Re:start

 遠い存在であったはずの中学生最後の夏はあっという間にやって来て、そのまま過ぎ去っていった。喪失感と開放感、それからわずかな変化を残して。

 行ってきます、とぼそりとつぶやいて家を出る。いつもよりも少し早い朝。通い慣れた通学路の普段ならばまっすぐ進む交差点を、仁王は左に曲がった。
 春には薄紅色に染まる、車道を挟んだ両側に桜の木が植わっているゆるい坂を上った先に、海外ドラマにでも出てきそうな洋風の一軒家が建っている。ラケットバッグを肩から下ろして門の近くに立っていると、ガチャリと音を立てて玄関の扉が開いた。前庭の階段を降りてきて門に手をかけた優音が仁王に気づいて「あれ?」と声を上げる。

「おはようさん」
「おはよ。どうしたのこんなところで」
「いつもより早く目が覚めてのう。気まぐれじゃ」

 本当は一緒に登校したくて迎えに来たのだが、気恥ずかしくて言えなかった。優音は「へえ」といつもの調子で相槌を打って門の外に出てくる。

「じゃあ一緒に行こう……で合ってる?」

 仁王の本心を見抜いたように、けれど自信なさげに尋ねてくるのがいじらしくてきゅっと胸の奥が締め付けられる。合っとるよ、と頷けば優音はほっとしたように笑った。


 数日前、雨上がりの屋上で勢いあまって伝えてしまった仁王の気持ちに優音は笑って「私も」と答えた。二年と半年を経た片想いはようやく実を結び、仁王と優音の関係は晴れて友達以上恋人未満から正式に恋人へと変わったのだった。

 もともと仲が良かったこともあり、ふたりのあいだにこれといった変化はなかった。告白する前、友達でなくなることに対しあんなにも臆病になっていたことが不思議なくらい。

 優音と一緒に通学することだってこれまでに何度もあって、自分たちにとっては別に特別なことではなかったはずだ。それなのに、妙に胸の内がそわそわして、今まで以上に隣を歩く彼女のことが気になってしまう。ときどき目が合って、なにも言わない仁王を見て不思議そうに微笑まれるだけで苦しい。これでは片想いのときより片想いしてるみたいだ。

「さっきからニヤニヤしてるけど、なんかいいことあったの?」

 また目が合って、優音が顔を覗き込んでくる。きらきらした瞳が眩しくて彼女の目元を片手で覆った。

「今かっこ悪い顔しとるき、見るの禁止じゃ」
「わっ、ちょっと!」

 瞬きでもしているのか、長いまつ毛が手のひらをかすめてくすぐったい。しばらくしてようやく口元のゆるみが落ち着いて、優音の目元から手を離した。

「もう、パンダみたいになったら仁王のせいだからね」
「すまんすまん。お詫びになにか言うこと聞くのはどうじゃ」

 新作のフラペチーノを奢るのでも、ショッピングに付き合うのでも、なんでも。そう言えば優音は少し考えるような素振りを見せたあと、すっと右手を差し出した。

「手、繋ぎたいんだけど。……だめ?」

 なんでもと言っているのだから、だめなんてことはないのに。そうでなくても、もう自分たちは恋人なのだから気にすることないのに。不安げに聞いてくるのがおかしくて、また口元がゆるんでしまいそうで、返事をする代わりに差し出された手を取った。