学生時代から付き合っていた聖と別れた。もう思い出せないくらい、本当に些細なことがきっかけで始まった喧嘩が原因だった。

『もう、別れる』

 ぱっと思い出せるくらいくっきりと刻み込まれている、あの日の聖の言葉や表情。今になって振り返ってみたらいつも通りだったはずのそれに、あの日は妙に腹が立ってしまって。胸の内でだんだんと大きくなっていった怒りに任せてつい口走ってしまった言葉に、聖はほんの少しも動揺することなく言ったのだった。

『……そう。それじゃ』

 なにそれ、引き止めてくれたって良くない? 聖にとっての私って、そんなに簡単に手放せるような存在なの? 私たちが恋人として過ごした数年間ってなんだったの?
 考えれば考えるほど悲しくて、悔しくて。とめどなく溢れる涙はそのままに、驚きの目を向けてくるすれ違う人たちも気にせずに、泣きながら部屋に帰ったのが一週間ほど前のこと。

「はあ……」

 思わずこぼれたため息とともに、聖との思い出の品を紙袋につめていく。おそろいのマグカップ、お泊まりデートのために買った彼用の部屋着、誕生日プレゼントにもらったアクセサリーが入っていた箱。……ああこれ、付き合って1周年のときに無理やりゲームセンターに連れていって撮ったプリクラだ。シールの中の私たちは幸せそうに笑いあっていて、またじわりと涙が浮かぶ。あんなこと、言わなければよかった。だけど、でも。

 ようやく部屋の片づけが終わった頃にはもう日が暮れ始めていて、部屋の中は薄暗くなっていた。本当なら、今日の今ごろは聖とデートしているはずだった。なのにどうして私は部屋の片付けなんてしてるんだろう。
 さっぱりとした部屋の中にひとりぼっちでいる寂しさを紛らわすように灯りをつけて、いっぱいに膨らんだ紙袋を玄関に持っていく。

 ふと、扉が開きっぱなしになっていた玄関の収納にひっそりと佇む箱が目に入った。いつだったか「似合うと思って」なんて言葉とともに渡された、聖から最後に貰ったプレゼント。色も素材もヒールの高さも、ぜんぶが私好みのハイヒール。最近仕事やら何やらで忙しくてすっかり存在を忘れていた。

「……聖はムカつくけど、プレゼントに罪はないもんね」

 箱を開けて履いてみる。センスの良い彼の言葉の通り、そのハイヒールは姿見の中の私によく似合っていた。
どんよりしていた気分が少しだけ軽くなってその場でくるくると回ってみる。そのとき、靴底に何か文字が書かれていることに気がついた。 片方の足を持ち上げて裏側を見てみる。

" Will you marry me ? "

 その一文が意味することを理解した瞬間、部屋を飛び出していた。
 バカ、聖のバカ。こんなの、気づくわけないじゃん。だれに入れ知恵されたのよ。貰ってからしばらく経ってるのに、どうして言ってくれなかったの。気づいていたら、そんな風に思ってくれているって知っていたら、あんなこと。

 エレベーターを待つ時間も惜しくて滅多に使わない階段を駆け下りる。やっとのことでエントランスにたどり着いてマンションを出ようとしたそのとき、外から入ってきた人にぶつかった。

「わっ……ごめんなさい!」
「相変わらずそそっかしいね〜ミョウジは」

 高いところから降ってきたよく知っている低音におそるおそる顔を上げる。

「……聖?」
「なに、幽霊でも見たような顔しちゃって。まさか彼氏の顔忘れたとか言わないよね?」

 ていうかそれ、やっと気づいたんだ。呆れたように言いながら聖の視線が私の足もとに向く。

「ごめん」

 気づくのが遅くなって。あんなこと言っちゃって。じわりと視界が滲む。「いいよ、気にしてないから」聖はそう言ってぽん、と私の頭の上に手を乗せた。

「ところで俺、かなり待ったんだけど。返事は期待していいんだよね?」

 見上げた聖はいつものように掴みどころのない笑みを浮かべていたけれど、その目はいつになく真剣だった。一度息を吐いて、すっと空気を吸い込む。答えは、もちろんーー
back