騎乗B(自己申請)


家の前を掃除しようと、竹箒を持って玄関を出たところで聞き慣れない音が耳に届いた。例えるなら馬の嘶きみたいな。いや、実際の馬なんて見た事ないんだが。

「何処から聞こえて来るんだ……?」

門までの距離を突っ掛けサンダルで歩きながら考える。
ここは由緒正しい日本家屋が立ち並ぶ坂だ。まさか馬を飼育して乗り回す奴なんて……。

「まさか、いないよな」

現代の日本でそんな奇特な家はいないだろう。考えを一笑に付しながら門扉に手を掛け、開ける。
そう言えば―――この馬の嘶きはやけに近くで聞こえるな。
ガラリと開けられる門の扉。その前に頭を下り坂に向けた状態で、大きくて黒い何かが止まっていて俺は停止した。

「あ、衛宮士郎」

驚いて固まってる俺を他所に、ソレに跨っている主は気さくに声を掛けてくる。
黒光りをする巨体の正体は途轍もなく大きくて厳つい大型バイクだった。それに乗って重低音を轟かせているのは白いブラウスの上に赤いカーディガンを羽織り、ロングスカートを穿いているキャスター。バイクと乗り手のギャップが激しすぎてもう何が何だか分からないぞ。

「あー……っと、キャスター。一応聞くがそれは……?」

「私の所有するバイクですが」

ですよねー。
これ以上に無い最適解。キャスターはエンジンを止めるとバイクを降りて俺の前に降り立った。ふわ、とロングスカートが翻ってキャスターの綺麗な足が見え―――まで考えて例えようの無い悪寒がして頭を振る。今、何処かの弓兵から首に夫婦剣を突きつけられたかのような殺意を何処からか感じた。本当に一体何処から……。

「……どうかしましたか?」

「い、いや、何もないぞ!これっぽっちも!!」

慌てて手を振ればキャスターは訝しみながらも「それならいいんですが」と納得してくれたみたいだった。良かった、俺の命が散らずに済んで。

「それにしても……立派なバイクだな。キャスターが買ったのか?」

バイクに関しては素人だが、キャスターのバイクは結構古い型のように見える。けど、それにしては手入れが行き届いていて。
バイクの車体を優しく撫でながらキャスターは言う。

「前回の聖杯戦争の折に、マスターから頂いた物でして。私が脱落した後、今日までずっと保管して頂いていたみたいなんです。時々手入れを依頼してようなのでこうして直ぐにでも乗れるほどチューニングも済んでいて……」

その声は優しく、遠い過去を懐かしむ声だった。

「キャスターのマスター……桐茴、じゃなくて」

「ええ、前回の聖杯戦争のマスターは冷泉院真槻……我がマスターの兄君です」

掻い摘んで桐茴から聞いた事はあった。
桐茴のお兄さん。俺は会った事は無いがなんでも寝たきりで、冷泉院の家でずっと過ごしているそうだ。子供の頃は病弱な人なんだなと思い、桐茴も否定の言葉は口にしなかった。
けれど真実は別にあり、実の所前回の聖杯戦争で目の前のキャスターを召喚し、使役し、最後まで勝ち残ったものの聖杯の『泥』を被って常に体を侵蝕される体となってしまっていた。寝たきりの生活はそのせいだと。屋敷全体には泥の侵食を抑える結界を施している為屋敷からは出られず、それでも保って数年の余命だろうと。そう聞かされていた。

「市内の移動や、アインツベルン城に乗り込む時はとても重宝しましたね」

あの荒れた森の中をこれで駆け抜けたのか。
さて、と一言置いたキャスターは肺に溜まっていた淀みを出すように大きく息を吐き、ハンドルに引っ掛けておいた黒いヘルメットを被ると颯爽とバイクに跨ってエンジンを駆動させた。ドルルル、と馬の嘶きのようなエンジン音が静かな住宅街に響く。

「私は買い出しに行ってきます。それでは後ほど」

「あ、ああ。行ってらっしゃい」

ライダーや藤ねえみたく公共の道路を爆走するなよ―――と言う俺の台詞はバイクの発進音に飲み込まれた。


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