歩み寄り合ってすれ違う

 『金色の夜明け』の本拠地には、広く大きな図書室がある。
無数の本が集められた部屋は、静かで心地良い。
そんな空間であるから、図書室を好む団員も、少なくなかった。

 元来読書を趣味とするクラウスも、またこの図書室が好きだった。
背より高い本棚を回り、片手には収まりきらない程の本を抱えたクラウスは、その時ようやく、ひとつのテーブルに気がついた。
図書室の隅に置かれた小さなテーブルに向かい、無心で本を読んでいる彼女は、見間違えようが無い。

「……なまえか」
『金色の夜明け』に入団した、二人の下民の内のひとりが、周りの視線を全て無視して、本のページを捲っていた。

 先日の魔宮探索の折に、クラウスはなまえ達恵外界出身の魔道士の実力を認めたばかりだ。
足を止めて僅かに躊躇った後、クラウスは、テーブルを挟んだなまえの向かい、空いている椅子に手をかけた。

「……ここ、良いか?」
「……はい」
なまえは、本から視線を上げずに、短く答えた。
読書の邪魔をされたくない心理は、クラウスもよく分かっている。
自らが選んだ本を手に取って、クラウスもまた読書を開始した。

 無口な後輩が何を考えているか、クラウスにはいまいち分からない。
同じテーブルにつくことを許してくれた以上、なまえを遠巻きに見つめてひそひそと囁き交わす団員達よりは、心を許されていると思いたい所だが。

 だが、恐らく、まだまだなのだと思う。
同郷であり、同じ教会で育ったというユノの前では、なまえはよく口を開いていたと記憶している。
必要最低限の意思疎通しか成されない関係は、どう見積っても、心を開かれているとは言い難い。
クラウスとしては、そういう面も含めて、放っておけない後輩だと思う。
何とか、世間話でも交わせるくらいには、心を開いてもらいたい所なのだが。

 開いた本の内容に集中出来ないまま、クラウスは額に手を押し当て、重く息を吐き出した。
「……あの」
ごくごく控え目な声が、クラウスの真正面から聞こえた。
つまりは、テーブルを挟んで、クラウスの向かいに座ったなまえが、口を開いたのだ。
「……大丈夫、ですか」
眼鏡越しの瞳は、クラウスの方を向いていない。
短い言葉の意図を図りかねて、クラウスは困惑するばかりだ。

「さっきから、ずっと、読書が進んでいないようだったので。……あの、私が邪魔なら、すぐどこか行きますよ」
ふわふわと彷徨っていた視線は、なまえの手元に程近いテーブルの木目で止まった。
補足されたその言葉は、クラウスの思い上がりでなければ、心配するような色を含んでいたように思う。
最も、それは、『自分が目の前にいて不快ではないか』という、あまりに自虐的な心配であると思われるものだが。

「いや、平気だ。少し考え事をしていただけだ」
ともすれば、すぐにでも本を纏めて席を立ってしまいそうな後輩を慌てて押し留め、クラウスははたと気付いた。

「……お前は、随分と難しい本を読むんだな」
なまえの手中にあるのは、クラウスも一度読んだことがある本だ。
しかし、その内容や言葉選びは少々――否、かなり難解で、読了も出来ぬまま挫折する者も多かったと記憶している。
下民がこの本を読んでいると言いふらした所で、それを信じる者の方がずっと少ないような、そんな本だった。

 テーブルの木目を数えていたなまえの視線は、またふらふらと彷徨って、今度は手中の本の表紙に着地した。
「……はい。読書は、好きなんです」
金箔で装飾された題字をなぞる手付きは、恭しくも優しくて、クラウスは直感した。

 なまえは、心から本が好きなのだろう。
クラウスも、読書を趣味としている。
だからこそ、表紙に触れるその手付きだけで、なまえが心底本を愛していることを察してしまえた。
「そうか。ならば今度、その本について話さないか?」
なまえの瞳が、本の表紙を離れ、ようやくクラウスの方を向いた。
あどけなさを残す双眸が、丸く見開かれている。

「その本は、解釈が分かれる部分が幾つもある。なまえが良ければ、そういう部分について話がしたい」
なまえの瞳を真っ直ぐに見つめて、クラウスは一言一言ゆっくりと告げる。
「……私で、良いんですか」
言外に、下民であることの躊躇いを含ませて、なまえがぽつりと問うた。
その言葉には、なまえが『金色の夜明け』に入団してからの苦難が滲んでいるような気がして、クラウスは表情を僅かに歪めた。
同時に、先日まで、クラウスも彼女を傷付ける側にいたのだと思うと、何だか居た堪れない気分になった。

「言っただろう。お前達はクローバー王国の素晴らしい魔法騎士だ。遠慮する必要は無い」
ぱちりと、なまえの大きな瞳が瞬いた。
この少女は口数は少ないと思っていたが、代わりに表情がずっとお喋りなようだ。

「……はい」
口よりずっとお喋りななまえの表情が、嬉しそうにぱっと綻んだ。
どうやら、喜んでくれた、らしい。
後輩の、まだ知らなかった一面を目撃して、クラウスも微かに口元を緩ませた。

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