ARCADIA
走る。走る。ひたすらにモードゥナの乾いた道を走る。息が上がっても立ち止まる一瞬すら惜しいとでもいうように、彼女は足を止めない。
そうしてクリスタルタワーの下まで行き、中へ通じる巨大な扉の前までやって来て、ようやく止まる。何度か噎せながらも息を整えている最中、ふとクリスタリウムの住人に言われたことを思い出した。自分を召喚したとき、水晶公は嬉しそうに走っていったと。
まるでその時と立場が逆転しているなと気付き、笑ってしまう。立場が違うのは、塔と共に眠りにつくと消えゆく姿を見送ったあの日とも違っていた。今日は見送る側ではない、その新たな旅立ちを見届ける側だ。
息を整え、汗を拭い。荷物からソウル・サイフォンを取り出す。これに含まれているアラグの皇血によって、この扉は開くと言うが……。
ソウル・サイフォンを掲げ、固唾を呑んで見守る。ズズ、と重たい音を引き連れて堅牢な扉はゆっくりと開いていき。
シンと静まり返った塔の内部へ足を踏み出す。彼はどこで眠っているのだろうか。辺りを見回しながら塔を登っていき、ハ・リカは星見の間へと続く扉の前で一度立ち止まる。もっと上に居る可能性も捨てきれないが、もしかしたら。
扉を開け放つ。中は誰も居らず、静謐な空気だけが漂っていて。つい先程まで居た場所と同じ部屋なのに、人が居なくて、鏡が起動していないだけでこうも違うのか。
やはり、もっと上の階か。そう思ったとき、壁際の扉へと目が向かう。
「深慮の間……」
塔の心臓部。水晶公が己以外の入室を許さなかった部屋。彼がエメトセルクに連れ去られた後、ライナから借り受けた鍵で一度だけ入室して、彼の過去を幻視したが。
鍵が掛かっているかも知れない、と思いつつ扉に触れてみる。すると、まるでこのときを予期していたかのように扉は開いた。鍵は、掛かっていなかったのだ。
静かに入室する。第一世界で訪れたときはあちこちに本が積まれ、置かれていたが、今はまだ何も置かれていない。不思議な文様が描かれた床がはっきりと見える。そうしてハ・リカは壁際にある王座のような椅子へ視線を向け──呼吸を止める。
彼が、そこに座して眠りについていた。暫く振りとも、最近振りとも思える姿に奇妙な感覚を覚える。眠る彼の傍らにソウル・サイフォンを置き、少し下がる。上手く行けばアルフィノ達のように体に記憶と魂が定着するが……。
じっと息を潜めて伺う。ややあって、彼の体が身じろいた、気がした。
「……っ……」
ゆっくりと瞼が持ち上げられ、その下の紅い双眸が揺れる。右往左往とした瞳がハ・リカを捉え、見開かれた。
万感の想いを込めて、その名を呟く。その様子は、いつかの光景と似ていて。
「……おはようございます、グ・ラハ・ティア」
「っ、あぁ……」
差し出された手を握り返しながら、彼――グ・ラハ・ティアが感情を乗せて返す。
「おはよう、ハ・リカ……!」
グ・ラハを椅子から引き起こし、ハ・リカが笑う。
「さあ、新しい冒険が待ってますよ、ラハ!」
――届かぬ星に手を伸ばしていた。
遠くで燦然と輝く星に憧れ、手を伸ばし、標として歩いてきた。
その星は決して掴めないものだと思っていたが、自分の軌跡を振り返れば、いつしか星は存外近くまで迫っていて。
瞬く星を掴む。もう二度と離さないかのように。