黄昏の万華鏡
ある時から、仁王のお気に入りアイテムがカレイドスコープになった。きっかけが何だとかは全くわからないけど、夕暮れの屋上で目元に当てた細い筒をくるくる回す仁王がすごく楽しそうだったからよく覚えている。
「おまんも覗いてみんしゃい」
渡されたカレイドスコープを右目で覗く。角度を変える度に色や形を変えていく幾何学模様。仁王みたいだ。そう思った。見る度に姿が変わって、見ている人たちを驚かせる仁王のイリュージョン。「コート上の詐欺師」と呼ばれる仁王らしいプレイスタイル。
その強さや凄さは近くで見てきたからよく知っているけれど、イリュージョンを見ていると、ときどき心配になる。合宿での総入れ替え戦のときみたいに無理をして怪我をしないかとか、仁王は意外と繊細なところがあるからイリュージョンした相手の思想に影響されてしまわないか。高い技術の必要な技まで打ててしまうのだから、仁王雅治自身で戦ったって通用するんじゃないか。イリュージョンしなくたって仁王はすごいはずなのにって。
「誰だ、アイツ…………⁉」
だから私、ドイツ代表との試合を見たとき、真っ先に嬉しいって思ったんだよ。
唯一誰にも自分のテニスを見せたことが無い、オリジナルデータが一切無い選手。世界中の選手たちの仮面で隠されていたその素顔が明らかになる。
歓声の中で続くラリー。ベルティ選手が放ったボレーが仁王によって打ち上げられる。全国大会で仁王が敗れた星花火のようだった。衛星視点を解除した打球は加速しながら落ちていく。
いける。きっと誰もがそう思ったはず。だけど相手はドイツのプロ選手。綺麗に決まったスマッシュはデューク先輩のラケットに当たったけれど、その勢いでデューク先輩も仁王も吹き飛ばされてしまった。
「ボールは!?」
ハッとして見ればボールは日本側のネット付近に落ちようとしているところだった。ふたりが居るのはベースラインより後ろ。全力で走ったって間に合わない。
「先輩っ‼」
響いた仁王の声に顔を上げる。先輩のデュークホームランで仁王がネットまで飛ぶ。一撃で試合の流れを変える超高速パッシングショット。ボールは相手選手の脇をすり抜けてドイツ側のコートに落ちた。
「ゲームセット! ウォンバイ日本!」
沸きあがる歓声とジャパンコール。膝の上で握りしめていた拳から力が抜けていく。いつの間にか浮かんでいた涙が頬を伝う。
嬉しかった。ドイツのプロ選手に勝ったことが。進化したイリュージョンが世界に通用したことが。仁王自身のテニスが見られたことが。
「っはは、やっぱりテニスって面白いや」
これだから辞めてしまった今もテニスから離れられない。離れられないどころか、この試合を見て私は…………。
ふと視線を感じてコートの方を見る。仲間たちに囲まれている仁王の目がこちらへ向けられていた。柔らかく微笑んで軽くこちらへ突き出された拳。
「おめでとう、かっこよかったよ」
いつかの届かなかった世界が一瞬目の前に浮かんで、目を閉じる。それから応えるように頷いて、同じように拳を突き出した。
今日観た試合を、最期のイリュージョンを、私はこの先もずっと忘れないだろう。