選択されなかったシナリオ

※別れるif


 仁王と別れた。
 別れた、と言っても、喧嘩したとか浮気したとか、そういう何か決定的な揉め事があったわけじゃなくて。いわゆる、遠距離恋愛による自然消滅だった。

 私たちは大丈夫。自然消滅とか、そんなことあるわけがない。付き合っていた、幸せだった頃はそう信じてやまなかったけど。もしかしたらずっと、いつかこんな日が来るって頭のどこかで予感していたのかもしれない。
 最初こそ部屋に置き去りにされた上着を抱きしめて柄にもなく泣いたりもしたけど、三日も経つ頃にはぱったりとしなくなった。それと同時に薄れ切っていた感情に気づいて、呆れて笑って。四日目には完全に吹っ切れて、仁王のいない日常にも慣れ始めていた。…………置き去りの上着はまだ、クローゼットの奥で眠っているけれど。

 イヤホンから流れる曲に耳を傾ける。静かに始まるピアノの前奏。自分じゃこういう曲はまず聴かないけど、いつからだったか、私のお気に入りプレイリストの中は仁王が好きなジャズやら何やらの曲が半分以上を占めるようになっていた。

 初めてこれを聴いたときの記憶がぼんやりと頭に浮かぶ。夕暮れの車内に響く哀愁に満ちたトランペットのメロディ。いつも猫みたいにふらっとどこかへ行ってしまう仁王だけど、私が泣いているときは何故か絶対に隣にいて、こうやって連れ出してくれたっけ。

「…………愛しとるよ」

 ハンドルに寄りかかってこっちを見る優しい眼差しも、声色も、今でも鮮明に覚えてる。
 たくさん傷ついて、きっとたくさん傷つけた。だけど、分かりづらい優しさも、内面の熱いところも。試合中の真剣な顔も全部、どうしようもなく大好きだったの。

 記憶の中のメロディと今聴いているものが重なった。切ない音色がまるで「さよなら、元気で」とでも言っているみたいで、また泣きそうになって目を閉じる。

 ねえ、雅治。もしあのとき私が会いたいって素直に言えていたら、寂しいって言えていたら、何か変わっていたのかな。どうせいなくなるんだったら一緒に思い出ごと消し去ってくれれば良かったのに、なんて。惨めなヒロインみたいで笑ってしまった。

 歩き出した人混みの中、懐かしいムスクの香りがした気がして思わず振り返る。でも、大好きだったあの銀髪は、見つけられなかった。