かくなる上はストロベリー
冷房が程よく効いた家の中に、チャイムの音が響く。
例年通りと言うべきか、梅雨明けの発表はまだなされていないというのに、空気はじんわりと暑く、湿気が肌にまとわりつくようで不快だ。
こんな時に扉を開けて、わざわざ暑い空気を取り入れたくはないのだが、来客であれば仕方が無い。
重い腰を上げて玄関の扉を開ければ、そこに立っていた見慣れた姿に、緑間はあからさまにため息をついて見せた。
「……誰かと思えば、光帆か」
「何そのため息! 私に対して失礼じゃない!?」
「こんな暑い時に、顔を真っ赤にしてオレの家に来たお前には言われたくないのだよ」
光帆の家は、緑間家と大して距離が離れていなかったと思うのだが、光帆は不自然なほど顔を真っ赤にして、ハンカチでせっせと汗を拭いていた。彼女が現在非常に暑がっていることは、ひと目見れば明らかなほどだ。
光帆がどうしてそこまでして他人の家までやってきたのかは甚だ疑問だが、このまま突き返すのも気が引けて、緑間は二度目のため息を吐きながら、彼女を家に上げた。玄関に一歩足を踏み入れた彼女の第一声は、ひどく感嘆に満ちて間延びした『あー』で、緑間は声に出さないながら、然もありなん、と思った。
「緑間くんの家は涼しいねー。今日、予報では曇りだったから、いけると思ったんだよー? それなのに、曇りどころかこの日差しにこの暑さ! ほんと、嫌になっちゃう」
「家を出る前に、日差しが強いのは分かっていただろう。こんな時に外に出たお前にも非はあるのだよ」
緑間の部屋に上がるや否や、ぶうぶうと文句を垂れる光帆に苦言を呈してから、緑間はグラスに注いだ冷たい麦茶を差し出した。
世間は熱中症の搬送者数を毎日のようにニュースで取り上げている。放っておけば、光帆が本人の熱中症患者の数字に加わるのは明らかだった。今の光帆は、緑間の目から見てもそう思うような見た目をしていた。
間延びした声で礼を言ってから、光帆はグラスを大事そうに両手に抱えて、ゆっくりと麦茶を飲み干していく。頬の赤みはまだ引かないから、もしかするとただ暑いだけでなく、日焼けもあるのかもしれない。
「だってさあ。今日、七夕なんだよ。七月七日。今日外に出ないで、いつ外に出るのだよー」
「真似をするな。別に、いつだってあるのだよ」
「でも、緑間くんの誕生日は、一年で今日だけじゃん。別に、織姫と彦星が今年は会えるのかとか、どうでも良いけどさ。緑間くんの誕生日は、大事じゃん」
すっかり飲み干された麦茶のグラスを指先でなぞって、光帆は不貞腐れた様子でぼそぼそと言い訳する。結露した雫が指先で拭われて、透明なグラスに歪な模様を描き出した。
「ちょっとお小遣い奮発して、高いアイスも買ったんだよ。緑間くんの誕生日だもん。ひとりで寂しく食べる為じゃないもん」
「……待て、お前、アイスを買ったのか」
「うん。近所のコンビニまで、自転車飛ばしてきたよ。ほら」
光帆が、自慢気にコンビニのレジ袋を掲げてみせる。成程、随分と顔が赤かったのは、自転車を飛ばしてきたからだったらしい。運動すれば、気温の数値以上に暑くなるに決まっている。それは人体の摂理だ。
そうして真っ赤な顔でやってきたものだから、その顔にばかり目が行って、緑間も今の今までレジ袋に気が付けなかったのだろう。
いや、そんなことはこの際どうでも良かった。緑間には、もっと大事なことがある。
「……光帆、お前まさか、その中にアイスが入っているのか。この炎天下、自転車で持ってきたアイスが、あるのか」
「うん! 緑間くんと食べようと思って! ……あ」
そうして、光帆もそれに気付いたらしい。口を『あ』の形に開いて静止した光帆の手からレジ袋を引ったくって、緑間は吠えた。
「そういうことはもっと早く言うのだよ! アイスが溶けて流れ出たらどうする! 片付けるのはオレなのだよ!」
「ごめんってー! 緑間くんの家涼しいし、麦茶美味しいし、忘れてたのー!」
「忘れるんじゃないのだよ! 全く……」
言いたいことは山ほどあるが、まずは先にアイスをどうにかしないといけない。三度目のため息をつきながら、緑間はレジ袋を手に立ち上がった。
「……緑間くん?」
「冷凍庫に入れてくるのだよ。冷えて固まった頃に食べれば、問題は無いだろう」
「……ごめん、緑間くん。緑間くんに迷惑かけちゃった」
いつにも増してしおらしい物言いに、緑間が振り返れば、光帆が申し訳なさそうに俯いたところだった。
その姿に、更に文句と説教を重ねるのは気が引けて、緑間は喉元まで出かかった言葉の幾つかを飲み込んだ。
「気にするな。お前は麦茶でも飲んで、その火照った顔をどうにかすれば良いのだよ。冷める頃には、アイスも食べ頃になっているだろう」
「ん……。ありがと、緑間くん」
弱々しい声を背中で聞きながら、緑間はそっとレジ袋の口を開けて、中身を確認する。結露したパッケージには、光帆の言葉通り、少しお高いカップアイスのロゴが印刷されている。
緑間は、あの真っ赤な顔とアイスに免じて、文句は免じてやろうと少しだけ思った。熱中症の危険性と光帆の行動の迂闊さについては、説教の余地があるが。
説教が終わる頃には、溶けたアイスも固まるだろう。
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