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歩き慣れない昼間の街はすれ違う独特のアクセントで溢れていて確かに今自分は繰り返される毎日から少し外れたほんの一瞬に居るのだと実感する。念の為にと各クラス担任と交換済みの自身の携帯番号には負いきれない程の目立った事件や事故は確認しておらず、ロビーにて雑談程度に行われた教員達による会議とも呼べない集まりを終えた今一つ肩の荷が下りたように吐息を漏らす。頭の中は既に荷物を運んである部屋で泥のように眠る事で一杯ですれ違う女子生徒への対応もそこそこにしつつ早足で廊下を進む。
鍵穴に狙いを定め手首を右へ捻ろうとしてふと思い出すのは人工的な物か否か、綺麗な赤色。白衣を脱ぎ捨て鍵を掛け何時ものあの場所を抜け出してから一度も目にしていない常連の問題児は研ぎ澄ました刃を収め果たして大人しくしているのだろうか。
ドアノブに手を掛けたまま数秒思索し先ほどの集まりどころか此方の宿泊施設には一度も顔を出して居ない彼等の担任を思い浮かべる。真面目で誠実そうな風貌でホウレンソウを怠るようには見えないがあの赤髪が何の問題も起こさず大人しくしているかと問われれば首を傾げたくなる。自ら騒ぎの種を蒔くような性格ではないが何かと絡まれやすくその中心となってしまうのは確かで。
他校の旅行生も多く集まるこの街で、昼間すれ違った着崩した制服と身体中に開けたピアスが目立つ好青年とは言い難い少年達の姿を思い出す。ああいうのは彼の大好物ではないか__
使い慣れた携帯のディスプレイで時間を確認し開けてしまった扉の鍵を再び締め直す。車という便利な交通手段は現在持ち合わせてはいないが歩いて行くにも決して遠くはない距離である。着いてすぐに確認済みの頭に入れてある彼方の旅館への地図を広げた。
「目立った怪我人や病人も居ないとの事で安心致しました。お疲れのところお時間いただきすみません」
「此方こそ、本来は此方から伺うべきところをわざわざお越し頂き申し訳ない。何か有りましたらご連絡致しますのでその時はどうぞ宜しくお願い致します」
教科書に載る手本のような綺麗なお辞儀をする彼につられて深く頭を下げる。自身の方が数年早く生まれた事など見るからに分かっているだろうに、そういった差など関係の無いように接する彼の姿には素直に好感が持てる。旅館に着いて身分を証明しその後ロビーへと呼び出して貰うか、部屋番号を尋ね直接向かうか、考えている内に着いた其処には入ってすぐに見覚えのある水色を見つけた事で解決した。
入り口付近の、顔を上げればすぐに視界に入る時計をちらりと見てソファーから立ち上がる。送っていくと言い同様に立ち上がる彼を制し対峙していれば後ろから第三者の手によって左手を寄せるように引かれる。
「大丈夫だよ、烏間先生。俺が送ってくからさ」
慣れない浴衣姿と上気したように赤くなった頬は風呂上がりからだろうか、何日かぶりに見る赤色は何処か別人のように感じるものがあって思わず彼の名前をぽとりと雫のように吐いた。
手を引き逃げる様に其処から離れようとする早足の赤を追いかけ振り向きざまに自分より歳上の彼に再び礼を言う。長居をしたつもりは無かったのに空は既に真っ暗で、三日月になってしまった月と星が幾つか輝いていた。
「怪我はしてない?君の事だからまた何か騒ぎに巻き込まれて喧嘩でもしてるんじゃないかと」
「だからこんな時間にここまで来たの?」
怪我以上の傷負って泣いちゃうのは名前ちゃんだよ、と言いながら歩く速さを緩めようとしない業は自動で開くあの扉を出た時から、強く握られたままのこの左手に触れた時から、此方を見ようとはしない。バツが悪くてそうする事はあっても怒ったように目を合わせない事は初めてで、違い過ぎる歩幅と握られた手の温かさにどうしようも無く不安を感じる。
「だって、君が怪我をしたら、誰が手当てをするの。私しか居ないじゃない」
追っても追っても合わない視線に意地になる。
立ち止まり、繋がれた手を強く引き、此方を向かせる。噛み合った視線は少し驚いたようで毒気を抜かれたように数秒固まったかと思えば子供のように吹き出し、静かな夜に気を使う気などさらさら無いように開けっ放しの笑い声を広げる。
ずっと怒っていたくせに、今度はそうだそうだと腹を抱えて笑い続ける業に静かに、とか、迷惑だから、とか何を言っても聞こえていないようだから左手を断ち切るように振り解き今度は自分が業を置いていくように早歩きで立ち去る。一頻り笑った後ごめんごめんと機嫌を取るように後をついて回る業の様子を見る限り彼の機嫌は戻ったようで安心と嬉しさで頬が緩む。
「でもさあ、まさにその通りって感じなんだよね。名前ちゃんしか居ないっての」
いつの間にか着いた彼方よりも大きめのこの施設にはまだまだ灯りが点いていて泊まっている彼等にも消灯時間などは意味のなさ無い事が分かる。礼を言う為見上げた彼の、はにかむように緩んだ頬と細めた目が街灯の増えたこの通りの人工的な灯りで照らされた。
「ほんとムカつくくらい好きだよ」
おやすみと言って頭を撫ぜた腕の先のその顔は彼の髪と同じ色で、素直に綺麗だと思った。
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