伽藍の洞
貴族連合旗艦・パンタグリュエル。
流石は旗艦と言うべきか。パンタグリュエルはそこら辺の飛行船よりも規模が大きく、そして贅を凝らした豪奢な内装をしていた。四大名門や皇族が滞在していると聞いても何らおかしくはない程、置いてある調度品や内装のレベルが高い。そんな船の中を歩きながら、リィンは色々な人物と会話をしていた。
結社『身喰らう蛇』第七柱が直属部隊・『鉄機隊』のデュバリィ。執行者『劫炎』のマクバーン、『怪盗紳士』ブルブラン。猟兵団『西風の旅団』のゼノ、レオニダス。『帝国解放戦線』のヴァルカン、スカーレット、そしてZ組の学友でもあり解放戦線リーダーのクロウ。
他にも滞在している者が居るらしいが、リィンが探している人物はなかなか見当たらなかった。マクバーン曰く、この船に乗っているのは確かな筈だが。
「俺が全部『混じってる』んなら――あいつは『半分』混じってやがる。綺麗に、きっちりな。まあ、あいつからしてみれば『混じった』じゃなくて『混ぜた』が正しいんだろうが」
楽しげに笑うマクバーンから言われた事が脳内で再生される。
『外の理』とやらの力を己に取り入れた、第八の使徒。ほんの少し前まではリィン達の側で見守り、助けてくれていた頼れる教官。それと同時に遊撃士であった人物――フラン・カストール。
貴族連合がトリスタを襲撃してから姿を消した彼女は『フラン・カストール』であった痕跡を全て消し、結社に戻っているとの事だった。何も言わず、何も残さず。
だから彼女の口から直接理由を聞きたかった。何故裏切ったのか。何故結社に身を置いているのか。何故――敵だったのなら、あんなにも自分達に親身に接してくれていたのか。
姿を探して先程から貴賓区画を歩き回っているが、影すら見つからない。ひょっとして下船しているのか、別の区画にいるのか。だとしたら移動してみるか、時間を空けて探してみるかと思案していると、その姿は今まで探してた時間が嘘のように現れた。
貴賓区画の大きな通路の壁際。そこに彼女は腕を組んで寄りかかっていた。あれ程長かった銀髪は肩にかかる程の長さに切られており、騎士めいた蒼い装束も黒で統一された露出の無い服に変わっている。
銀に黒。そのコントラストはとても似合っているように見えるが、リィンにはそれが一種の拒絶にも思えた。全てを飲み込み、浸食する黒。何にも染まらない色。それは結社に身を戻した彼女の心境を表しているようで。
「……フラン教官」
歩み寄り、声を掛ける。瞑目していた彼女は片目を開け、リィンを目に留める。
「……『フラン・カストール』は死んだ。此処に居るのは蛇の使徒・第八柱だ。故に、教官と言われる筋合いは無いが」
静かに、はっきりと告げられる。その声音に拒絶の色が含まれていたが、リィンはゆっくりと首を横に振る。
「それでも、貴方が俺達を導き、指導してくれた事実は変わりません」
「……頑固だな、君は。ならば好きに呼びたまえ。そこまで固有名詞に拘りは無いからな」
「では、教官のままで」
目の前の彼女からは肯定の言葉も否定の言葉も帰ってこない。『前』の彼女だったら冗談の一つや笑みの一つが帰ってきただろうに。まるで今のリィンの言葉で会話は終了だと言うかのように再び目を閉じてしまった。
会話する気がないのだろうか。ならば、とリィンは近くにあるソファを指し示す。一人がけの豪奢なソファが二脚、丸い小さなテーブルを挟んで向かい合わせに並んでいる。
「少しお時間を頂いても宜しいですか? 二、三、聞きたいことがあります」
「……良いだろう」
今度は両の目を開け、フランは示されたソファへと向かう。深く座り込んで足を組む動作は非常に優雅だったが、どこか気怠げな印象を与えてくる。
反対の席に腰掛ける。フランが膝の上で手を組み、口を開いた。
「で、聞きたい事とは」
「……『何時』から貴方は結社の人間だったんですか?」
フランは僅かに両目を眇める。
「…………『君』も同じ事を聞くか……」
「え?」
苦虫を噛み潰したかのような苦々しい声は非常に小さく、リィンの耳まで届かなかった。聞き返してみたが「何でもない」と言われてしまった。
フランがソファの背もたれへより深く背中を預ける。
「何時から……と言われれば最初から、としか言えないな」
もう二十年近くなる昔の事だ。隣国のとある大佐の暗殺任務を依頼され、逆にぼっこぼこに打ちのめされたのは。
あっさりと刺客を撃退した男は返り討ちに遭って地面に転がっているフランに説教を始めた。そんな若いのにこんな仕事をするのは良くないだとか、もっと真っ当な仕事をしろだとか、他にも色々言われたがとうに忘れた。そしてあろう事かその男はフランを小脇に抱えると何と帰路を辿ったのだ。あの時の衝撃は今でも忘れられない。
それと同時に、湧き上がった気持ちがあった。
悔しい。血反吐を吐く程の研鑽を重ね、数多の戦場を蹂躙し、骸の山を築いたというのに、全く歯が立たなかったのだ。
あの努力は無駄だったのか? 死ぬような思いをしながら、或いは実際に死の淵に立たされる事態に晒されながらも必死に身につけた力は無意味だったのか? 男──カシウス・ブライトに引き取られた先でフランは何度も考えた。
その時だ、道化師が声をかけて来たのは。
『もっと力が欲しくはないかい?』と。フランは一にも二にもなく頷き、道化師の手を取った。強くなれるのなら、手段は選ばないと。
