その手を取る事は


"裏切り"を意味する事なのかもしれなかった


私が何故、この与えられた部屋に閉じ込められているのか
理由があるはずだけれど、私にはどうでもよかったの
私の存在を示すこの部屋には、僅かな花々と一つだけ他の世界に繋げた窓のみ。
私の為に、"時間の経過"がわかる様に、窓の外の明るさをゼムナスが与えてくれた
外を眺めながら花々に水をやる。それが、私の日常。

「ナマエ、少しいいか」
『ヴィクセン!』


いつものように扉を軽くノックして、姿を見つけると、彼は薄く頬笑む。
大好きな、ヴィクセン。
こうやって、彼が尋ねてくるのも日常。


「気分はどうだ」
『あ、うん、普通だよ?』


彼との会話は毎日この言葉から始まる。
私には記憶が曖昧な部分がある。ヴィクセンは途切れている記憶の事を聞いてくる


『何も思い出せないんだ…』
「……」
『昔のヴィクセンの事とかみんなの事思い出したいのになぁ』


そうやって、いつも私の頭を撫でて、私よりも幾分細い体で、優しく抱き締めてくれるね
微かに香る、エタノールの匂いが好き。
それから、数時間話をするとヴィクセンは部屋へ戻る。これもいつもの日常。


「あれ、ナマエ!?」


いつもの日常と違ったのはヴィクセンが去っていったあとの扉から新たな来客。

『あ…デミックス…!?久振り!』
「ナマエ、何でここに?」
『え?私の部屋はここだよ?』
「え……?」
『ね、どうしたの?あ、デミックスにお願いがあるんだけど…いいかな?』
「ん?」
『私…前みんなとよそよそしかった…よね?だから…』
「……?」
『これから、仲良く…してくれますか?』


そう言って、デミックスを見ると一瞬目を見開いたかと思うと満面の笑みで抱きつかれた。


「何言ってんの!俺らみんな親友だよ!」
『しん…ゆう』
「ね、ナマエ、一緒にマールーシャの花壇行かない?今綺麗な花ばっかりなんだ!」
『行きたい!あ…でも私、ヴィクセン達に、この部屋を出るな、って…』
「いいじゃん、すぐそこなんだしさ!ね?」


首を傾けておねだりする姿にナマエはハートを撃ち抜かれた。母性本能を擽られ、可愛くて仕方ないなぁ、と思いながら頬笑んだ。


『うん、じゃあ行こう!色んなもの見てみたいもの!』
「花の他にもさ、果物とかあるんだよ!」
『うわぁ楽しみ!』


そう話しながら私は約束を破ったのだ。
いい加減、閉じ込められたままは嫌だった。
たまにはこの部屋から出て、目に触れたいものだってある。
だから私はヴィクセンとの約束を破った


それが連鎖を引き起こす事になるとは予想もしなかった。


真っ白な世界。そこから抜け出すと空は闇色に染めていた。暗闇の中の散歩。


「で、これが桃って木の実になるんだって」
『へぇ!本当?楽しみ!あのっ、これは?赤色の実がなってるよ』
「えっとー、それは」
「それは苺だ」


デミックスの手に持っていた小さな図鑑らしき本。ぱらぱらとめくられていたそれは違う人物に取られる。


「マールーシャ!」
「こんな本からいちいち探してるのか」
『いちご…』
「だってよくわかんないし。葉っぱ一緒じゃん」
『久振り、です。マールーシャ』
「…ナマエ、今まで任務だったのか?ずっと見なかったが」


マールーシャは苺をぷちぷちと摘んで籠に入れる。


『え?私、ずっといたよ?』
「……え?」
『いちご、って綺麗だね。真っ赤で…』


苺に夢中なナマエにマールーシャは籠に積んだ苺を手渡す。


「ほら。お前にあげよう」
『えっ!いいんです?』
「…食べたくないなら…」
『いただきます!ありがとうマールーシャ』
「ずるーい!俺には!?」
「ウルサイ。お前にはない」


