科学世紀とカフェテラス
「正ちゃん、それ、好きだよね」
それ、とはつまるところ、旧時代的な有線のヘッドフォンのことだ。
線の要らないオーディオデバイスが発明されてから、数年。人類は、既に大半がそちら側――無線側に寝返った。有線ヘッドフォンのコードというものは、それほど人類の行動を制限するものだったということらしい。
今や、ショップでも有線のオーディオデバイスはすっかり売り場を侵食され、隅っこの方に何とか居場所を残す程度になってしまった。それでも、完全なる絶滅に追い込まれないで保っているのは、向かいの席でギターの音をヘッドフォンから漏らしている、幼なじみのような人類のおかげだろう。
「有線は音が良いんだよ」
「音が良くても、びーんって引っ張って断線したら終わりじゃん」
「扱いが良ければ、そんなに簡単に断線しないんだよ」
つまりは、遠回しに、『お前のオーディオデバイスの扱いは雑だ』と言いたいのだろうか。反論したいが、人生において何本も有線のオーディオデバイスを断線させ、おまけに無線のオーディオデバイスでさえも、度重なる落下で先日破損させて泣く泣く買い換えたばかりの私に反論の余地は無い。反論の余地は無いが、単純に悔しいので、テーブルの下でこっそり足を蹴った。途端に上がった、痛い、という恨みがましい悲鳴で少しだけ溜飲が下がったので、良しとする。
こちらを見つめる恨みがましい目を遮るように、私は日本から取り寄せたテキストを開いて、視線を落とす。
相対性精神学の研究はどの国でも進められているけれど、この度、日本における相対性精神学の著名な教授が本を出したというのだから、これを読まない手は無い。
表紙のタイトルを読んだ正ちゃんは、明らかに何かを言いたそうな顔をする。例えるなら、罰ゲームですごく苦いジュースを飲まされたような顔。苦虫を噛み潰したような、という慣用句はよく言うけれど、それよりもっとカジュアルでライトで、しかししっかり苦そうな顔だった。
「……なまえちゃんは、いつも難しそうな本を読んでるね。それ、相対性精神学? だっけ?」
「正ちゃんの機械工学だって大概でしょ。いつも端末で難しい論文とか図式ばっかり見てるの、知ってるんだから」
正ちゃんは、オーディオデバイスこそ旧時代的でアナログな有線を使っているくせに、電子書籍の愛用者だ。音楽はアナログなのに、本はデジタル。ちぐはぐだ。
それを言ったら、音楽は無線のオーディオデバイスで楽しんで、本は紙の書籍を愛読する私だって、大概ちぐはぐなのだが。
「機械工学は……だって、なまえちゃんの読んでる本よりは、簡単だよ」
「そりゃ、正ちゃんの専門は機械工学だもんね。私から見れば、あんな図面だけで色々分かっちゃう正ちゃんの方が不思議だよ」
科学技術は、この半世紀ほどで目まぐるしく発展したのだという。当然、物作りの根幹を支える図面というものは、作り出すものの複雑化に合わせてどんどんと複雑怪奇になっていった。正直、私には何を見せられてもとんと理解が出来ない。
正ちゃんは、図形ともつかない設計図と、数式と、あとは私もよく分からない何かをもって、正しい形を導き出してしまうのだから、何ともオカルティックだ。機械工学は学問として成立している以上、決してオカルトではないと、正ちゃんは言うだろうけど。私から言わせてもらえば、立派に
正ちゃんは、たとえば、今このカフェテラスで縦横無尽に労働中のスタッフロボットの図面を見せられても、色々分かっちゃうんじゃないかと思う。その『色々』が何かさえ、私には分からないのに。
白くてふわふわのヘッドドレスで飾られた、だいぶディフォルメされた造形のスタッフロボットがこちらを向いた。スタッフロボットに備え付けられた配膳用のトレイでは、よそのテーブルに運ぶのだろうホットコーヒーが湯気を立てていて、私もコーヒーでも飲もうかな、なんて思った。
私が相対性精神学の本に栞を挟んで閉じたのと、正ちゃんが有線のオーディオデバイスを首から外したのは、多分きっと同時だった。
「……なまえちゃん、コーヒーは?」
「奇遇だね、正ちゃん。私もそれ、聞こうと思ってた」
時代も、文化も、科学技術も、目まぐるしく変遷する科学世紀であっても。アナログとデジタルが交差する現代であっても。全てのツールを一旦横に置いて向かい合うというのは、誠実な会話の象徴である。
音楽も、本も一旦全部隔離した私達は、テーブルを挟んで顔を突き合わせ、本日のスイーツについて話題を移行させる。
「なまえちゃん、今日のスイーツ、天然イチゴのケーキだって」
「えー、それも美味しそう。今日はプリンにしようかと思ってたのにー」
少しずつ、人の意識や思考さえ変わっていく世界だけれど。カフェテラスのスイーツが美味しいのは、いつだって不変の事実だ。
無数の選択肢を前に、文字通り頭を抱えて悩む私を、正ちゃんが笑っていた。