在るものは壊れてしまい、それを防ぐことが出来なくて悔しくて、悲しかった。
だからもう何も要らないの、名無子は立ち入り禁止の屋上から街を見下ろし、勝手に付いてきた仗助にそう言った。仗助は突き出た髪の塊で顔に影を作り、その影の中、困ったような憐れんでいるような風に色素の薄い目を細めた。
手のひらを開き、左側が欠けてしまったロザリオを見つめる。母の形見だった。ちょっとした不注意で欠けてしまった欠片と本体を合わせてみる。接着剤でくっつけても、きっとまた欠けてしまうだろう。名無子は溜め息を吐いた。

「直してやるって」
「……いい」

あんたに任せるくらいなら自分でやるわ、と無骨な手を見て名無子は思う。
それにしても、どうして彼は私に構うのか。同じクラスだからとかそんなんじゃあ物足りない理由に考えを巡らせる。私は彼が嫌いではなかったけれど、だからといって大して会話はしなかったはずだ。先週、私の母が死ぬまでは。「同情なら止めて」と言ったら、彼は「違う」と、同情なんかじゃないんだ、と複雑そうな表情をした。
名無子は人前では何も無かったように振る舞い、周りからの同情を受けまいとしていたから、仗助の行動はとても迷惑に思えた。

「やっぱり要らなかった、こんなの」

欠けてしまったロザリオに呟く。
結局、在るものは壊れてしまって私は悲しむことになるのだと、形見を持ってしまった自分自身を憾んだ。

「なぁ、マジでちょっと貸せって。俺なら直せっからよォ〜」

まだ居たのか、と仗助を睨みつける。ちょっとで直せるってのかあんたは、接着剤も何も持ってないくせに。
それが引き金となった。名無子は今までに募った憤懣を吐き出すように、叫んだ。

「直せるわけがないでしょ! これは壊れたの! もう元には戻らないっ、物も人も!!」

コンクリートに全力で投げつけたロザリオは呆気なく砕け、キラキラと破片を煌めかせた。
要らないんだ何も、名無子は気を抜けば嗚咽と涙が出そうになるような胸の痛みにそう思った。
仗助が静かにしゃがみ込む。小さくばらばらになったロザリオ。流石にもう、「直せるぜ」なんては言えないだろう。名無子は視線を街へと向き戻した。

「……これ、お袋さんの形見なんだろ?」

だから何よ。無言のまま街を見ていると腕を掴まれた。文句を、言おうとした。でも、目の前に掲げられた物に瞠目するしかなくて。

「直してやったんだからよー、大切にしろよなぁ」

開かされた手のひらにそれは乗せられた。床を見る。そこには何もない。手のひらの輝くロザリオと、床と、仗助の顔を順々に見て、「な」とか、「え」とか言葉にならない声を漏らす。

「言っただろ、俺なら直せるってよォ」

そう笑ってみせる彼に何故だろう、嫌な気持ちが湧いてくる。名無子の手からロザリオが滑り落ちた。
仗助が文句を言ってロザリオを拾い上げる隙に、名無子は彼から離れて柵のない低い石段に登り立ち上がる。風が吹き上げて制服のスカートと髪を靡かせた。

「おい! 何してんだよッ名無子!」
「直せるんでしょ? 人も治せるかどうか、知りたいだけ」

名無子は体を前へ傾け、力を抜いた。倒れていく落ちるんだ。これできっと喪失感に心を痛めることもなくなる、と穏やかな気持ちになった。
しかし、そんな安楽さは一瞬だった。
唐突に胃が引っくり返るような恐怖が押し寄せ、「死にたくない! 怖い!」と情けない感情が溢れてきた直後、体が後方に引き寄せられた。腰に回された腕と、後ろからの呻き声。
離れていた彼が、どうやって落ちかけた私を引っ張ったのかはわからないが、どうやら私は助けられたらしい。

「てめーッ! ふざけんなよじゃねーッスよ!?」

起き上がると間近で怒鳴られ驚く。正直、怒った仗助は怖かった。
ずきりと走った痛みに脚を見ると、血が出ていることに気がつく。
だいぶ派手にスライディングをしたせいか、露出していた脚が見事に擦りむいていた。
名無子は恐々と仗助を見る。まだ眉を吊り上げてはいが、怒鳴る様子はなかったので安心した。

「人も治せるか知りたいんだったよなァ?」

脚に、何かが触れたような気がした。

「え――?」

脚から痛みが消える。見れば、名無子の酷かった擦り傷は跡形も無く消え去っていた。

「何で!? どうやったの!」

不可思議な現象に私は驚くばかりだ。綺麗になった脚を擦りながら名無子は仗助を見上げる。

「秘密。でも、怪我とかなら治せるんだがよ〜、死んだら生き返らすってのは無理なんだよな、たぶん」

そうか、私が即死だったら治しても意味がないのか。そう得心すると死にかけた悍ましい記憶に鳥肌がたった。
しかし、仗助はすごい能力を持っているんだな。名無子は説明のつかない彼の能力が何なのか知りたくなった。
ふと、仗助の手の甲が自分と同じように擦りむいて血が出ているのが見えた。

「手、治さないの?」
「あー……自分は治せねぇんだ」

ひでぇよなぁ、と仗助はぼやきながら傷口に息を吹きかける。
自分は治せない。ギュッと胸が締め付けられた気がした。

「……ごめん」

名無子はハンカチを引っ張り出し、出来るだけ痛くないように気をつけながら仗助の手に巻き付けた。
唇をかみ締めて思う。私に関わらなければ、彼は怪我をしなかったのに。

「なんで?」

名無子の小さな問い掛けに仗助は、「なにが?」と言いたげにきょとんとする。

「何であたしに構うのよ。同情じゃないなら何なの?」
「……別に、ちょっぴり気になっただけでよォ〜〜」

目を逸らして仗助は頻りに自分の顔に触れる。

「まぁアレだ……何も要らないとか言うなよ」

脈絡なく言われた言葉に、名無子は仗助を凝視した。
こちらを向いた仗助は笑みを湛えて口を開いた。

「物とか怪我なら俺が治してやっからさ」

さっきの話題を上手く誤魔化すように仗助は話を続ける。

「確かに壊れちまうのは怖ぇし悲しいけど、そう言って何も大切なもん作らねぇのはよ〜、もっと悲しくて惨めなもんじゃあねぇかと思うぜ」

彼の言葉が壊れかけてた私の心にじわりと染み込む。まるで薬のように。

「お前のお袋さんは戻ってこねぇが、その悲しみを乗り越えるってのは自分にとって重要なことなんじゃねーの? ……とか偉そうに言ってみたり」

名無子の顔色を伺い、仗助は真剣な顔を崩した。
もしかしたら、彼という薬の役割は誰でも良かったのかもしれない。壊れかけてた私に気付いて、それなりに納得出来るような言葉をくれたのなら、目の前の彼じゃあなくても――なんて考えて否定する。
今、私の心が治っていくのはきっと不思議な能力を持った彼の行動と言葉のおかげ。私に気付いてくれたのは仗助だけだったのだから。

「な、なんで泣いてんの!?  俺のせいッスか〜!」

慌てる仗助に向けて、泣きながら名無子は笑った。

「良かったら、あたしの大切な人になってくれる?」

差し出した右手。
彼はまん丸い目を見開いた。そして何故か真っ赤な顔で頷き、差し出した私の手を優しく力強く握り締めた。




ランリックをえろ