ほどけた魔法が編まれる朝に

 懐かしいな。堤防に座って少しずつ明るくなっていく空を眺めながら私たちがまだ中学生だった頃を思い出す。
 まだ暗い時間に海を見に行ったのは、修学旅行のときが初めてだった。

 あれからいろんなことが変わっていって私たちもすっかり大人になったけど、太陽が顔を出す瞬間を待っている間のドキドキ感は、あの時と全然変わらない。「海に行こう」なんて起こされたときは何事かと思ったし、眠いし寒いしで家を出る直前まで渋っていたけれど、やっぱり来て良かったかも。

「優音、毛布」
「ありがと」

 忘れ物を取りに車へ行っていた雅治が戻ってきて隣に座った。渡された毛布に包まる。「準備良いね」雅治は「まあな」と得意げな顔になった。

「でも珍しいよね。雅治も寒いの、得意じゃないでしょ?」
「ロマンチックじゃろ、朝方の海」
「そうだけどさあ」

 答えになってないし、日の出前じゃ何も見えないじゃん。雅治が突拍子もないことを言ったりしたりするのはいつものことだから、別に良いんだけどさ。

 視線だけを隣へ向ける。雅治は真剣な顔で水平線を見つめていた。何を考えているのだろうと思考を巡らせてみたけれど、さっぱりわからない。いや、そもそも出会ってから今日までの中で私が雅治の考えを読めたことなんて、片手に入るくらいしかなかったはずだ。そういうところも含めて好きだけど、向こうは私の考えなんていつでもお見通しだからちょっと悔しくもある。

「ねえ、せっかくだしもっと近くまで行こうよ」

 修学旅行のときと同じように海へと歩いていく。大きくなっていく波音。あの時と違うのは隣に立つ雅治の少し伸びた身長と、大人びた横顔と、繋がれた手くらいだろうか。
 海鳥の鳴き声がする。だんだん夜が退いて、漆黒が群青へと変わっていく。背後から明るさが広がって、明度を増した群青は彩りをつけて。やがて、最初の光が差し込んできた。

「きれいだね」

 風に運ばれていく呟き。空にかかる薄雲が濃淡の紫で彩られている。繋いでいた指先がきゅっと絡められた。

「雅治?」
「…………話が、あるんじゃ」

 こちらへ向けられた眼差しは真剣だった。真剣だけど、ちょっと不安が混ざったような色。何の話だろうと気になると同時にこんな雅治の顔見るのいつぶりだっけと考える。でもパッと思いつかなかったから、ここ数年は見ていないはずだ。雅治はいつだって、私よりも余裕のある人だった。

どくん。心臓が脈打つ音がやけに大きく聞こえる。雅治はなかなか続きを話そうとしない。もしかして、嫌な話? 別れ話とか? さっきまですごく幸せな気分だったのに、考えれば考えるほど不安になってくる。
 視線から逃れるように目を逸らしかけたそのとき、雅治が上着のポケットから小さな箱を取り出した。

「…………え?」

 顔を見せた朝日を浴びて、ゆっくりと開かれた箱の中身がきらりと輝いた。すっと跪いた雅治が背筋を伸ばして大きく息を吸い込む。

「俺と、結婚してください」

 いつか一緒に観た映画のワンシーンみたいだった。真剣な眼差し。差し出された指輪。驚きで止まっていた思考が動き始めた瞬間、安心と嬉しさで涙が浮かんでくる。

「はは、なんか王子様みたい」

 一度深呼吸をして、涙は流れてるけど笑って頷いて、

「不束者ですが、よろしくお願いします」

 言ってすぐ、立ち上がった雅治に抱きしめられた。
 夜が明ける。今日、この朝を迎えた世界中の人たちの中で、きっと私たちがいちばんの幸せ者だ。