#05


「あー、眠い……」

『マスター、気を緩めないように。学校には三人もマスターが居ますよ。油断をしていたら殺されるのはこちらです』

「三人?それって士郎と遠坂さんでしょ?一人は誰か分からないけど……実質敵陣営は二つじゃん。放課後に気を付けてればそうそうピンチにはならないと思うけど」

『マスターは衛宮士郎とセイバーが敵に回らないと?』

「士郎が聖杯欲しさに他を殺し尽くすってのが想像出来無いしねー。わたしも士郎とは戦いたくないし」

欠伸混じりにそういえば呆れたようなため息が飛んでくる。どうせ楽観的だとかと言いたいんだろうと察しつつ、桐茴は通学路を歩き、坂の上にある学校を目指す。
さて、一限目の授業は何だったかなと考えつつ桐茴は坂を登りきると校門を潜り―――

「―――!」

血に触れたかのような、ねっとりとした感覚が桐茴の肌にべっとりとまとわりついて桐茴は表情を歪めた。まるで巨大な生物の消化器官の中に居るみたいだと、些かどうかと思う考えをしながらも桐茴は注意深く立ち止まって周囲を注意深く伺う。登校している他の生徒はこの異常事態に気付いた様子もなく、楽しげに歓談しながら、或いは眠たげに校舎へと向かっていて。

『……極めて高度な結界が学校全体を対象として発動していますね……酷い魔術です。学校にいる生徒や職員達を残らず融解して糧にする気なんでしょうか。系統としては断定出来ませんが恐らく古代ギリシアかと。先日のキャスターとは別の者ですね』

耳元で霊体化しているキャスターが囁いてくる。

「キャスターのアレよりも数段凶悪って事?」

『そうですね、これが発動してしまえば登校している者は残らず結界を張った者の糧になるでしょう。魔術師ではない、抗魔力の無い一般人なんて一瞬でしょうね』

「……っ、惨い事を……」

低く唸る桐茴。と、ここで一つ気づいたことがあった。何でもない体を装って下駄箱に向かいつつ、桐茴は小さな声でキャスターに問う。

「発動してしまえば、って……まだこの結界、準備段階って事?」

『そのようですね。発動に時間が掛かる分、凶悪な結界……目算ですが、一週間程で完成するでしょう』

「だったら……!」

まだ打つ手はある。閃いたとばかりにキャスターの居る方を横目で見やれば、見えない姿が揺らめいた気がした。

『はい。発動までに何とかすれば、最悪の結果は免れる……マスター、命令を』

ニッと笑い、桐茴はそれを口にした。

「マスターとして命令する。キャスター、この結界の調査を」

『畏まりました』

ふ、と傍らからキャスターの気配が消える。さて、と桐茴は下駄箱までやってくると己の所から上履きを取り出して履く。
キャスターなら今日中に結果を出してくれるだろう。そう思いながら桐茴は教室へと急いだ。



――――――




『結果から言えば、この結界の解除は張ったサーヴァントかそのマスターを撃破しない事には出来ないでしょう。既に展開された結界を魔術だけで解除するには相当の魔力と時間が必要になります』

「え、じゃあ手の施しようが無いって事?」

『いえ、この結界は幾つかの起点を用意する事で発動する結界です。起点に私の魔力を注ぎ、効力を弱める事は可能でしたので実行してきました。不完全な状態になりますので、使用者が余程追い詰められない限りは発動されないでしょう』

「術とか結界とか、やっぱ完全な状態で行使したいもんね」

キャスターの所見を聞きながら桐茴は人の居なくなった廊下を歩く。なんでも今日は下校時間が早まっており、部活動も全て中止だ。まあ、桐茴は無所属なので部活があろうが無かろうが直帰なのだが。なので士郎と一緒に帰ろうと思ったら士郎は用事があるらしく学校に少し居残るとの事。仕方なく、一人で(霊体化しているキャスターを含めれば二人で)歩きながら下校している。
廊下を歩き、階段を降り、下駄箱で靴を履き替えてまた歩き、校門を潜った時だった。キャスターが警戒した雰囲気がマスターとサーヴァント間のパスによって伝わってくる。どうしたのかと傍らを見れば、キャスターは後方を振り向いて校舎を注視している様子が分かった。

「キャスター、どうしたの?」

「……今、途轍もなく嫌な予感が……」

「えー?なにそれ―――って」

半分疑うような、少し小馬鹿にした笑みで桐茴は笑ったが次の瞬間、勢いよく校舎の方へ振り向いた。
立て続けに発射される小さな魔力の塊。校舎の二階付近から感じ取れたそれは桐茴自身、とても身に覚えのある魔術の一つだった。理解した途端、スカートの端が翻るのも構わず桐茴は全速力で校舎に向かって駆け出す。

