入江正一の時間旅行
倒壊したビル群。原型を留めていない都市。世界の終わりにも似た光景の中で、乾いた銃声が響く。
こちらに向けられた銃口を視認した瞬間、微かな音がして、胸元が重くなる。
「正、ちゃん……」
掠れた声が、聞き慣れた幼いあだ名を呼ぶ。
「……っ! なまえちゃん!」
手のひらに纏わりつく、命の色。荒廃して色彩を失いつつある世界の中で、いやに鮮明な、赤。
庇われたのだと――守られたのだと、ようやく理解した。
本当は、守らなければいけない人だったのに。守られてしまった。
一秒が永遠まで引き伸ばされたような、長い永い時間の中で、血に濡れた指先が、そっと頬を撫でる。
その手を取って、いかないでと懇願したけれど、彼女は淡く微笑んで、そうして、美しい一対の瞳は、永遠に閉ざされた。
「――なまえちゃん!」
叫んで、正一は跳ね起きた。冷や汗のせいか、寝間着のシャツがじっとりと肌に絡みついて、何とも不快だった。
夢は、脳のデフラグメンテーションであるというのが、現代科学の通説だ。記憶を整理する過程で見る、断片的な記憶の連続こそが夢であると、何人もの科学者が唱えた。
だが、この鮮明さはまるで、パラレルワールドの未来を覗き見た、十年前に近い。
オカルティックな説では、夢はパラレルワールドの自分を覗き見た映像だという話があっただろうか。今回に限っては、その説の方が余程説得力があるように思えた。
サイドテーブルに置いた眼鏡をかけて、正一は静かに息を吐いた。
夢は、夢だ。十年前の世界から、ボンゴレリングを持ってやってきた若きボンゴレのボスとその守護者達は、白蘭の野望を打ち砕き、あの恐るべき終焉の未来は回避した。有り得ないなんてことは、正一が誰より分かっているはずなのに、震える脚はなまえの無事を確認しようと、部屋の出口に向かっていた。
昨日の徹夜が堪えたせいか、正一は随分と眠っていたらしい。外は穏やかな昼下がりだった。緊張の連続だった日々をようやく乗り越えた実感を、陽射しの温もりが教えてくれる。
辿り着いたなまえの部屋からは、一切の音がしなかった。
醒めたはずの悪夢がフラッシュバックして、息が出来なくなる。
ごめん、と胸中で呟いて、ドアノブを回せば、鍵のかかっていない扉はすんなりと開いた。
レースで出来た純白のカーテンが、風を受けて穏やかに揺れていた。窓が開いているらしい。
部屋の中でも一等陽当たりの良い床の上に、毛布の塊が落ちている。
正一がおそるおそる近付いて、その中を覗き込めば、見慣れた顔が静かに寝息を立てていた。昼寝の真っ最中であったらしい。
正一の不安も恐怖も、何も知らない、健やかであどけない寝顔だった。陽射しは温かく、時折吹き抜ける風は爽やかで、昼寝には最適な環境なのだろう。
一度は胸を撫で下ろした正一だったが、今度はじわりと涙が滲んできた。
やっと守り切れたのだと、初めて思えた。
三度目のタイムトラベルで見た、荒廃した最初の未来世界では、なまえの命はもう失われた後だった。もう二度と、なまえを失わない為に。なまえを死なせない為に。必死に駆け抜けた時間が、今、実を結んでいる。
きっと、何度も間違えて、正解のルートを踏み外しそうになって、それでも色々な人の手を借りながら走ってきた道だ。何もかもが間違っていなかったとは、言えないが。入江正一の時間旅行の成果は、陽だまりの中でのんびり昼寝なんてしている。それだけが、全てだった。
正一は、眠りから覚めない大切な人の手のひらに指先を滑らせる。
柔らかくて、あたたかい。彼女の肌から、確かに生きている命の温もりが伝播する。
触れた手のひらを縋るように額に押し当て、正一はただ現在を噛み締めた。
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