抜き取るのは怖いの、崩れてしまいそうで。
でも、抜き取らなければ先へは進まない。


色恋ジェンガ




晴れた冬の空を見上げると、いつ見てもこの江戸には不似合いだと思うタワーや浮遊物に不快感を抱きながら大きく吸気する。それは気管支を冷やしながら、決して清々しいとは言えない空気を肺へと運んだ。毒気を体中から寄せ集めて吐き出せば、空気は愈々透明さをを無くすのだろう。
日が西に沈もうとするに従って人通りを増していくのは、夜の街 歌舞伎町には至極当然のことである。
片手に店の袋をぶら下げ、しゃなりしゃなりと歩く。
通い慣れた様子で向かったは、大きく万事屋と書かれた看板を掲げる家だった。この時間に家に人が居る可能性は高い。厄介な仕事を引き受けてなければだけど。
着物の女には優しくない階段を登り終え、この歳にしては息の上がりが激しいことに気落ちしながら通例に倣って引き戸を控えめに叩いた。もう一度叩くのも面倒に思って――それにそんな疎遠な関係じゃないし、カラカラと勝手に玄関へとお邪魔した。

「新八くん、神楽ちゃーん」

室内からはいつもと違い何の物音もせず、私の声は虚しく消える。私は溜息を吐くと、もの哀しい気持ちを振り払って敷居を跨いだ。
この家は人間臭い。
住まう人間の匂いが染み付いている、のだと思う。嫌いではない。
仕事に出ているのか、または買い物か。
どちらでも良い。帰ってくるまで待つのみだ。
小さめの冷蔵庫に買ってきたプリンを詰め込む。二十個を詰め込むのは一苦労だわ。
居間へ入ってぎょっとした。

「何よ……居るじゃない」

安っぽいソファにだらしなく仰向けに寝入っている、この家の主――世を代表するマダオだ。仕事ではなかったのかと、出来ればその方が金銭的にも良かったのに、そんな期待外れに少し気が滅入った。いつもの事だと言い聞かせて、ああ、また私が貢ぐ事になるのだと自嘲した。
自ずと音を立てないよう、そろりと歩み寄る。悪事を働くわけでも無いのに、何故か心臓は打つ間隔を短くするのだ。
見下ろした寝顔。規則正しい寝息を聞きながら、切なくなる。
静かに床へ膝を着けば、先程より近づいた寝顔に考える間も無く手が勝手に伸びていた。戸惑いながらも、触れた頬を指で押してみる。特に反応も無かったけれど、私の口許は自然と綻んだ。
何だか面白くなって瞼、額、鼻筋へと指を滑らせた。ふと、唇を見て指を止める。
人並みにふっくらとした唇を凝視する。
そして、指を唇へと。
刹那、きゅっと胸が締まる思いがした。
痛い、苦しい――視界がぼやけた。
どうして、なんて今更。この想いを抑制したのは他でもない、自分だ。
理由は、怖かったから。
積み重ねられた関係を崩したくなかった。
その選んだ一本を、抜き半端にして放置していた。
抜く気はない。本当に、私はなんて臆病者なのだろうか。
だから、貴方が眠る意識の無い今なら、抜く振りが出来るの。
唇から離れた手が、銀時の胸元に落ちた。その手が強く拳を握り、酷く情けないだろう顔で寝顔を見つめる。
不正な思いに堪えられずに目を伏せた。

「……好き」

短く呟いた瞬間――。
後頭部に力が加わり心臓が跳ねたと思えば、唇に押し付けられる柔らかい感触に惑乱して手を突っぱねた。後頭部を押さえる力は弱まることはなく、あろうことか、ぬるりと舌が口内に侵入してきた。荒々しい口づけに堪えられず、どうにか逃れようともがくが最早、私に抵抗する権利などない。
不本意にも私は抜き取ってしまった、私の番は終わりなんだもの。