「ああ、もうっ!!」

靴を履き替えるのがもどかしい!と桐茴はローファーのまま校舎に上がった。土足で綺麗な廊下を疾駆する。

「さっきの、ガンドだよね!北欧の!!」

『はい、そして校舎から―――セイバーのマスターと、アーチャーのマスターが残っている気配を感じます。恐らくは、』

「遠坂さん……!!」

足に『強化』を施し、大跳躍を繰り返して階段を上りきり、二階の踊り場に着地する。直ぐ様飛び込んだ廊下で見たのは士郎の背中と、左腕を捲って人差し指を士郎に向けた状態で対峙している凛の姿だった。
帰ったと思ってた筈の人物の予想外の闖入にさしもの凛も驚いた表情をする。士郎もまさか桐茴が戻ってくるとは思ってなかったのだろう。振り向き、驚きに目を見開かせる。
凛には一言、「これは一体どういう事だ」と言ってやらねば気が済まない。湧き上がってきた怒りに任せて桐茴は口を開くが―――

「遠坂凛、貴方と言う人は―――!」

唐突に、追従してきて傍らに立っていた筈のキャスターの気配が消える。いや、移動したのだ、前方へと。まさかキャスターが先に動くとは思っていなかった。中途半端に口をぽかんと開けた桐茴が静止する間も無くキャスターは実体化しつつ跳躍し、士郎を飛び越えるといつの間にか手にしていた『見えざる得物』を迷わず凛に振るう。
ガキン、と硬質な音と硬い手応えに、そして目の前に広がった黒白の夫婦剣と鮮烈な赤色にキャスターは奥歯を強く噛んだ。

「アーチャー……っ!」

苦しげにあるいは悔しげに表情を歪めるキャスターとは対照的にアーチャーは余裕綽々といった様子で、フッと不敵な笑みを浮かべる。

「やれやれ。マスターには帰れと命じられていたのだがね、引き返して正解だったよ。だから言ったろう?マスター。衛宮士郎を襲えば冷泉院桐茴が黙っていないと。それを理解していながら私を下がらせたのは流石に失策だと思うが」

「う、煩いわね!まさか冷泉院さんが戻ってくるなんて想定してなかったのよ!そのまま帰ったって思うじゃない、普通は!」

「君はキャスターの感知能力を甘く見すぎていたな。あれ程派手に魔術を行使すれば彼女達が感づくのは予想出来ただろう。大体君は―――」

分が悪いと踏んだキャスターは大きく跳躍すると桐茴の傍らまで戻ってきた。そして凛達を見ると彼方の陣営は口論になっていて。一方的に凛がまくし立てているだけなのだが。
士郎が助けを求めるかのように桐茴の居る方に振り向き、桐茴は曖昧な笑みを浮かべて頬を掻く。そしてちらりとキャスターを伺い見てみれば、彼女は先程の激高ぶりが嘘のように意に介さない様子で桐茴の傍らに控えている。
キャスターのお陰で怒る気が失せてしまったなと思っていると―――遠く離れた場所から女生徒の悲鳴が上がった。その場にいた全員が動きを止め、声のした方を探る。

「遠坂、今の!」

「悲鳴……よねって、ちょっと、衛宮君!?」

「士郎!」

躊躇なく士郎は一寸前まで殺意を向けられていた凛に背中を見せると駆け出した。凛と桐茴はサーヴァントに霊体化を命じると慌てて駆け出す。
士郎の姿を追って一階へ降り、別棟に通じる連絡通路への扉を開けた所で二人は士郎に追いついた。彼は片膝を付き、目の前の人物の様子を見ている。一人の女生徒がぐったりとした様子でコンクリートの床に横たわっていた。

「気を失っているだけみたいだ」

士郎はそういうが、凛と桐茴は息を整えながら表情を曇らせた。
これが只気を失っているだけ?そんな筈が無い。彼女からは人間として必要不可欠なモノが感じ取れない。否、ごっそりと奪われている。

「そんな訳ないでしょ?中身が空っぽだって分からない!?」

「中身が空っぽ……?」

「魔力とか、生命力とか、そういうヤツだよ。まずいって……この子、放っておいたら死ぬ。けど、まだこの程度なら……!」

凛は女生徒の前で屈むと宝石を一つ取り出して翳し、女生徒を挟んだ反対側に回った桐茴はスカートのポケットから札を取り出して彼女の額に当てる。そして二人が集中すると手元が俄かに光を放ち始め、女生徒は一度激しく咳き込むと穏やかに呼吸をし始めた。
どうやら大事には至らなかったらしい。士郎は安堵したがその治療の最中、士郎の視線が中庭を挟んだ左側の雑木林へと向かう。

「遠坂―――」 

危ない、と続ける士郎の声と、咄嗟に凛を庇うように腕を伸ばしたのと、雑木林の向こうから『何か』が飛び出してきたのはほぼ同時だった。
ぱた、と何か水っぽいものが落ちた音がする。目を瞑った凛が目を開いた時に見たのは士郎の腕を貫通した、得体の知れない凶器だった。それは空気に溶けるように消え、士郎は患部を抑える。その血の多さに凛の顔色が青ざめた。

