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5月も半ばに入り新学期特有の生徒たちの浮き足立った雰囲気も落ち着いてきた頃。

「赤羽くん。三年生になったんだしそろそろ移動を含めて多大な授業時間を返上してまでここに通うのは控えてはどうだろう」

来なくなる事は無いと思っていても流石に多少は減ると思っていたよ凄いな君は、と壁に沿って設置してある大きめの棚を整理しながら言う名前。部屋の中央の木製の机には本校舎にいる頃と少しも変わらない頻度で保健室に通う業が座って居り、壁に貼ってある掲示物を珍しそうに眺めている。

「お陰様でいい運動になってるよ。この腕の関節が1つ多い女の子も言ってるじゃん。運動不足ダメ絶対」
「絵は苦手なの。そんなに言うなら君も書いてみてよ。走る人間の絵なんて難しいの」
「え?これ走ってるの?」

言いながら業は内線電話の側にあるメモ帳を一枚破りペン立てからボールペンを取る。
担任が変わったといえどサボり癖は変わらないが以前とはほんの僅かに、だが確実に違う業の雰囲気は何処か柔らかい物がある。彼の変化に大きく関わっているであろう担任への悪戯の話には同情しか感じないが、意気揚々と語る業を見る事が出来るのは良いことだ。此処に来ては必ず話すそれはいつも名前の程々に、の言葉で締められる。


「そういえば中間テスト、凄かったんだってね」

君の元担任が嘆いてたよ、背伸びをして棚の上段の書類の挟んであるファイルを取り出しながら面白そうに笑う名前の顔はターゲットへの仕掛けが成功した時の業の表情と何ら変わらない。

「うちの先生しつこくてさあ。今やらなくて良いことまでやらせるんだもん。本当疲れるよ」
「良い先生だね本当に。私も教わりたい」


ボールペンを置き椅子から立ち上がり全身を上へ上へと伸ばし棚による名前に近づく業。
名前の後ろから背伸びもせずにそのファイルを抜き取ると名前に手渡す。
机で向かい合って話すいつもよりも随分近い距離にファイルを胸に抱き少しだけ身を引きお礼を言う名前。それに気付いた業はすかさず距離を縮め棚へと背を預ける名前に軽く腰を折り顔を近付ける。

「こら。やめなさい」
「ええ、なにが?」

正面が塞がれた為横へと逃げようとするが頭の真横の、棚へ付いた業の腕が邪魔をする。
惚けたように笑う業を下から睨み上げるがその表情は彼を悦ばせはすれど自粛させる事は無いだろう。

教わる。E組で担任含むあの教師達から教わる事と言えば大半が暗殺に関する事だ。例えばそうなったとして、自身の担任を殺す為、暗殺者としての技術を学ぶのか__彼女が。無論学んだ事がこれまで暗殺以外の場でも生きているのは確かだが、それでもやはり彼女はこうして小さな身体で白衣を着て他の教師とは少し違った立場で教育者として凛としている方が良い。

例えばもし彼女が今より少しだけ若く、自分があと少しだけ早く生まれていたなら彼女と自分の関係はどうなっていたか。今とはまた違う物になっていたのではないだろうか。

「名前ちゃんがもし俺と同じ歳で同じ学校で同じクラスだったらどうする?どうなってると思う?」
「君みたいなクラスメイトとは関わる機会もないかもね」

私はこうやって教師をからかったりしない真面目な生徒だったから、と早く解放しろと言わんばかりに突き放すが業に離れる様子はなくただ黙って頭を下げ名前の肩に顔を埋める。
窓の外からは体育の授業だろうか、合図の為に吹き鳴らす笛の音と生徒達の入り混じったような喚声と歓声が伝わる。耳を澄まさなければ聞こえない程度のそれは今は余りにも大きく、この部屋に広がり響く。

願っても叶う事のないもしもは考えれば考えるほどに埋まらない距離と現実を目の当たりにさせる。
言葉では突き放すのに追い掛ける自分から離れる事はないこの関係はあまりにも残酷で、あまりにも優しい。



「…ごめん言いすぎた」

すっかり大人しくなった普段見る事のない業の姿に少しばかり後悔をする。
ファイルから片手を離し業の頭に手を置くと不意を打たれたかのように肩を小さく揺らした。あやすように髪を梳くように数度撫でると擦り付けるように頭を揺らす。

「こんなところ見られたら名前ちゃんこの学校に居られないね」
「そうだね。最悪捕まるね」

今の時代教員に対する風当たりは強いからね、そう言いながら小さく溜め息をつく。



「でもやっぱり名前ちゃんは先生として此処にいてよ。俺の休む場所が無くなるし」

漸く顔を上げて企むようないつもの笑みを見せると部屋に響くチャイムの合図と同時に身体を離す。そのまま背を向け扉へ向かう業は一度振り向きまたね、と声を掛け部屋を出た。



業が居た机に残されたメモ帳に描いてある絵は掲示物として貼ってあるそれと大した違いは無い。

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