とても愛しかった。
何かを失っても、守りたかった。食い違って狂ってしまったのは何故だろう?


ただ、好きなだけだった。
見ているだけでよかった。
皆に愛でられ、日々を過ごすだけで
それだけで、よかったのに

「ナマエ」
『ゼアノート。どうしたの?』
「いや、少し話をしないかと思って」
『ふふ、いいよ〜!』


幼き少女の瞳には
私の姿はどのように映っているのだろう
これから師を裏切ると知ればその曇り無き笑顔は闇に変わるだろう。

『でね、エレウスにさ…ってゼアノート、聞いてる?』
「ん、あ、あぁ…聞いている」
『もー嘘ばっか。疲れてるの?休んだら?』


不安そうに見上げるその表情に、胸が締め付けられる。
何なんだ。ナマエは、妹のように娘のようにしか思えないはずなのにこの胸の騒つきは何だ。
もどかしくて

『ゼアノート?』
「ああ…気にしないでくれ」
『……ゼアノートはさぁー』
「ん?」

ぽつりと呟いたナマエに視線を向ける。
彼女の一言一言を発する唇は綺麗な弧を描き、淡い桃色だ。思わず魅入ってしまう。

『…何がそんなに不安?』

そう発した言葉に、心臓がゴトリと動いた気がした。


「……何がだ?」
『知ってた?ゼアノートはいつも私と話す時、泣きそうな顔になるんだよ』
「…何故?」
『知らないよ!ゼアノートの顔がそんな顔になるんだもん』

困った様に小さく笑って、華奢な手が、触れる。

『私は、ゼアノートの味方だよ。どこにも置いてったりしない。』
「…本当か?」
『んー。多分!まぁ、高いとこからとか、落ちそうになっても離さないよ!』
「……嘘つけ。ナマエ、お前落とす気だろう。」
『なっ、何で!本当だよ〜!離さないよ!……だから、私を見る時や私と話す時は笑顔でいてほしいなー』
「…わかった。」

何時の間にか彼女をそんな表情で見ていたなんて。繋がれた手が暖かい。
私が、師を裏切っても彼女は私の味方でいてくれるだろうか。私を離さないでいてくれるだろうか。この暖かい手を繋いでいてくれるだろうか


師を殺したあとに感じた無の感覚
とてつもなく恐怖に襲われた。
もう、後戻りは出来ない。もう、振り返れない。大丈夫。大丈夫。
何度も呪文の様に言い聞かせてこの重たい体をこの汚れた手を彼女に癒して欲しくて助けてもらいたくて

「…ナマエ?」

空っぽの彼女の部屋へ、足を運んだ。
けれど探し求めた彼女はいなく研究所へ行こうと来た道を戻る。血生臭い部屋の前で一度止まり、やり遂げた、という達成感に、にやりと頬笑んだ。
貴方を追う彼女はもう、私のものだ、と。けれど

『い、や…いや…嫌だ、嫌だ!嫌ぁッ!アンセム様!いかないで!私を…っ、私を置いて…か…ないでぇ…っ』

ぷつん、と何かが弾けた。彼女は何故、あんなにも泣いている?あれが私ならば、ああやって泣いてくれるだろうか。
彼女は師を殺す私の姿を知っている
大丈夫。大丈夫。
理由を話せば、ナマエも分かってくれる。小さく笑って、研究所へと向かった。直ぐ様、皆に話したら不安に陥る顔が様々でナマエならきっと分かってくれると嗜めた。けれど彼女はかつて共に過ごした家族を何の躊躇もなく殺め、私の元に来た。
私の元に戻ってきたと思ったんだ。

『…ゼアノート…あなたは"存在しない者"よ!』

拒絶され、憎まれ、涙され、挙げ句の果てには、その手で私を包み込んだ暖かい、その小さな手で殺められて思わず、自嘲気味に笑った。

"離さないよ"

そう、言われた。
けれどいとも簡単にこうも呆気なく離されて闇の中に置いて行かれてただ、心が痛んだ。もう、感じる心はないけれど。だから今度は私が彼女を離さぬようにすればいいのではないかと奸な考えを持って再びこの地に降り立った。
感じる事もままならぬ、不完全な姿で"存在しない者"として数年も闇の中で彼女を追い掛けた。
彼女がどのようにして生きるのかどのようにして絶望を背負って歩くのか
笑って見守り続けた。数年、時がたち、再会した彼女は望み続けていた姿そのものでこれが私のものになると頭を過った時には声を出して笑いたくなった。
けれど笑うという感情も無くただ、真似事をして高ぶる気持ちを押さえた。
私の傍らが彼女を連れてきた時は正直驚いた。
ああ、触れたくても触れられなく近づいてこの腕の中に閉じ込めてしまいたかった。

「…久しぶりだな。ナマエ」
『…気やすく私の名を呼ぶな』

あの頃とは姿も中身も変わってしまったがあの時の暖かい手は変わらなかった。

『過去は振り返らないで生きていくと決めた』


何故?何故私の元を再び離れて行く?

「離さないと誓っただろう?」
『…あの時の純粋で無垢な私はもういないわ』

ならば何故そんなにお前は泣くのだろう

「…何故泣く?」
『…貴方が哀れすぎて…可哀相な人だからよ』
「私が哀れだと?ならばそれはお前が私を置いて行ってしまったからだろうな」
『貴方が先に離れたのよ!』

私が先に離れた?
…ああ、この顔。
かつての師を殺め、彼女が師の為に涙した表情だ。
私が、先に離れただと?
私が?

『もう…昔の事振り返らないで。昔の私は…もういない!』

きりりと胸が痛んだ。心などないのに。
光に溶けて消える間際でさえ、ナマエの顔、ナマエの声、ナマエの仕草、ナマエと過ごしたあの頃の思い出、あの頃の約束しか浮かばない。
また離されたのだなと思った。
光に包まれ、けれどそれは苦痛ではなく代わりに顔に何かが伝い消える間際に感じたのは彼女の手。泣きそうな顔を必死に耐えて何かを叫ぶ姿に満足した。
狂ってしまったものは元に戻せない。


(いとしいひと、もう振り返らないで


過去はもう振り返らないで優しい彼女に包まれて消えてしまおう

END

長ー。意味ー。

06.6.18

イトハン