偽典神書


「……此処が、スノーフィールド……」

アメリカ大陸西部に位置する、自然と人工物が見事なバランスで調和を保っている新興都市・スノーフィールド。その街にある空港のターミナルビルから一人の女性が大きなスーツケース転がしながら出てきた。女性は街の様子をぐるりと見、表情を険しくさせる。

一言で表すのならその女性は見目麗しい姿をしていた。にも関わらず、その場を通りかかる男性の全員が彼女をチラリと横目で見るだけであり、誰一人として彼女に声を掛けてお茶に誘おうとする者は居なかった。
理由を挙げるのならば。なまじ顔が整ってるだけあって険しい顔をすると恐ろしく見えるのもあり、銀髪に赤目と人間離れした色をしていると言うのもあり、そして何より、カソックの上から深緑のモッズコートを羽織ると言う異色のコーディネートをしている事が大きい。
そうして女性―――聖堂教会・第八秘蹟会所属の代行者、ルカ・アルカイオスはスーツケースの取っ手を掴み直すと一度だけ周囲に視線を投げ、スノーフィールドの街へと歩いて行った。

「……随分と魔術師が紛れ込んでいるわね」

空港を出ただけで幾らでも魔力の匂いがする者を感知出来たし、こうして歩いている今でも時折すれ違う者やチラチラと見てくる者の中に魔術師が紛れ込んでいるのは十分に理解出来ていた。あちらは恐らくルカのコートの下の服装を見て『教会の奴が此度の聖杯戦争を嗅ぎつけてきた』とでも思っているのだろう。ならばそう思っていればいい、とルカは心中で吐いた。
確かにルカはこの地での聖杯戦争の監督役補佐を本部の偉い方々から『早急に向かえ』の文句付きで任命されていた。数年前の冬木市で起きた第五次聖杯戦争での功績を認められていたかららしい。
けれど―――

「ああ、あったわ」

暫く歩き、たどり着いたのはスノーフィールドの教会だった。当分は此処に逗留し、起こるであろう事態の収拾や隠蔽に奔走する事となるだろう。
中に入ったルカはまず此処の管理者の司祭に挨拶し、それから教会の造りや設備の説明を一通りしてもらい、最後に自室へ案内してもらった。質素で小さな部屋だがルカに不満は一つも無い。内装に文句を言うような質ではないし、雨風を凌げながら寝れる場所ならば何処でも良いと思っているからだ。
案内を終えた司祭が去り、一人になったところでルカは扉を閉めて内鍵を掛け、完全な密室にしてから荷解きを始めた。必需品となる『調味料』の類は壁際に置かれている机の上へ、着ていたコートと替えのカソックはハンガーで壁に付いているフックに吊るし、補佐として必要な道具も一箇所に纏め、最後に布に包まれた『ソレ』を取り出してベッドに置いてからルカはスーツケースをベッド下にしまい込む。
ボスンとベットに腰掛け、ルカは包みを膝に乗せると丁寧に解き始めた。中から現れたのは真ん中辺りで半分に折れた古い弓矢。そしてルカは己の怪力体質の制御装置であるグローブを右手だけ外し、手の甲に刻まれた刻印に目を落とした。

それは三つの三日月が組み合わさったとも言える形であり、
血よりも赤いと言える色をしており、
膨大な魔力を凝縮した結晶であり、
たった三度の絶対命令権であり、
この偽りの聖杯戦争の参加者である証でもあり―――

「本当に……どうして私が、これを」

赤い刻印―――令呪がルカの右手の甲に確かに存在していた。

最初に異変を感じたのはスノーフィールドに行く為、飛行機に乗っていた時だった。スノーフィールド上空に差し掛かった頃、右手の甲に鋭い痛みが走ったのだ。不審に思ってグローブを外してみれば令呪がくっきりと現れており。そうして空港に降り立ち、確信した。自分の役割はこの聖杯戦争の監督役補佐だけでなく、この地を訪れた時点で同時に参加者でもあるのだと。
ルカは膝上の弓矢に視線を落とす。

「この聖遺物も、私が使う羽目になるなんて……」

本来は聖遺物を持たず令呪を得てしまった参加者に渡すモノだった、とある英霊を呼び寄せる為の聖遺物。今のルカが正にそれに該当する。一度重くため息を吐いたルカは瞑目し、暫くして瞼を持ち上げる。
聖杯戦争開幕まで日数は無い。召喚を決行するのなら今夜だろう。

「そうと決まれば、準備をしなくてはならないわね」

荷物からスノーフィールドの地図を出して広げ、街の西部に森がある事を確認する。そして時計を見、下準備を含めるのなら今から移動した方がいいだろうと結論づけたルカは弓矢を包み直し、簡単に荷物を整えて部屋を後にした。



――――――




日もすっかり落ちた頃。森の奥で最後の一角を白いチョークで地面に陣を書き終えたルカは陣の仕上がりを確認すると折れている弓矢を中心に置き、下がって陣の前に立つ。そして右腕を突き出すと自身を祝福する祝詞であり、偽りの天秤への呪詛でもある召喚の文言を吐き出した。

