置いてけぼりの幸せ


「名前」


先日買った本を読みながら午後の時間を過ごしていた私の下に、誰かが訪れた。

おかしいな。玄関の鍵は閉めていたはずなのに、誰かが入って来るなんて。
でも、私はどこか落ち着いている。多分、私自身誰が来たかが分かっているのだ。
聞き覚えのある声に私は、この家の合鍵を持っている唯一人の人物を思い浮かべた。


「十代」


手にしていた本を机の上に置き、振り返る。

予想通り、そこには最後に見た時とまるで変わらない十代が立っていた。

私はもう30歳になるというのに、彼の見た目は一切変わっていない。 それはとても非凡であって、疑問を抱くべきなのに、何故かとても安心出来る。それはやはり、彼が遊城十代だからだろう。


「名前、驚かないのかよ」

「驚いてるよ。でも、もう年だからね。あんまり感情が表に出ないんだ」

「年って。まだ若いだろ?」


そんなことないよ。と告げれば、彼は納得いかないようで、首を傾げた。
本当に年なんだよ。最近頭痛だって酷いし。分からないのは十代だけなんだよ。
そりゃあ、精霊と融合したんだから、私たちと同じ概念は理解できないだろうけど、でも、理解しようとはして欲しいな。

仮にも、恋人なんだし。


「どこ行ってたの?」

「ヨーロッパはとりあえず」


ヨーロッパか…。羨ましいな。

私もDAには通っていたけど、十代みたいに、デュエルでお金を稼げるほど強くないから、今は家庭教師の仕事をしている。DAの時も、筆記だけはよかった。だから、それを生かすための職業だ。


「………悪い」

「どうしたの…?」


十代は手にしていた革の鞄を床に置くと、苦笑しながら私の頭を撫でてきた。
いきなり謝罪なんて、どうしたって言うのだろう。らしくない。


「俺はお前の彼氏なのに、お前を一人にしてるから」

「ふふっ。謝るなら帰ってきてよ」


意地悪を込めて言ってみると、十代は複雑そうに笑う。出来ないのは私だって分かっている。だから言えたのだ。十代は簡単には頷かない。


「いいんだよ。こうやって、元気な姿を見せてくれるだけで」

「無理、してねぇよな」

「してないよ。置いてきぼりでも、幸せだよ」


置いてきぼり という言葉に、十代は少しだけ悲しそうな顔をした。言い方が、悪かったかもしれない。でもいいや、ちょっとでいいから、反省して欲しい。私を一人にした罰だよ。

だけど、本当に置いてきぼりでも幸せなの。離れたことで、十代のことをいっぱい考えれるし、十代が頑張ってるならって、私も頑張れる。


「強いな、名前」


今日一番の笑顔を浮かべながら、十代は後ろから私を抱き締めてくれた。暖かい。


「好きだ」


耳を掠めた声にまぶたを下ろし、首に回された腕に手をかざし、十代の存在を確かに感じる。

きっと、またすぐにどこかに行っちゃうだろうけど、この暖かさだけはいつも傍にある。だから、悲しくない。大丈夫。


「あのな、次帰ってくる時にはとびきりの指環を買ってきてやるから」

「指環?」


十代は私を放すと、正面に回って真っ直ぐに私の瞳を見据えてきた。


「ああ、次帰ってきた時に結婚しよう」

「結、婚……?」


笑顔を湛えたまま頷いた十代は、徐に顔を近付けている。私は、それで悟り、唇が重なるのを待った。


「結婚しよう、十代」


私は静かに頷き、彼を受け入れた。