腹が痛む。呻く程のものではないが、その鈍痛は憂鬱の前触れだと、名無子は素肌を包んでいたシーツを怒りや嘆き、羞恥心を込めて握りしめた。「羞恥心」など今更何を、と嘲笑に乗せて言われるかもしれない。誰に? あの男に、だ。男と言うには若すぎる気もするが、そこらの成人男性なんかよりも遥かに高い処に座り、この街を統べている。以前は、そんな彼に憧れ、恋をしたものだ。今も確かに残るその恋慕は、彼によって引き出される他の感情に埋もれて、めったに顔を出さない。

名無子は丸まっていた体を緩慢に起こし、素肌にシーツを纏って、たった一つの出入り口へと向かう。きっと其処へは、目を瞑ってでも辿り着ける。そんな自信を持って触れたドアノブは、いつもと変わらず冷ややかだった。
力を込めて捻り引く、押す、引く押す引く。開かない。鍵が掛かっているのだから当然のことだ。
そのドアは名無子にとっては壁と同じ、出入り口の意味を成さないものであったが、いつか幸運が訪れ、開ける事が出来るのではないかという淡い期待が消えず、名無子はこの行動を繰り返すしかなかった。
力んだせいか、溢れた感覚がして慌てる。床を見ると、点々とそれらしきものが見えたが、薄暗く設定した照明ではその色までは分からなかった。
名無子は溜め息を吐き、今度はトイレへと向かった。からからとトイレトペーパーを絡め取り、それを下腹部へと伸ばす。軽く押し付けて、そのトイレトペーパーを眼前に持ってくると、確認できた。赤は汚れのように、暗がりでも白に映えていた。そうか、もうすぐ一ヶ月が経つんだ。私の精神はそんなに脆弱ではないのかな。開け放っていたトイレのドアの先、部屋の高い位置にある小さな窓を、幾度も戻りたいと願った普通の生活に思いを馳せて見つめた。
名無子は、これでもかと言うくらいにトイレトペーパーを絡め取り、分厚くなったそれで溢れる場所を押さえた。床を拭かなくては、と思い立ち歩き出す。ああ、落ちる。仕方なく一旦それを取って、早足でドアの所へ戻り、目を凝らして汚れを見つけ出し拭く。また早足でベッドへ戻り、ゴミ箱へ拭いたものを放り投げて先ほどのをもう一度、股に押し当てた。多分、零れて落ちてはいないと思いつつ床をじっくり見回してから、力を抜いて枕に顔を埋めた。

微睡む意識の中で、ふと小さく、微かな振動を感じ取った名無子は、慌ててシーツを被りベッドに横になり縮こまった。程なくして金属がぶつかり擦れる小さな音がドアから聞こえてきた。唯一の出入り口であるそのドアを開ける事が出来る者は、たった一人だけ。

「名無子、ただいま」

ジョルノは微笑みを見せながら、名無子に向かっていつもと同じ言葉をかけた。何かを買ってきたのだろうか、袋を戸口へ置いた。

「遅くなってしまってすみません。お腹空きましたよね、すぐに作りますから……」

近付いてきたジョルノが口を噤み、シーツを頭まで被った名無子を見つめ鼻をひくつかせた。

「名無子、怪我でもしました? 血の臭いがする」
「――っ!」

血の臭い、だなんて分かるものなの? と鼻をくんくんと鳴らし、「分からないよ」と怒鳴りたくなる。ジョルノがもう、すぐそこまで来てしまったので、名無子は急いで、「怪我なんてしてない。血の臭いなんて気のせいよ」と嘯いた。
ドアの方を向いて、膝を胸に引き寄せる形で縮こまっていた名無子の肩へ、シーツ越しにジョルノが触れる。心臓が跳ねた。触れた手は、滑らかに移動し、腰のラインをなぞって尻で止まる。

「それじゃあ、この血の跡は、何なんですか?」

また心臓の奴が跳ね上がった。白のシーツに、赤い血が付いてしまっていた、らしい。確かめていなかった。いずれは知れてしまうことだけれど、今は知られたくなかったのに。
ジョルノの手が戻ってきて、今度は名無子が握っていたシーツを軽く引いた。

「名無子、離して下さい」

嫌だと握る手に力を込め、更に体を縮める。足元から捲れば、容易くこの薄っぺらな鎧を剥げるというのに、この男はわざわざ上から、私の従順度を確かめるかのような事をする。生憎、私は従順ではない。が、私は知っていた、ジョルノの静かに潜む狂気を。
「名無子……」声が微かな怒気を含んだことに、名無子は怯え、観念して拳を緩めた。外気へ晒された素肌が温度差を感じて鳥肌立つ。裸自体はもう慣れた。しかし、此処へ閉じ込められてからコレがきたのは初めてだ。シーツが取り払われ、ジョルノは露わになった名無子の脚を持ち上げようと掴む。それを阻止したいと、無駄な抵抗だと分かっていながらも、名無子は脚に力を込めた。諦めの混じった抵抗など本当に無駄以外の何でもなく、あっさりと持ち上げられ開かされた。血の染み込んでいるはずのトイレトペーパーが宙を飛び、重い音を立ててゴミ箱へ落ちた。

「やっぱり……そろそろだと思ったんです」

そう言って掴んでいた脚を静かに下ろした。恥ずかしい、と顔を背けていた名無子は、ジョルノの言葉に驚いた。そろそろって、何で知ってるのよ。
「安心して下さい。きちんと買ってきましたから」とドアの方へ向けた視線を追えば、先ほどの袋が目に付いた。それを平然な顔でレジへと持っていき、会計を済ますジョルノには羞恥心など塵ほどもなかったのだろう。「必要なものを買うだけなのに、そんな無駄な感情は生まれませんよ」などと言われそうだ。

「シーツ、汚れてしまいましたね」

心臓が萎む思いがした。しかしジョルノは怒っている様子ではなかった。染み込んだ赤を眺める彼は、何を考えているのだろう?