「―――告げる」

陣が淡く輝き出す。

「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。 祖には戦神を崇めしアルカイオス。降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ。
閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

巻き起こる風が周囲の木々を揺らしていく。

「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。
誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」

ゴウ、と光と風が陣から溢れ出し、その眩しさにルカは思わず腕で顔を覆う。
ルカは風も光も収束しつつあるのを肌で感じながら、ゆっくりと腕を外して前方の様子を伺った。

「……これは……驚いたわね」

陣の中心に現れたのは緑衣の青年だった。彼からは『英霊』として相応しい程の魔力量を感じるし、体内の魔力パスが彼と自分の間で繋がったのが分かる。間違いなく、彼はルカのサーヴァントなのだろう。
緑衣の英霊は周りをゆっくりと見回し、最後に目の前のルカに視線を向ける。男性と女性の差だろうか、比較的高身長のルカも少し彼を見上げねばならない。

「召喚に応じてこのアーチャー、馳せ参じましたよっと。オレを喚んだ陰険なマスターはアンタか?」

開口一番がコレとは。ルカは左手を腰に添えると右手の甲を彼にも見えるように翳し、冷静な声色で言う。

「陰険とはとんだご挨拶ね、アーチャー?」

対してアーチャーは皮肉げに笑うと肩を竦めてみせる。

「偶然オレを喚んじまったんだったらその不幸さに同情してたけどな。けどおたくは聖遺物でオレを呼び出した。だったら正攻法じゃなくって邪道で勝ち抜くのがお好きなマスターって事だろ?気が合うじゃねぇか」

「勘違いしないで頂戴。貴方に縁のある聖遺物を用意したのは私じゃなくて私の上司。戦闘スタイルにとやかく言う趣味は無いけど、誤解されるのは腹ただしいわ」

「へいへい。そりゃすいませんでしたっと」

反省はしているようだが全く誠意が込められていない。
とんだサーヴァントを喚んでしまったものだとルカは額に手を当てて嘆息し、気持ちを切り替えると右手をアーチャーに差し出すと改めて名乗る。

「ルカ、ルカ・アルカイオス。聖堂教会・第八秘蹟会の代行者で、このスノーフィールドでの聖杯戦争で監督役補佐を任されている者よ。出来れば貴方とは穏便な関係を築きたいわね」

「良好な関係を築けるかはおたくに懸かってるぜ。ま、奇襲・闇討ち・暗殺・毒殺なら任せてくれや」

気だるげにそう言いながら、アーチャーはルカの手を取って握り返す。
そう言えば、とアーチャーの脳裏に一つの疑問が浮かんだ。

「そういや……マスター、今後の方針は決まってるんですかね?」

「方針?」

アーチャーの手を離し、一歩下がったルカは意外そうな顔をしながら口元に手を当てて考え込む。

「……正直な話、今私に叶えたい願いは無いわ」

「願いも無いのに聖杯戦争に参加したって?そりゃ凄えや」

「この地にやって来た時点で令呪が宿ったのよ。聖杯が人数合わせに私を選んだ可能性があるわ」

アーチャーの皮肉に、僅かに眉を顰めながら答えるルカ。
元々ルカは無欲だ。否、無欲かと見える程に他者や物への執着心が薄い。例外として『神』や『信仰』、辛味には人並み以上の関心を寄せているが、聖杯に懸けるような願いは持ち合わせていない。

「………………」

いや、一つだけ、叶うのなら懸けたい願いはある。
ルカにとっての唯一崇拝する『王』。願いが叶うなら、再び彼の王の拝謁を栄を浴し、頭を垂れ、口を開く許可を得、崇め奉る事を許されたい。
けれど。ルカは口元を引き締めると僅かに頭を横に振った。それは叶わぬ願いだ。自分如き存在が聖遺物も無しで『英雄王』を召喚出来る筈がない。彼を喚ぶ為の聖遺物も一つは失われていると記録した覚えもある。

「あー、マスター?」

考えに没頭するあまり、ぼんやりとしてしまっていたみたいだ。アーチャーの声でハッとする。

「……何でもないわ。取り敢えずの方針として、私は監督役補佐の役割を優先させ、全てのサーヴァントが出揃った時にもう一度考えるわ」

「それじゃあ後手後手に回るんじゃないんっすかねぇ?」

「あら。後手に回っても優勢を勝ち取り、森の中から静かに毒矢を放つんじゃなくって?シャーウッドの森の義賊さん?」

悪戯っぽく笑ってアーチャーを見やれば彼は一瞬面食らったように目を開き、小さく吹き出すと髪を掻いた。

「……全く、オレもとんだマスターに当たったモンだ」

「それはこっちの台詞よ、アーチャー。さて……」

描いた召喚陣を靴底で消し、この場に居た痕跡を消したルカは置いておいた荷物を抱える。

「街の教会に戻って今後の動きを練るわ。霊体化して着いて来なさいアーチャー」

「りょーかいっと」

指示に従ってアーチャーは霊体化し、それを見届けたルカは踵を返して森を後にする。

―――これが、この偽りの聖杯戦争における『二体目』のサーヴァントだった。


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