幽霊だとかそういう類のものは信じてなかったけれど、今の自分はそういう類のものじゃなければ何なのだろう。
現在の状況を見て考えている、私の意識は此処に在る。これが俗に言う霊体、魂なのか。今ならテレビの胡散臭い心霊番組も真剣に観れるわ、と私は自分の両手を握り開きして感覚を確かめた後、その広げた手のひらを見下ろした。その手は半透明で、透けた背景には――私が倒れていた。
簡単に宙へ浮くことの出来る私は、上から自分の顔を見下ろしてじっくり眺める。血の気を失って行く肌は不気味だけれども、いつも見ていたはずの自分の顔は普段より断然、美しく見えた。あれ? 私ってこんなに美人だったかな? 疑問に思ってフワフワと宙を移動し様々な角度から眺めてみる。ナルシストみたいで複雑な気分だけど、動かない私の死体は既にいつもの私ではなく――ああ、人って死ぬときが一番綺麗なのかな、なんてぼんやり思う。
幽霊でも五感はあるんだと感心しながら、私は聞こえてきた声に振り向いた。声は幾つかあって、その一つが此方に近づいてくる。この声は、ブローノだ。私は向かってくる声の主に近付こうと宙を走った。見えた姿に声を掛けようとした瞬間に後ろへ引っ張られ、「ぎゃっ!?」盛大に尻餅をついた。もう、何なのよー。後ろを見ると、さっきまでは気が付かなかった指ほどの太さの白い紐のようなものが、私の背中あたりから伸びていた。手に取ったそれを目で辿って行くと、五メートルほど先に横たわる私に繋がっているらしかった。幽霊って行動範囲の制限でもあるのだろうか、だとしたら何て不便なの。私は忌々しい紐を引っ張りながら思った。そんな私の横にブローノが立った。見上げると彼は倒れている私を見つめて確かめるように小さく私の名を口にする。倒れている私に向かって歩き出した彼の足取りはフラついているように見えた。私も立ち上がって彼に付いて行く。紐も弛むことなく自動的に巻き取られていく。変なの。

「――名無子、おいッしっかりしろ! 名無子ッ!」

動かない私の前に辿り着いたブローノは、声を張り上げながら私の死体を揺さぶった。険しい顔の彼は私の鼻に手を翳し、次に頸部へ触れた。一目瞭然なのに、確かめている。私の生死を。
じっと見ていた彼の表情が曇り、眉間を寄せて目を瞑った。再び開いた瞳は少し赤く潤って見える。

「ブローノ、泣かないで……」

その顔を見つめ声をかけるが、やっぱり幽霊である私の声は聞こえないらしい。彼は私の汚れた頬を優しく拭ってくれていた。
ピザを食べた時によく口元に付いたのを彼に指摘された事を思い出す。手がベタベタだったから拭いてと言うと、ブローノは呆れながらも拭いてくれて、微笑んでくれたなぁ。

「ねぇ、ブローノ。それは空っぽよ。あたしは此処に居るの」

「こっちを向いてよ!」そう叫んでも彼には聞こえない。分かってはいるけれど、私の死体の髪を梳いて悲しい顔をする彼に気付いてほしかった。
そんな私だったモノなんかに感傷的にならないで。私はまだ、此処に居るんだから。

