通商会議前日譚
「マゴリア、居るか?」
「はい……あ」
迎賓館の『皇宮護衛官』として充てられた個室をミュラーがノックすれば、ややあって正装からメイド服に着替えたらしいマゴリアが扉を僅かに開けて顔を覗かせ、ミュラーの訪問に些か驚いた表情を浮かべた。更に扉を開けて半身を出したマゴリアは、しかし直ぐに表情から感情を消して遠慮がちに彼を見上げる。
「あの……何か」
「オリビエが逃げた」
昼食会で猫を被り、大人しくしていたと思っていたらこの様だった。ある意味この展開を予測していたマゴリアは、それでも僅かに俯くと頭痛を押さえるように目頭を揉む。
「恐らくはクロスベル市内に繰り出したのだろう。俺は今から追いに行く、お前は―――」
「私は明日の通商会議に向けて市内に危険が無いか調査へ向かう所でしたので、そちらに関しては貴方に一任します。もしその道中でオリビエ様を発見した場合、速やかに確保をしてエニグマで連絡致しますので」
目頭を押さえていた手を下げ、マゴリアは言葉尻を被せながらきっぱりと言い切る。顔は下げたままで、ミュラーと視線を合わせようとしない。
「………………そうか」
では、とマゴリアは一礼すると扉を閉めようとする。けれど扉が閉まり切る直前にミュラーは扉を掴んで静止させた。
驚き、目を見開いてマゴリアはミュラーの顔を見上げる。そこには何時になく険しい顔をしているミュラーが居て。
「マゴリア―――どうして俺を避けている?」
「え……」
数度目を瞬かせ、マゴリアは軽く首を振った。
「避けている……?いえ、そんな事は……」
問い質すようにミュラーは重ねて続ける。
「お前は何時も話す時に相手の目を見る。だが今はどうだ?俺を全く見ようとしない。……俺は見ての通りの性格だ。何か不都合な事を俺がしていたのなら―――」
「何も」
遮り、マゴリアが呟く。
それは明らかな拒絶の色を含んでおり、マゴリアは俯いて続ける。
「何も、御座いません。ですので失礼致します」
止める間も無く、冷たく扉は閉められてしまう。残されたミュラーは暫く扉を見つめていたが息を吐き、踵を返した。
「……っ、痛……」
ズキリと痛む右の足首を押さえ、ベンチに腰掛けているマゴリアは背凭れに寄り掛かると宛てが無さそうに空を見上げた。このクロスベルは高層の建物が多く、見上げる空は狭い。
メイド服からパンツスタイルの私服に着替え、特別に許可を得てアルカンシェルの内部を回ったり、危険性が無いか市内をくまなく探索していたのだが、駅前に差し掛かった所で履いていたハイヒールの踵部分がボキリと根元から折れてしまっていた。その際に足首を捻ってしまったのと高い踵のハイヒールだった事が災いして歩く事が困難になっており、途方にくれた様子でマゴリアは溜息を吐く。
「でも……」
頭を冷やすのには十分だろう。マゴリアは瞑目して空から目を離すと俯く。
夕方のクローディア殿下との話し合いまでには平常心を取り戻さなくては、とは思うものの、どうしても先日のオリビエの一言が頭から離れてくれない。
やはり彼には『彼女』の方がお似合いなのではなかろうか。こんな日陰者の暗殺者よりも、陽の下にいるあの人の方が。
いや、そもそもが可笑しかったのかも知れない。父親や兄達の言う通り、自分が『こんな感情』を抱く事が。だったら、いっそ―――
「あの、どうかしましたか?」
これは自分に掛けられた声だろうか。そう思いマゴリアは顔を上げ、目の前に立つ一人の青年が心配そうに此方を見下ろしている事に気づいた。
明るい茶色の髪をしたその青年に既視感を覚えたマゴリアは少し思案し、彼が事前調査の書類で見た例の『特務支援課』のリーダーであるロイド・バニングスだという事に気づいた。きっと見回りか何かの最中で、その途中で体調の悪そうなマゴリアを見かけた為声を掛けたのだろう。実際は違うのだが。
「ああ、いえ、大丈夫で御座います。ご心配をおかけして申し訳ありません」
と、言った所で右足に体重を掛けてしまい、ズキリとした痛みが走ってマゴリアは顔を顰めてしまった。察したロイドはその場に屈んでマゴリアに一言断りを入れると彼女の右足首にソっと触れる。
「いっ……」
「腫れてますね……ヒールが折れた時に挫いた、という感じですか?」
「……はい」
傍らの地面に置かれた、片方の踵が根元から折れたハイヒールを見たロイドの推察にマゴリアは小さく頷く。ロイドは手持ちの物で何か手当出来ない物かと上着のポケットや所持品を確認してみたが生憎と今日は持ち歩いていなかったみたいであり。
よし、と頷くとロイドは立ち上がる。
「支援課のビルに戻れば簡単な手当が出来ると思うので、失礼ですがお連れしても?」
「えっ、い、いえ……そこまでして頂くわけには……」
恐縮するマゴリアにロイドは少し厳しい顔をし、
「怪我をしている女性を見捨てる方が問題です」
反対意見は聞かないぞと言わんばかりの気迫だ。ロイドは頑として意見を曲げないつもりらしい。
マゴリアは溜息を小さく吐くと傍らに置いておいた壊れたハイヒールを持つ。
「それでは……お願いします」
「はい」
にこりとロイドは笑い、マゴリアの腕を取った。