それは『フラン・カストール』が生まれる少し前の話。苗字のない、ただの『フラン』だった時に起きた出来事。
だから『最初から』なのだ。遊撃士になってからではなく、猟兵団に属していた時からでもない。何者でもない『フラン』の時だったからこそ『最初から』だと、少なくとも彼女自身はそう捉えている。
「だからもし、私が君を裏切ったと思っているのならそれは勘違いだ。裏切るもなにも、私は最初から結社の人間だからな。家を出れば家に戻るのが道理だろう?」
「……では何故、このタイミングで結社に戻ったんですか?」
「ああ……」
何か探すように周囲を見回し、目的のものが見えなかったのか。姿勢を直してフランは言う。
「クロスベルに出現した碧い大樹。君も知っているだろう」
「はい」
一ヶ月前になる出来事か。帝国に隣接しているクロスベル自治州に未知なる碧い大樹が出現し、クロスベル市全域を覆うように不可侵の結界が生まれたのは。そして巨大なスプーンで抉り抜くように、綺麗にガレリア要塞の殆どを消滅させてしまうような攻撃を繰り出してきたのは。
「碧の大樹の出現。巫女の覚醒。失われし至宝の再現。それは盟主の望む『幻焔計画』が次の段階へ進んだ事を示す顕れだった」
端的なワードを重ねて、言葉として形成する。喋る事が億劫だというように、他者との交わりは極限まで減らしたいと言わんばかりの話し方はリィンの知るフランの像とはかけ離れていて。話に耳を傾けながらもひしひしと感じてしまう。
──ああ、もうこの人は自分たちと同じ道を歩まないのだろうと。例え共に戦う場面が来たとしても二度と『こちら側』には戻ってこないのだろうと。
フラン・カストールという一人の女性は確かに死んでしまったのだろうと。
「顕現は、合図でもあった。遊撃士としてではなく、蛇の使徒として計画を進めろというな。だから戻った。……まあ、私は帝国の件に関してはノータッチでクロスベルを任されていたから、君には内戦勃発と同時に消え失せたように映っただろうがね」
最もです、とリィンは頷く。それに顔色を変える事もなくフランは次を促した。
「俺たちに接したのも、親身になってくれたのも、全部嘘ですか?」
問いかけてから、そういえばこの質問と似たような事を先月やったな、とリィンは脳の隅で思い返す。
特別実習や旧校舎探索などの目まぐるしい事に追われつつも、確かに存在した穏やかで暖かな日常。先月聞いた者には全てフェイクだと言われてしまったが、果たして目の前の人物は。リィンは言葉を待つ。
目を瞬かせたフランはそれでも表情を戻すと、一つ息を吐いて言葉を紡ぐ。
「『前』にも言ったが……遊撃士としての私は本心で、なんの偽りや思惑もなく振舞っていた。君に接していた時の気持ちはホンモノだ」
本物。嘘偽りのない本心。予想していた悪い反応が返ってこなくて安堵すると同時にリィンは一つ疑問を抱いた。
「あの、この質問をフラン教官にするのは初めてだと思うんですけど」
「────────」
フランが目を見張る。リィンからしてみれば今の今まで大きな反応を出さなかったが為に、やけに大きな反応だなと感じる。さながら静かな水面に大きな石を投げ入れたような気持ちだ。或いは、伽藍堂の空間に一つの音が響き渡ったような憶え。一切を排除した静かな空間に響く音は、それはそれは遠くまで聞こえることだろう。
──一切を排除した伽藍堂。ふと思い浮かんだその言葉を反芻する。まるで今のフランを表しているかのようで。
「……さて、これがで君が示した二、三の質問とやらが終わったわけだが」
「あ」
確かに。聞きたかった事は聞いたし、これ以上は最初に提示した個数から飛び出してしまう。リィンが考え込んでいる平素を取り戻したフランは肘掛けに肘を置きながら告げる。リィンは少し考え込み、
「……マクバーンが貴方を『半分混ぜた』と言っていました」
リィンが言わんとしている事を察したのか、「ああ」とフランが何かに気づいたように声を上げる。そうして自身の胸元に手を当てた。
「あいつの言う通りだ。私は『外の理』に属する力をこの身に半分取り込んだ。『劫炎』と『剣帝』が盟主より魔剣を賜ったように、私は力そのものをな。主武装は既に持っているからな。その力を取り入れ、代わりに私は人間性を廃棄した」
「人間性……?」
「三大欲求が不要となったな。些か休息は有するが、睡眠は必要ない。負傷してもすぐ修復する。寿命も伸びただろうし、恐らく死なない。余程の事でもな。マクバーンの焔のようにアーツでも、聖痕でもない力も使えるようになった」
「……そうですか」
なんとなく理解は出来た。『外の理』を取り入れた事によって超常的な力を有した反面、大凡『人間らしい』事を放棄したようだった。彼女の反応が妙に薄いのも人間性を捨てたからかも知れない。ただ単にそういう素振りをしているだけかも知れないが。
「貴重なお話、ありがとうございました」
立ち上がり、リィンは深く礼をする。それを横目で見やり、そして目を瞑る。
「……私は幻焔計画遂行の為にこの船に乗船している。故に君がどんな行動を取ろうとも関与しない」
ぼそりと呟かれた言葉にリィンは顔を上げ、僅かに笑む。それはきっとリィンがパンタグリュエルから脱走を図ろうとも邪魔をしないということだろう。言い返せば手助けもしないという事だが。
「ありがとうございます、フラン教官」
もう一度礼をし、リィンは踵を返した。