「嘘……やだ、どうして……ううん、そうじゃなくて血!血がそんな出てるのに、い、痛くないの!?」

「痛い、とんでもなく痛い。……遠坂、桐茴、その子は任せた」

「ちょっと、士郎!?あんたその怪我で何しようって言うの!?遠坂さん、ごめん!」

手にしていた札をしまいながら桐茴は雑木林へ駆けていった士郎を追う。その最中で傍らに居るキャスターを呼んだ。

「キャスター!」

『申し訳ありません、魔力を完全に探知出来ていませんでした―――あの雑木林の中に、一体のサーヴァントが居ます。クラスはライダー』

「さっきの攻撃もライダーの手によるもの!?」

『方角と魔力の方角が一致しています』

柵を乗り越え、キャスターの指示に従って雑木林を進んでいく。中庭と違って見晴らしが悪いので慎重に、気配を殺しながら歩いていると背後でキャスターが実体化した様子が伝わってきた。キャスターは桐茴だけに聞こえるだけで囁く。

「先行します。マスター、気をつけて進むか止まってください」

「士郎に大怪我させたのに停滞も撤退も無いって!」

攻撃用のルーンの札を取り出して指の間に挟みながら桐茴は応える。それに微笑して答えるとキャスターは駆け出し、大きな魔力を感じる方へと迫っていく。風のように去っていくキャスターの方角を確認しながら、桐茴は万が一のライダーの攻撃や、そのマスターの攻撃を注意しながら進んでいった。
その一方、キャスターはライダーの居る場所へとどんどん距離を縮めていっていた。目元を拘束具で覆っているのにその走りは一点の迷いも無い。正確に立ち塞がる木や倒木を避けてキャスターは進んでいく。

「―――彼処ですか」

幾つかの木々を掻き分けたその先。遂に肉眼で捉えた姿にキャスターは一段と走る両脚に力を込めた。小規模の爆発のように飛ぶキャスターは、木に宙ずりにされた士郎を背後にから拘束しているライダーと思わしき女性に肉薄する。先程のアーチャーには防がれてしまったが、キャスターは見えざる得物―――長さも幅も一般的な一本の刀を振って袈裟斬りをした。確かな手応えを感じると共に次の一撃を放つ為の構えに入る。が、ライダーがみすみすそれを許すはずが無い。血を流しながらライダーは士郎から離れ、跳んで後退する。
そしてライダーの居なくなった場所に、ガンドの雨が降り注いだ。ガンドの一つが士郎を吊っていた鎖を打ち砕き、士郎は落ち葉の積もった地面に落下する。

「衛宮君!」

「士郎!キャスター!」

凛は処置を終えて直ぐに駆けつけ、途中で桐茴と合流したのだろう。二人分の足音と共に声が飛んでくる。けれど油断なくキャスターがライダーと対峙していると、ライダーは霊体化して去っていった。それに息を吐くとキャスターは刀を収め、同じく霊体化して姿を消した。入れ替わるようにして凛と桐茴が士郎の傍にやってきて治療を始めるが―――

「あっ嘘!?治癒のルーンさっきので使い切っちゃった!?」

と、桐茴はバタバタと胸ポケットやスカートのポケットを探っていたのだがやはり無いものはないらしく、申し訳なさそうにしながら凛に己のハンカチを手渡していた。凛はそれを受け取ると自分のタオルと士郎から借りたハンカチを使って、士郎の傷の血止めをする。

「それで?さっきの奴、サーヴァントね?」

「ああ、突然襲われた……って、そんな顔するな!正体は掴めなかったけど、学校に他のマスターが居るって事がわかったじゃないか」

「あー、正体って言うか、クラスなら……」

と、気まずげに桐茴が呟くと二人の視線が一斉に向かってきた。

「ど、何処のクラスよ!?」

「ライダーだって、キャスターは言ってたけど……」

『騎兵』のクラスなら先程の攻撃を鑑みるに、未だ宝具が不明と言う事になる。まさかあの鎖のようなものが宝具と言う事はあるまい。

「さて、こんなものかしら」

そうこうしている内に凛は士郎の血止めを終えたようだった。手当の出来を確認し、満足そうに頷く。

「そう言えば……あの子、どうなったんだ?」

「無事持ち直したわ。もう大事は無いと思う。手伝ってくれた冷泉院さんのお陰もあってね」

「そうか……それは良かった」

と言うと士郎はやおら立ち上がり、無事な左手に『強化』を施した鉄の棒を持ちながら後退して凛と距離をとった。意味が分からず狼狽える凛と、何が何だかついて行けていない桐茴。けれど士郎が『先程の続き』を話題に出すと、凛は激しく脱力した。

「遠坂?その……どうするんだよ」

「……やらない。今日はここまでにする。また借りが出来ちゃったし」

「借り?遠坂さんってば士郎に何かしてもらったの?」

「な、何でもないわよ!ほら、私の家に行くわよ。それまで我慢して頂戴!」

士郎の傷の手当を完璧にするらしく、凛は付いてくるように言いながら二人に背を向けた。
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