ジュラルミンの鈍光

「あ、若村くん」

 夏休みの、街中。
偶然出会ったなまえは、向日葵の刺繍が鮮やかな、白いワンピースを着ていた。
腕には涼しげな色合いのトートバッグが下がっていて、お出かけという雰囲気が漂っている。
制服のプリーツスカートとはまた違う、ふわりと風に揺れるワンピースの裾に、麓郎は思わず逃げるように視線を逸らした。

 逸らした視線の先には、なまえが抱えるビニール袋がある。
細長い、ビニール袋。
ビニールは半透明ではあるが、その程度では隠しきれない色彩が、夏の陽射しの下で輝いている。

 その色彩の意味を、知らないと言えるような子どもだったら、どれだけ良かっただろう。
近所の花屋のロゴが印刷されたテープも、半透明のビニール袋も、その中の鮮やかすぎる色彩も、全部知らないと突っぱねてしまいたかった。

「……お墓参りに行くの。ほら、そろそろ夏休みも終わるし、さ」
菊の花。
肩をすくめて、おどけたようにわざとらしく笑ってみせるなまえの腕の中で、小菊の花束が揺れた。
竜胆と、カーネーションと、麓郎も名前を知らない夏の花を束ねた花束の中で、悲しいほどに小菊の白が映える。

「……そう、なんだな」
麓郎は、それだけを絞り出すのが精一杯だった。
一緒に行くとか、そんなことを気安く言える立場ではないと、麓郎は分かっていた。

「ほら、四年前の侵攻で、私のお母さん、死んじゃったから。今日はお母さんの為に、好きだったお花でも持って行こうかなって思ったの」
過去形だった。
死という現象を経て、故人にまつわる全ての動詞は、過去形になる。
もう二度と、現在進行形には戻らない。
ある意味では当然のことであるそれが、麓郎の心のやわらかい部分に刺さって、根を張る。

 なまえの母親のことを、麓郎は知らない。
知らないが、誰かの死に触れることに、誰かの死でもたらされる心の痛みに、麓郎はまだ慣れない。

 四年前の侵攻――大規模侵攻で、喪われた命は多い。
麓郎の周りも、近いところで言えば同じ香取隊のオペレーターである華だって、家族を近界民に殺されたひとりだ。
失われた命は、数字だけで見れば随分と多く、しかしひとりひとりに物語があり、物語の一端に触れた者の心に柔らかく刺さる。

「若村くん、確かボーダー入ってるんだよね。頑張ってね。じゃあ、また学校で」
「……ああ、頑張る。またな」
また、と言ったのは、祈りに近かった。
これで、じゃあな、とでも言ったなら、もう二度となまえに会えないような気がした。
きっと、そんなことは無いのに。

 世界は絶えず回っているけれど、たとえば麓郎の伝える言葉ひとつで、なまえの未来は変わらない。
なまえの未来がどういう風に広がっているものかも、麓郎には分からないが。
ただ、夏の気配が色濃い街中で、なまえだけがやけに儚く見えたのも、麓郎にとっての事実だった。

 街路樹のどこかにしがみついた蝉が、鳴いている。
名前も知らない小学生が、水着の入ったビニールバッグを振り回して、市民プールまで駆けていく。
夏だ。全ての生き物が生きている、夏だ。
白いワンピースを着たなまえが、今にも消えてしまいそうな儚さを帯びて微笑んでいる、夏だ。

 なまえのサンダルが、一歩を踏み出した。
すれ違った瞬間、彼女からは菊の香りと線香のにおいがした。
なまえがずっと腕にかけていたトートバッグには、墓に供える為の線香が入っていたのだと、麓郎はこの時初めて気がついた。

 生の気配に溢れる街中を、なまえは線香のにおいを引き連れて行くのだろう。
故人に手向ける花束だけを道連れに、なまえは独りで墓地に向かう。
それを思えば、麓郎の胸は身勝手に痛んだ。

 街は、生きている。
なまえの母親だけが、この街で全ての時間を止めている。
菊の花が薫る独特の香りだけが、やけに麓郎の周りに滞留していた。

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