永遠をきみと

 初めて話した日のことは、今でも鮮明に覚えている。
 五限に出るのがだるくて訪れた屋上は、昼休 みが終わってすぐというのもあってか静かだった。はあ、と吐き出したため息と、青空に吸い込まれて消えていったひとりごと。ふわりと目の前を横切った虹色の丸いもの。
 誘われるように歩いて行った先、ベンチに座ってシャボン玉を飛ばすその人の銀髪は、太陽の光を浴びてきらきらと輝いていた。

「…………おまんもやるか?」

 ゆっくりと振り返った琥珀色と目が合う。ピンク色のボトルを受け取れば、その人は僅かに微笑んだ。
もしかしたら、私はあのとき既に、仁王雅治という男の魔法にかけられていたのかもしれない。


 前室にやって来た雅治は私の姿を見て一瞬その場で固まった。そして一度目を閉じて、ゆっくりと開いて、いつものように唇の端をつり上げて笑う。

「馬子にも衣裳、ってやつじゃのう」
「は? 何それ、褒めてる? 貶してる?」
「はは、褒めとるよ」

 普段通り、いやそれ以上にニヤニヤと本心の読めない笑みを浮かべる雅治。今日は幸せな、特別な日だというのに、思わずため息が零れる。

「本当に褒めてるなら、素直に言ってくれればいいのに…」

 今日くらいは素直に「きれいだよ」とか「似合ってる」とか言ってくれるんじゃないか。そんな淡い期待を抱いた私が馬鹿だった。何よ、馬子にも衣装って。唇を尖らせてぷくりと頬を膨らませれば、くつくつと笑い声が降ってきた。

 立海大附属中学校に入学してテニス部に入って、あの屋上で雅治と出会ってから、十年以上の月日が流れた。
最初は部活仲間でサボり仲間。次に友達、クラスメイト。そして、恋人。楽しいことだけじゃなく、喧嘩にすれ違いなどさまざまなことがありつつも、今日まで続いてきた私と雅治の関係。その中に今日また一つ、新しいものが加わることになる。

 レースたっぷりの、おとぎ話のお姫様みたいな真っ白なドレスを見下ろす。
 小さい頃からずっと憧れていて、数年前の姉の式をきっかけに本格的に意識するようになった結婚。しかもジューンブライド。六月の花嫁。それを大好きな人と迎えられるというのはとても嬉しいことだ。
 だけど、まだ「雅治のお嫁さんになる」という現実が式当日である今もなお信じられていない自分もいて、とにかく不思議な気分だった。

「褒めてるのは本当じゃき。まあ、そんな怒りなさんな」

 近づいてきた雅治が私の機嫌を取るようにポンポンと肩を叩く。普段ならわしゃわしゃと頭を撫でてくるところをしなかったのは、雅治なりの気遣いなのかもしれない。それもそうか、せっかくセットしてもらった髪をぐちゃぐちゃにしたら、いろんな人から怒られそうだもんね。

「別に怒ってないよ。雅治が素直に言ってくれないのはいつものことでしょ?」
「……」
「雅治?」

 いつものように「彼氏を信用しとらんとは、酷い彼女じゃのう」と泣きマネくらいされると思っていたのに、いつまで経っても軽口は聞こえてこない。怪訝に思って顔を上げる。

「大丈夫? どうかした?」
「…………いや、何でもないぜよ」
「それなら良いけど……」
「そんなことより、そろそろ時間じゃろ」

 雅治の大きな手が私の手を取った。挙式が行われるチャペルへと歩き始める。近づくにつれて高まってきた緊張に、ふう、と息を吐いた。


 真っ赤な絨毯、煌びやかなステンドグラス。十字架と神父様を背に立つ、白いタキシードを着た大好きな人。
 目の前はレースによって覆われていて、自分の手はベールに包まれていて。音でも鳴りそうなくらい溢れんばかりのレースが、私が一歩踏み出すのと同じリズムで揺れる。

「では、誓いのキスを」

 聖書を手にした神父様の声が、チャペル内に響く。
 十字架の前で誓う。大好きなこの人と、この先ずっと一緒にいることを。細くて長い指がベールを上げて、すっと視界がクリアになった。雅治の顔が近づいてくる気配がして目を閉じる。そして、

「綺麗じゃよ」
「えっ……?」

 私にだけ聞こえるように小さく、だけどはっきりと呟かれた言葉に驚きが隠せない。だってまさか、言ってくれるなんて微塵も思ってなかったから。
 そっと目を開ける。こちらを見つめている琥珀色。雅治が私へ向ける視線も、微笑みも、これまでにないくらい優しいもので。

(ああ、私、本当に雅治と結婚するんだ)

 なんて、その顔を見たらやっと実感が湧いてきて、目頭が熱くなる。泣いてしまいそうなのがバレないように一瞬だけ下を向く。そしてゆっくりと顔を上げて頷けば、雅治がふっと笑った。骨ばった手が肩に触れてそっと目を閉じる。

 十数年前のあの日。立海大附属中学校の屋上 。何百人もいる同級生の中で、あのとき偶然出会った雅治。
 共通点がたくさんあって、異性じゃそれなり仲が良くて。でも、好きなものとかは、びっくりするほど正反対。そんな雅治とまさか結婚することになるなんて、一体誰が想像しただろう。

 だけど今となっては、今日までの全てが全部、必然だったのかもしれないと思えるんだ。だって私はあの日屋上で、、仁王雅治の魔法にかけられてしまったのだから。そしてそれきっと、十年以上経った今でも続いているんだと思う。たぶん。
 その魔法がもし、これからもずっと続いていくのなら。繋いだ手だけは、絶対にいつまでも離さずに。

 今日君と、永遠を誓うキスをしよう。