「……すまない」

ふと手を止め、絞り出すような声で彼は呟いた。

「守ってやると、誓ったのに」

まるで神に祈るように、私の死体の手を握った両手に額を寄せる。彼の切り揃えられた黒髪に触れようと私は手を伸ばした。しかしその手は何にも触れることなく、包まれるような柔らかい感触で彼をすり抜けた。そこに在るものに触れられないことは奇妙であり、焦燥感と絶望感に涙が溢れる。もう、ブローノには触れられないし話も出来ない。
現実味を帯びた自分の死に、やっと泣くことをしながら私はブローノの言葉を思い出す。彼は覚えていたのか。あのとき、半ば私が負わせたような責任を。
昔、全てを失った私を助け拾ってくれたのは、ブローノだった。
「あのまま死なせてくれれば良かったのに!」どうして助けたんだ、と私は彼を罵った。私など一人では生きていけないし、自分を守る術もない、あんたのせいだ! どうしてくれるのよ! そう、怒鳴り掴みかかった覚えがある。ブローノは静かに言った。「俺が責任を持って君を守ろう」――と。
まさかその後、自分がギャングになり彼の仲間になるなど考えもしなかった私は、そんな彼の誓いなど直ぐに忘れてしまった。自分自身を守る術を手に入れ、守られる必要性が大幅に減ったからだろう。
彼が立てた誓いは、私の死によって壊された。彼が悔やみ嘆くことはないのに、当の本人が忘れてしまっていたのだから。
未だに私を探している他の仲間たちの声が聞こえ、ブローノが顔を上げる。
はっとした。自分の足元に垂れる白い紐が黒ずんでいるではないか。手に取ってよく見てみると、それはまるで火で炙られ焦げたかのように浸食している。しかし速度はゆっくりで――私は私の死体を見た。紐を見る。幽霊に行動範囲の制限など本当にあるのだろうか? 常に自分の死体にくっ付いていなきゃならないものなの? この紐はこのままだと焦げ切れてしまいそう。これに何の意味がある? どくんどくんと在りもしない心臓が強く脈打つ。
もしかして、私は死んでいない……? でもブローノは私が死んでいることを確認した。仮死状態だったってことは考えられないかしら? 敵のスタンドによって私の中心体温は極度に下がったんだわ、きっと。だから。
浸食されていく紐を見て焦る。時間がないことを悟った私の考えることは、どうやってブローノに私がまだ生きているということを伝えるかに切り替わった。
ブローノが立ち上がる。数秒、私を見つめてから声のする方へと歩き出した。みんなが近くまで来ているみたい。私の声は届かないうえに物にも触れられないらしいから、私は生きているんだと彼に伝えるのは難しい。この紐、私の体と繋がっているんだからどうにか動かせないかしら。そう思いさっきより僅かに黒の浸食が進んだ紐を引っ張ってみる。紐は抵抗なく伸びて私はがっかりした。体は引っ張れないと。もどかしく体に近づくと微かに息をしているのに気づいた。やった! 私、息を吹き返してる。同時に腹の空いた傷から血が一気に溢れ出してきて、これは大変だと叫んだ。

「ブローノ! ねえっ血が!」

彼は何も聞こえないと、振り向きもせず行ってしまう。ああ、どうすれば。遠くに数人の人影が見えた。
――ジョルノ! そうよジョルノに傷を塞いでもらえばいい。でも早くしないと、私は本当に死んでしまう。紐にじわりと小さな穴が空いた。
スタンド、私がまだ生きているならきっと出せるはず。そう考えた私は、焦りを鎮め集中して気合いを込める。派手に響く金属音。ちょうど近くにゴミ箱があって、私は発現させたスタンドでそのゴミ箱を殴ることができたのだ。でも二度は出来ないだろう、ひどい疲れを感じた。
音にブローノが振り返る。素早く周りに視線を巡らしてから私を見る。気付いてお願い! ありったけの気持ちを込めて私はテレパシーを送った。訝しげに彼は私の元へ戻ってくる。拉げたゴミ箱を見て、私を見て、彼は「まさか……」と呟きつつも急いで私の首筋に触れた。

「――生きている!」

驚きが籠もった声を発し、息も確かめ彼は血が溢れ出す傷口を見とめ背後に叫んだ。

「ジョルノ! 急いで来てくれッ!!」

その後すぐにジョルノが傷口を塞いでくれて私はあっさり生き返った。
私が体に戻る瞬間、集まったみんなを見回したら背後に黒っぽいような赤っぽいような靄が見える仲間が何人かいた。それはとても嫌な感じのするもので、私は言い知れぬ不安に駆られた。私の一番近くにいたブローノ。彼の背後にも靄が漂い、まるでそれは今にも彼を取り込んでしまいそうであった。
今 思い出すと、あれは死神だったのかもしれないと思う。死神そのものではないにしろ、近い死を、終わりを確定された者に目印のように憑くものだったんだ。そして魂だった私にだけ、それは見えたのだろう。見えたからなんだというわけでもない。例えあの時、靄の検討がつき彼らに危険を伝えたとしても結局は、何も変わりはしなくて。この終焉は変わることなどないもの。

簡素な墓石を見下ろす。柔らかい潮風を受けながら、静かに涙した。




白い花を手向けに

あなたはこれで良いと言った。
(ならば、私が泣くのはこれが最後)