春なんて来なければいいのに

「私、高校は立海じゃないの」

 自分の膝に顔を埋めて、優音はらしくない小さな声でそう言った。いつもうるさいくらい明るくて元気な優音のそんな姿を見るのは、以前した喧嘩のとき以来だ。
 正直なところ、薄々気づいていた話だった。外部進学予定の生徒向けのガイダンスが行われるときは決まって教室にいなかったし、担任と面談をしたり図書室で勉強をしたりという姿を見かけることも、夏以降増えていたし。

 親しい友人や部活仲間の中にはそのことを知っている奴らも居るようだったけど、今日になるまで俺に話そうとしなかったのはきっと、俺がテニスに集中できるようにという優音なりの気遣いだろう。

「どんな雅治も好きだけど、テニスしてるときの雅治は生き生きしてて、かっこよくて、いちばん好きなんだ」

 優音の声で再生できるくらい、何度も聞いた言葉だった。

「…………気づいとったよ」
「え?」
「でも、話してくれてありがとさん」
「…………反対とか、されるかと思った」
「いや、さすがにしないじゃろ」

 優音の進学先に決まった高校は立海とは正反対の方向にある学校だ。通学路はもちろん家を出る時間や帰宅時間だって、これまでと違い別々になる。寂しくないと言えば噓になるが、優音が何かやりたいことがあってその進路を選んだのなら、背中を押してやるのが彼氏の努めのはず。
 それに俺は詐欺師だから。本心を上手く隠して応援することくらい、朝飯前だ。

「自分で決めておいてなんだけどね、私はちょっと後悔してる」

 夢のためだし仕方ないけど、みんながいないのは寂しい。彼女が吹いたシャボン玉がオレンジ色に染まり始めた空に吸い込まれていく。

「あーあ、春なんて…………」

 小さく呟かれた言葉。「俺もそう思う」と言う代わりに、同じようにシャボン玉を膨らませた。