ぎゃあぎゃあと叫ぶ二人にナマエは笑う
不意に視線を感じ、辺りを見渡す。


『………?』


テラスに機関のコートを羽織った金の髪を持つ男がこちらを見ている。


『誰………?』


誰だろう、とナマエは首を傾げた。新しく入った機関の人だろうか
ナマエは今だ言い合いをしている二人をあとにその人物のいるテラスまで向かった。


「あ、あれ、ナマエ?」
「…ルクソードの所に行ったみたいだな」
「え?そうなの?」
「さっきこちらを伺っていたからな」


結局二人は苺を皿に取り分け食した。


****


『あのぅ…こんにちは』
「!!」


椅子に座って本を読むその眼鏡の人物にナマエは声をかける。


「やあ……こんにちは可愛い子猫さん。ご機嫌如何かな?」
『あ、はい、良好です』


本をぱたん、と閉じてその人物はナマエに近づく。


「ここは冷える。おいで。紅茶でも入れよう。」
『あ、ありがと…う…』


ナマエの手を取り、その人物はテラスをあとにした
にやりと歪められた口元にナマエは気付かなかった。


****


『綺麗なお部屋ですね』
「ありがとう」
『あのう…名前、伺っていいですか…?』


かちゃりとティーカップが音をたててテーブルに置かれる。


「……君は?」
『あ、私はナマエです。』


洗ってもらった苺を頬張りながらナマエは頬笑んだ。


「俺はルクソード。以後お見知り置きを、姫。」
『ルクソードさん…』
「さん、はいらない」
『あ…はい。』


ナマエは、くすりと頬笑んだ


「……暫らく見ないうちに…随分と…」
『え?』
「いや、こちらの話だ」


向かい側に座るルクソードはブラックの珈琲の入ったカップに口をつけた


『あの…間違ってたらごめんなさい。前に何処かで会いました?』
「……さぁ?」
『さぁ、って…!意地悪ですね…教えてくださいよ』
「君は?本当にそれでいいのか」
『何が?』
「忘れた記憶を思い出したいのかと聞いている」
『あ…はい。でもヴィクセンは無理に思い出すことはない、っていつも言うんですけどね』


そう言うとルクソードはぴくりと眉を釣り上げた。


「ヴィクセン、ね」
『あ、ヴィクセンの事、知ってます?』
「ああ。同じ機関でセンパイ、だからな」


皮肉そうに呼ばれた言葉に気にもせず、ナマエは紅茶に口をつけた


「…思い出すのはやめた方がいいんじゃないかな」
『どうして?』
「君が壊れてしまうからね」


そう言って、ルクソードはナマエに近づく。


『?』
「…ナマエ、会いたかった」


ナマエの頬は大きな手に包み込まれる。


『ルクソード…?』
「ナマエ…」


軽く口付けられ、ほんのりと苦い珈琲の香りが鼻につく。


『ルッ、ルクソードッ!?』
「君を、愛しているよ」


はっきりと告げられる愛の言霊。ナマエはその言葉に顔を赤く染めた。


「ナマエと俺は引き裂かれたんだ」
『え?』
「俺はナマエを愛しているのに…」
『ル、クソード…?』


抱き締められた体。大きくて力強い腕がきつくなる。


『あの…っ』
「ナマエ、お前を奪われ、俺は幽閉され」
『奪われ…?だ、れに…?』
「ヴィクセンさ」
『え…?』


ナマエはその名に目を見開く。


「ヴィクセンは俺のナマエへの愛し方が間違ってると言った。指導者を始め、古参メンバーで俺とナマエを…」
『嘘…嘘だよ!』
「真実だ」
『何で……そんな、事…』


抱き合ったままだったお互いの体が離れる。


「もう、離したくない…」
『私の記憶が…ないのはその事が関係ある…?』
「ああ…」
『私は…貴方との過去を消されたの…?』
「指導者がだろうな…」
『…なら…私と貴方は…恋人同士だったの?』


ナマエは俯いていた顔をあげた


「……ああ。」
『…何で…』
「……ナマエ……」
『ルクソードは…幾時も幽閉されて…』
「ああ…気が狂いそうな時間を一人で過ごし…大切な人との時間は奪われて行った」


蒼い瞳がナマエを映す。その瞳に魅入ってしまう。


『なら…今から一緒にまた歩めばいい』
「…無理だ。お前はヴィクセンが好きなんだろう?」
『好き…だけど……私達は引き裂かれたんだよね?私は記憶をなくして、ルクソード、貴方は私の所為で時を失った。その時間を一緒に過ごせば、』


最後の言葉を紡ごうとしたナマエの唇はルクソードによって塞がれた


『ん、んんっ!』
「ナマエ、ナマエ…!」
『ルクソー…ド………』
「一緒に居たい」
『居ようよ』
「居られない」
『どうして』
「また…引き裂かれる」
『そんな…』
「…遠くに行きたい」
『………じゃあ、遠くに行こう』


次第に深くなる口付け。ソファがギシリと唸った。




イトハン