淫靡な動きと音を私に施す当の本人が何を思ってこんな事をしているのか分からない、分かるはずもない。
私は、崩してしまったのか。

「っはぁ…はぁ……」
「ギブですか?」
「……どういうつもり?」
「それはこっちの台詞。俺のこと好きなんだって?」

ああ、崩れてしまう崩れてしまう。
お願い、崩れないためなら反則を犯してでも私は――。

「違う、よ。あれは冗談」
「……ふーん? っそ。悪りぃな、ベロちゅうしちゃって」
「うん…。別に、」
「もしかしてプリン買ってきた?」
「え? うん、買ってきたけど、冷蔵庫にあるよ」
「おー、いつもありがとな」
「ん。いいよ、特売だから買ってきただけだから」

普通すぎる会話に先程の出来事など無かったかのような感覚になる。
崩さないですんだのだと、いつもの様な笑顔が自然と出ることに私は安堵した。

「ちょっと、こっち来てくんない?」
「何?」

徐に立ち上がった銀時に手を引かれ、案内されたのは寝室。
銀時を起こしに何度か踏み込んだ事がある。掃除機をかけたくなるような畳に、敷きっぱなしの布団も変わらない。日頃の賜物か、この汚い部屋を掃除したいと思っていると手を引かれ促された。
足裏に柔らかい布団を踏みしめると、「此処、ちょっと座って」と。何で? と銀時を見上げたら、「あ、体育座りで」なんて更に意味の分からない指示を出された。
まぁ、座ってみれば何か分かるだろうと私は腰を下ろし、折り曲げた膝を抱いた。

「わあっ!?」

強く肩を押された。否、押し倒されたと言うのか、倒れた私の見上げる位置に銀時の顔があるのだから。

「な、何すんのよ!」
「さっきのベロちゅう、かなり効いちゃったみたいでさー」

「ヌくの手伝って貰おうと思って」口角を上げる銀時。
先程の比では無いほどに高鳴る心臓を止めるかのような発言に、まんまと嵌められたことを悟った。――さっきの普通さは紛れも無い錯覚だったか。怒りやら恥ずかしさでごちゃごちゃになりながら、顔を近づけてきた銀時の頬を押し退けた。やめてよ! 馬鹿じゃないの!! 私は渾身の力を込めて抵抗をするが、両の手は片手であっけなく纏縛され、拒んだその唇が為す術もない私の唇を蹂躙する。舌を噛み切ってやろうか、股間を蹴り潰してやろうか、そんなことが頭に浮かぶが実行するには私の底意が邪魔をした。
唇が離れると情けない程息を上げた私を余所に、この男は愉悦めいた笑みを浮かべて舌なめずりをしやがった。

「名無子ちゃんよぉ、素直になった方が利口な時もあるぜ」

歯根が揺らいだ。懸命に繕った不正(嘘)も見抜かれていたって訳だ。
反駁する間も無く首筋に生温かい舌が這い、着物の襟元は引き乱された。やだ、やめて! 全身を強張らせて拒絶と制止を繰り返すと、顔を上げた銀時が言った。

「やだとか言われると、銀さん燃えるんだけど」

誰かどうにかして下さい、このSなマダオを。
呆れて閉口した私の脚を熱い掌がするすると撫でた。その程度で身体を跳ねさせてしまう私もどうかと思う、S男を悦ばせてしまうってのに。――私の本心がそうさせるのか。
厭らしくうろついていた掌が上へと進んでくる。駄目だ、ダメ!その思いが通じたかのように掌は停止した。同時に押さえられていた手も退いたので、私は怪訝に銀時を見やった。
止めた…? そんなバカな。こんな、今更止められても困るとか思ってしまう自分に辟易した。


膝立ちで見下ろしてきた銀時が自分の服に手をかける。あなた、そんなに逼迫していたんですか?
すっかり大きくなった陰茎を私の目の前に晒した。唾を呑み込む、下着はじとりと湿ってきていて。
こんな筈じゃなかったのに。どこで間違った?
泣き出したい衝動に堪え、銀時と双眸が合うと「舐めて」と予想通りの言葉。
誰がそんな卑猥なことをするかと言いたい所だけど、起き上がって四つん這いになった私の身体、どうしちゃったの! もう、ヤケクソだ。崩れてしまうのなら盛大に崩してやろうじゃない!
湿らせた唇を亀頭に這わせ、窪を舌で突付けば頭上からくぐもった声が聞こえた。