「……シャワー、浴びてくる」
「名無子」

起き上がろうとした名無子の肩を上から押さえつけ、「まだ、駄目です」とジョルノは言った。何だろう、と不安が湧き上がる。見下ろしてくる彼の顔は暗くて良く見えない。恐ろしい。そう名無子の本能は訴える。
「知っていますか?」そう問い掛けながら、ジョルノはベッドへ上がってきた。逃げようとした脚が捕らえられる。

「生理中は敏感になるらしいですよ」

目を見開けば、既に胸へと這わされている舌。ぞわぞわ、と全身を伝わる感覚に震え、逃げたくて身を捩った。舌が追ってきては触れ、その内に歯を立てられる。声が上がったが、それは痛みに対するものではなかったから、名無子はジョルノの言う通りだ、と落ち込んだ。

「や、止めて。ジョルノ」
「止めません」

完全に組み敷かれた名無子の訴えなど通るわけもなく、執拗に舌の愛撫を受ける乳首はじんじんと快感の信号を脳に送る。僅かに残った矜持なのか、まだ変に高い声を漏らすことはなかった。
上半身を起こしたジョルノは服を着ている。自分は着ていない。――いつもこの違和感には慣れないな。ジョルノに脚を左右に割られ、赤く染まっているだろうそこに、指が触れられるのを不安げに眺めながら名無子はそう思った。

「ああ、ほら。すごく綺麗な赤ですよ」

暗くてよく見えないのに、彼にはそんなにはっきりと見えるのだろうか? と名無子は翳された手を見て顔を顰める。
その手がまた血で濡れそぼった膣へと侵入してきた。痛みは、なかった。それはジョルノがゆっくりと気を使ってくれたおかげであったのかもしれない。
動かされる指の感覚に思わず目を瞑る。陰核にぬめった物が押し当てられ、「あっ」と名無子は声を上げた。まさか、と開いた目を下へ向けると、金髪の頭が脚の間にあって叫びそうになった。血が出てるっていうのに、どうかしてる! どうにかその衝動を抑え、ジョルノにそれは止めて欲しいと伝えようとしたが、陰核を剥き出しにされ、固くした舌先でつつかれて体は素直に反応してしまい、行動はうまくいきやしない。繰り返し攻められ、小さく体が痙攣する。「やめ、ジョルッ――うあっあっ」言葉が紡げず、両脚はジョルノの頭を挟むように閉じていく。水音が耳へ届く。溢れた真っ赤な血を舐めるジョルノが想像され、名無子は不快感なのか興奮なのかよく分からない気持ちに更に筋肉を収縮させる。そのせいで、挿れられていた指が強く壁こすり、達してしまった。
「いつもより断然早い」――分かってる。
快感の余韻に息を吐く名無子を見下ろし、楽しそうに笑いながら言う。
「敏感に、なっているんですよね?」――認めるわ。
腰を折って顔を近づけてきたジョルノが人差し指で胸を撫でていく。認める、ということにとても悔しい気分にさせられるが、否定などできない事実を、自分の体で証明してしまったのだ。「敏感になってる、よ」言わざるおえない。

「でも、もうやめて。血が出てるのに、こんなこと……」
「でも、出てるのは血だけじゃあない」

目の前に突きつけられた手。だから、見えないってば。それでも、羞恥心に唇を噛んだ。ジョルノは優しく名無子の頬に口づけ言った。

「何事も経験ですよ、名無子」

再び脚を掴み上げられ、いつの間にか準備万端のジョルノが押し当てられ、ゆっくり腰を進めて入ってきた。

「うっ……」
「名無子、痛いですか? 大丈夫?」

顔を歪めた名無子にそう尋ねながらも、更に奥へと進めていく。

「い、痛い――ジョルノ痛い!」

いつもは感じない染みるような強い痛みに、名無子は我慢できずに訴えた。動きが止まり、後退していく感覚に安堵したが、「ッ!」浅く突かれそのまま繰り返される。「や、痛い……嫌ッやめてジョルノ、うぅ」「そんなに、痛いんですか?」涙でぼやける視界を細めて必死に頷く。止めてくれる事を祈って。しかし、自分を閉じ込めたあの日からのジョルノの非道さを思い出し、名無子の目の縁から涙が溢れ落ちた。

「仕方がないな。止めてあげます」

安心感が込み上げるが、その言い方があの日と重なり少し怖くなった。自身を引き抜いたジョルノは、徐に服を脱ぎ始めた。

「お風呂に入りましょう。一緒に」

脱ぎ終えたジョルノが名無子の濡れた頬を拭い、「さあ、行こう」と手を引っ張った。
「口でして下さいね」何を、とは問わない。嫌だ出来ないは通らないのだ。従わなければ、アタシの自尊心が更に傷つけられるだけ。
点けられたバスルームの電気に目を細める。鮮明になった色彩の視界に明るい金色の髪が飛び込む。髪を解き、振り向いたジョルノ。

「あと、たくさんのキス。それで許してあげます」

そう言って優しく、少し子どもっぽさが伺える笑みを浮かべた。
底辺から一気に浮上してきた愛しい感情に、名無子はどうしよもなく泣きたくなった。




やがてが腐り切って溶ける頃には
(私はきっと、あなた以外なにも要らなくなる)