにはいられなかった。こちらを凝視したままの大猿はまだ、セレナの体を握ったまま、動かないでいる。
ぎり、と歯を噛み締め、喉から音を搾り出した。
「ベジータを、サイヤ人を、倒してください……!」
「サイヤ人だ!! サイヤ人をやれ――――ッ!!」
クリリンの叫び声と、セレナの掠れた声が重なり、大猿……否、悟飯の耳に届いた。ぎゅんっと景色が揺れ、セレナの体がそっと近くの岩の上に乗せられる。
「ゴアァァァアッ!!!」
気合とともに発された悟飯の咆哮がセレナの脳を揺らし、赤い双眼がきつい光をたたえてベジータに向けられた。
「そうか……悟飯は半分、地球人だもんな……。悟飯の優しい心がまだ、ほんの少しだけ残っていたんだ……」
「……っ」
大ダメージを受けてもなお、暴れ回る悟飯を相手に立ち回るベジータの生命力の強さに舌を巻くと同時に、己の不甲斐なさに息を詰めた。そうしている間にも目下で悟飯とベジータの攻防は続いている。
そして、空に躍り上がった悟飯の尻尾が、ベジータの放った気円斬に似たもので切り落とされ、悟飯の変身が解け始めた。
「ガァッ!?」
「あ、っ」
まずい、と臍を噛んだのもつかの間で、力を使い果たして身動きの取れないベジータを、重力に従って落下する巨体が押しつぶした。
悲鳴と地響きが鳴り止んだとき、落下地点には虫の息のベジータと、その上に重なり裸で眠る悟飯の姿があった。
「まだ生きとるがや……」
「なんてやつだ……」
そんなクリリンとヤジロベーの声をよそに、ベジータは懐からリモコンのようなものを出し、いくつか操作をすると、今度こそ四肢を投げ出して荒い息をついた。
数分も経たないうちに、丸い形をしたポッドのようなものが、ベジータのすぐそばに着陸した。
「あれは……あ、クリリンさんっ」
クリリンが不意に立ち上がり、足を引きずりながらも一歩一歩、近づいていく。
「まさか、このオレが引き返すことになるとは……。ち、ちくしょう、宇宙最強の戦士と言われたこのベジータ様が、無様な……ッ」
「やつの宇宙船だな……逃がして、たまるか……!」
這いつくばって宇宙船に乗り込もうとするベジータを、ヤジロベーの刀を手に追うクリリン。セレナもクリリンのあとを追おうと、ゆっくりと立ち上がった。一歩踏み出すだけでも脳がぐらぐらと揺れているような感覚を覚える。
こんな時まで思い通りに動かない身体に思わず舌を打った。
「ここまでやったんだ、とどめを刺してやるっ!」
その間に、クリリンはもうベジータのすぐ近くまで来ていた。死ね、という恨みのこもった叫びを背景に、刀が振り下ろされ……すんでのところで止まった。
クリリンの様子から察するに、止めたのは他でもない悟空だろうか。クリリンの声は途切れ途切れに聞こえるのに、悟空の声は聞こえない。おそらく心でクリリンと対話しているのだろう。
ガチャリという刀が落ちる金属音に、結局ベジータを逃がすことにしたのだとセレナは悟った。
「よ、覚えておけよ、ゴミども……もう奇跡は起こらんぞ。今度会ったときは皆殺しだ。せいぜい楽しんでおくんだな……!」
息も絶え絶えの状態で捨て台詞を吐くベジータを、悔しげにクリリンが睨みつける。しばらくの間浮遊したのち、宇宙船はあっという間に飛び去っていった。
それを見届けたセレナは、舞空術で補助をするために残った僅かな気を練り始めた。気力も体力も使い果たした今、ほんの僅かな気を操ることさえもどこかおぼつかない。
それでも、なんとか浮くまではいかずとも、誤って落下しないようにしながらセレナは岩山を降りて、ゆっくりと悟空たちの元へ近づいた。
「すまなかったな……クリリン」
「気にすんなって。死んだ皆には、悪い気がしたけどな。でも、それももしかしたら、皆を生き返ら……」
クリリンの言葉が最後までつづけられる前に、あたりにジェット音が響いた。
見上げた空に現れた一機の飛行艇。その窓から一年ぶりに見る亀仙人が杖を振っているに気づくと、三人は表情を緩めた。
「悟飯ちゃあああああんッ!!」
「え、チチさん、」
コックピットが開き、出てこようとする亀仙人を押しのけて飛び出してきたのはチチ。まっすぐ悟空の元へ向かうのかと思いきや、悟空など目に留めることすらせず、半ば奪い取るようにクリリンの腕から悟飯を攫っていった。
仮にも夫であるはずなのに、この扱い。
(話には聞いてたけど……)
六年前の、きらきらとした目で悟空を見る少女だったあの頃とはずいぶん違う。
不意に、泣き声がわんと耳に響いて、はっとセレナは悟空のほうへ顔を向けた。目に映ったのは、倒れたままの悟空と悟空の周りに集まった亀仙人たち、それから人目もはばからず大声で泣き喚き、涙をながすブルマ。
(悟空さんが、ピッコロさんのこと、ドラゴンボールのこと、説明したのか、な)
思い出すだけで胸が痛む、あの瞬間がセレナの頭の中でフラッシュバックする。
立ちふさがる大きな背中と、手に触れた温かい体液、慣れ親しんだ気が消えるあの瞬間。
ぎゅう、と手を握り締めると、鋭い爪が手のひらに食い込んだ。皮膚を突き破るとまではいかずとも、手のひらの細かな鱗と擦れて、ざりざりと耳障りな音を立てた。
(こんな力、今更出てきたって、)
彼を失ったあとならば意味がないのだ。何よりも失うのを恐れていた存在は、自分を残していってしまった。
もう、一歩先で静かにたたずむピッコロを目にすることは叶わないのだ、とセレナは唇をきつく噛みしめた。
「それより早く怪我人を病院へ連れていかんと。もう仙豆はないんじゃぞ」
カリン様と呼ばれた仙猫の一言により、ひとまず悟空含めた怪我人を運ぶ作業が始まった。傷に響かぬよう、そっと担架に乗せられ運ばれていく悟空を見やったセレナは、小さく息をついた。
と、今だ飛行艇に乗り込まず、立ち尽くしていたセレナに、クリリンが軽く声をかけた。
「セレナさんも、早く病院へ」
「い、いえ、私はかまいません。病院へと言われても、この見た目ですし……」
苦笑をひとつ溢すと、セレナは右手で角を指して見せた。この姿で一般病院へ行けば、何を言われるか分かったものではない。
見た目もそうだが、なによりクリリンたちとはそこまで親しい関係にあるわけではない。治療費もなければ身分証明も持っていないのに、世話になるのは気が引けた。
またサイヤ人が襲来する可能性がある以上、ピッコロの亡骸を回収したあとはひっそりとどこかで自然治癒を待ち、修行を積むつもりだった。
「いいから。ピッコロを生き返らせることができるかもしれないし」
思いがけぬ内容に顔を上げれば、したり顔というか、どこかにんまりとした笑みを浮かべているクリリンの顔がセレナの視界に飛び込んできた。
「飛行艇の中でゆっくり話すからさ」
そういったきり、クリリンはさっさと歩いていってしまった。
ピッコロを生き返らせる可能性がある、なんて言われて、ついていかない選択はセレナにはない。のろのろと足を動かすと、セレナも飛行艇の中へ入っていった。