「――っ…早く」

早く? 何をだろうと疑問に思えば頭を掴まれ、喉の柔らかい奥が圧迫された。声にならない呻き声が、充満した口の中で篭った音となる。
苦しくて息をするのも懸命に顔を歪めている私の喉元まで犯してくる銀時は、荒い吐息で更に奥まで突っ込んでくる。もう嫌だ。苦しくて吐きそうなこの行為に涙を流して堪えた。
其れなのに、見上げれば細めた目と合いその表情に疼く自分が居る。本当は望んでんだろうって、微かに上げた口角と揶揄を含んだ瞳がそう言っている。

「っは……名無子、全部飲めよ?」

「うむうっ!? ――んぐ、」

ふざけんな!! 嫌だ出来ない、目で訴えるけれど嗤笑を返されただけだった。
拒否なんて出来るわけがない。
びくんと脈打ったら、舌が苦く生温かい液体に包まれた。
抜いたら汚い布団に吐き出してやる!
そう思ったのに、こいつは萎えたそれを抜こうとしない。頭だって押さえられたままだ。これはつまり、意地でも呑ませようってことなのね。
上を睨みつけると、「オイオイ、早く飲まねーともっ回やらせっぞ」……マジで噛み切ってやろうかなコイツ。
悔しくて情けなくて、また涙が流れた。目を思いっきり瞑って自分の唾液と混ざった精液を飲み込んでやった。どうだ、満足かこのSマダオが。
やっと口から引き出されたそれは、萎えてなんていなくて。え、どこに亢奮したんですか? ――唯単に口の中で擦れて感じたとかだと思うけど、泣いた顔にとかだったら嫌だな。
口の中に残る苦味を吐き出せずに仕方なく何回か飲み込んでいると、銀時はさっさと服を整えてた。は……何で? あんたのせいで熱を持った私はどうなんのよ?

「ちょっと……」
「何してんだ。早く服直せって」

呆然としてる私の肌蹴た胸元を直し、汚れた口許をティッシュで拭う
されるが儘にしていると、玄関から声が響いてきた。
あれは、新八くんと神楽ちゃんの声。どうしよう、頭は目まぐるしく混乱してるってのに身体は動きやしない。

「銀さん、誰か来てるんですか?」
「ああ、名無子がなァ。其れより、いちご牛乳買ってきたかー?」

銀時といえば、何も無かったような態度で新八くんと話している。よくもまぁ平然と。
……知っていたのか、二人が帰ってくるって。だからあんな中途半端な行為で済ませたのね。自分だけヌいてすっきりして、私は放置か!
憮然とした表情で先程から変わらない座った状態のまま銀時を睨んでいた。

「名無子、何してるアルか?」
「あ、そんな所に座って何してるんですか? 名無子さん」

二人に同時に気付かれて、私の憤懣は吹き飛び一気に狼狽した。
何か、銀時の布団に座ってる理由を!

「あー、何か俺の部屋汚ねぇから掃除してくれるんだとよ」

その言葉に新八くんと神楽ちゃんが納得して、やらなくていーですよとか言ってたみたいだけど、私の視線は銀時から離れることはなく睨み続けていた。
助け舟まで出されるなんて、元はと言えばコイツのせいなのに!
早速いちご牛乳を飲んでいた銀時が視線に気付き、私の座る前にしゃがみ込んだ。尚も憎々しげに睥睨していると、滑稽だとばかりに薄笑いを浮かべて言った。

「先に崩したのは、お前だぜ」

気圧され僅かに身を引いた私の舌に、いちご味の甘い舌が絡みついた。





(崩れた後に残ったのは――…。)