ロイドの肩を借りて支援課のビルまで行けば他のメンバーは居らず、ガランとしていて。入口近くのソファに座らされたマゴリアは目の前に屈んだロイドの手当を受けていた。
湿布を貼り、足首を固定する為に添え木を当てられ包帯で固定される。処置の具合を確かめたロイドは使った救急箱の蓋を閉じるとソレを持って立ち上がる。
「……よし、っと。これで大丈夫ですかね」
「本当に有難う御座います。ロイド様」
まさか『様』付けで呼ばれるとは。名前を聞いていなかったが、一体どんな高貴な出自の人なのだろうか。
そこでふと、ロイドは気付く。
「あれ?俺……名乗りましたか?」
ロイドはマゴリアに出会ってから今まで名乗った覚えがない。にも関わらず自分の名前を知っていると言う事は『クロスベルタイムズ』に載っていた自分達の記事でも読んだのだろうか。いやでも、記事でも名前は出ていなかった筈だ。
するとマゴリアは居住まいを正し、深々と頭を下げる。
「噂の特務支援課、と聞き及んでおりまして。僭越ながら多少調べさせて頂きました。―――エレボニア帝国、皇帝ユーゲント様が長子、オリヴァルト・ライゼ・アルノール様専属の『皇宮護衛官』を務めさせて頂いておりますマゴリア・ソネットと申します」
「皇宮護衛官……」
聞き齧った事がある。帝国には皇族やその方々が住まう屋敷や宮殿の守護をする一族がいると。それがまさか目の前の人物だとは。
けれど今は『ゼムリア大陸通商会議』の真っ只中だ。オリヴァルト皇子もこのクロスベルにやって来ている。彼女がこの街にいてもなんら不自然な点は無い。
ロイドは救急箱を机に置くと、マゴリアが使っていない方のソファに腰を下ろす。
「本日は明日の通商会議に備えて市内を巡回していたのですが……その道中で履いていた靴の踵が折れてしまいまして」
「それで挫いてしまったんですね」
マゴリアは頷く。
「正直、どうやって迎賓館に戻れば良いのかと途方にくれておりましたので……本当にロイド様には感謝の言葉もありません」
「いえ、俺は特務支援課として当然の事をやったまでですから」
また頭を下げようとしたマゴリアをロイドは慌てて手を振って止めさせる。
しかしロイドは手を下げ、不意に真面目な表情になるとマゴリアの顔をじっと見た。そしてボソリと、けれど確信を込めた声色で切り出す。
「……何か、悩み事でも?」
「え―――?」
マゴリアが灰色の目を見開く。しまった、初対面の人にずけずけと接しすぎてしまったかとロイドは慌てて謝ろうとするが―――
「驚きました……ロイド様は大変な慧眼でいらっしゃるのですね」
「えっ?」
今度はロイドが驚く番であった。素っ頓狂な声をあげるがマゴリアは感心するように頷く。
「流石は特務支援課のリーダーで有らせられるお方で御座います。……その、私はあまり感情表現が得意ではありませんので、初対面で表情を見ただけで悩みを看破されるのは初めてで御座いまして」
「……では、何か?」
あるのだろうか、彼女を悩ませる何かが。
そう込めながら伺えば少し考え込んだ後、マゴリアは小さく呟いた。
「悩みと言うか、少し考えていた事なのですが…………想っている方が、いまして」
ぽつり、ぽつりとマゴリアは続けていく。
「けれど―――陰である私なんかが彼を想っていい筈がなかったのです。明るい陽の下に居る者ならそこに居る者同士が想い合えば良いのです。それが一番自然で、正しい事象で」
不相応な願いや想いなど、捨ててしまえばいい。
自嘲気味に、吐き捨てるようにマゴリアは締める。
「……俺はマゴリアさんの生い立ちや事情を知りません。貴方が『何か』を抱えているのだろうと言う事は分かりますが、それの重さや深さを測ることは出来ないでしょう」
神妙な面持ちでロイドは言う。
「けど、その上で言わせて頂くのなら―――マゴリアさん、貴方自身はどうしたいんですか?」
「私……自身が?」
そんな事は考えてもみなかった、と言うような顔でマゴリアは呟き、ロイドは首肯する。
「マゴリアさんは客観的……第三者と言うか、劇の観客席から舞台を見ているような物事の考え方をしているなと感じました。そして、その上で自分自身の価値を最下位に置いている、危うい人だなと」
自身の価値を何事よりも下に置くというのは『自分よりも大切なモノが沢山ある』と言い替えても良いだろう。
しかし裏を返せばそれは―――時として自分の命すら惜しまずに捨てるという事でもあり。
だからこそ、その危うさをロイドは指摘する。
「答えはマゴリアさん自身が『どうしたい』のか考えれば自ずと見えてくるんじゃないかと……って。すいません、こんな若造が偉そうに」
頭を掻き、申し訳なさそうに軽く頭を下げたロイドにマゴリアは首を横に振った。
「いえ、貴重なご意見有難う御座いました。やはりロイド様にご相談して良かったなと」
「そんな。……でも、マゴリアさんのお力になれたのなら良かったです」
マゴリアがゆっくりと立ち上がり、ロイドはサッと立つとマゴリアを支える。
「途中まで送りますよ」
「有難うございます。……それでは、港湾区までお願い致します」
「はい」
ロイドに支えられながら、マゴリアは特務支援課のビルを後にした。