永遠に夜が明けないことを願おう


ああ、一生この夜が明けなければいいのに。


私の呟きは、無音の虚空に溶けた。そして、空間を振るわせ、ベクターの耳に届く。

ベクターは驚いた様子で私を見て、それから紫の瞳をくりくりと回した。ベクターが驚くのは珍しい。驚くベクターに私が驚く。


「無理を願うな、おめぇは」


バカにするでもなく淡々と言うベクターに、私はクスリと笑った。上辺だけ、笑顔にして。笑ったように見せかけた。本当は、ちっとも笑えない。悲しくて悲しくて仕方無い。

無理だなんて、言って欲しくなかった。ベクターには、言って欲しくなかった。
ベクターは、私の望まない言葉を言う。私はそれに不満になることも出来ず、受け止めるしかない。ベクターへの私の感情は、全然分からない。私の感情だと言うのに。私が一番分からないのだ。

ベクターは時々こうやって私の下に訪れる。そうやって、何をするでもなく、見方によれば無駄に時間を過ごして帰っていく。 私はそれをただ、受け入れて、夜を過ごしていた。
特に幸せでも、辛くもない時間を。

私は昔から身体が弱く神経系の病気を患っていた。両親は海外にいるため、私はほぼ寝たきりである。世話は全部家政婦さんがしてくれていた。しかし、住み込みではないため、夜はいつも一人になる。

私とベクターが出会ったのは、私が偶然体調がよく、偶々外に出掛けた日だった。

車椅子で階段が登れず、家政婦さん一人では支えることも出来ず困っていた時に、無言で助けてくれたのがベクター……いや、真月くんだった。

彼は貼り付けたような笑顔を輝かせながら私を運んでくれた。最初はなんて優しい人だと思ったが、残念ながら、彼は人ではなかった。その笑顔も偽物だった。

彼はどう突き止めたか知らないが、ある日私の家に訪れ、何故か正体を教えてくれた。私は、何も思えなかった。何も思わなかった。

先ほど"残念ながら"と書いたが、それは言葉の綾である。事実を言うと、然程残念ではない。本当に、無感動であった。

バリアンとか、異世界とか、私には何も関係が無い。何も知らないし、興味が無い。
いつから私は、こんなにもつまらない人間になってしまったのだろう。私にも、分からない。

そんな私に、ベクターも酷く落胆したようだ。一体私に、何を求めていたのだろう。私は、何も持っていないと言うのに。


「うん、そうだね。無理だね」


私は不自由な身体を持ち上げ、そう返す。
そうだ。ベクターの言う通り。夜が明けないことはない。白夜でもない限り、不可能だ。私はロマンチストではないから、現実が非情なことを知っている。

ベクターは私が病気だと知った日から、訪れる頻度が上がった。 よく分からないが、私を心配しているのならば、滑稽である。心配したところで、どうにもならないのに。

私は一年前に宣告されている。
余命が一年だと、宣告されている。
私の病気は、まだ謎なところが多く、直す手だては無いと担当医の先生が言っていた。だから私は、延命も拒否した。生きられないのなら、死んでしまった方が楽だ。

そして、私は知っている。

最近体調がおかしかった。吐血を何度も繰り返し、感覚の無い四肢が痙攣を続ける。明らかに、おかしかったのだ。
だから、知っている。知ってしまった。

私の命は、もうほぼ無いと言うことを。


「でもね、どうせ死ぬなら夜がいいの」
「死ぬのに時間は関係ねぇだろ」


彼はつまらなさそうに言うと、自分の橙の髪を見つめた。
私もベクターの髪を見てみるが、月明かりに照らされると幻想的で、見ていられなくなる。彼は異世界人なのに神秘的すぎて、恐れ多い気持ちになったのだ。

ああ、そうだ。彼は異世界人なのだ。
なら、法律とか、そんなの全然、あてはまらないんだ。

そうか。そうだ。そうしよう。それがいい。

私はゆっくりと、まぶたを下ろした。眼前が暗闇に包まれる。


「どうしたんだ」


ベクターの訝しげな声が私の鼓膜を揺らした。

そりゃあ、驚くだろう。今夜はベクターがいっぱい驚いたな。


「私が夜に死にたいのはね、私にはベクターしかいないから」


家政婦さんとは、深く関わっているわけじゃない。両親は、もっと関係が無い。友達はいない。

ならば、私にはベクターしかいないのだ。

だから、死ぬなら夜がいい。ベクターに看取られたい。出来るなら、ベクターの手で楽にして欲しい。

もう、この目で光を見たくはない。 最後に見たのがベクターでよかった。幸せだ。幸せだから、どうか殺して。

彼は何かを悟ったように息を飲んだ。そうか、決心してくれたんだ。ああ、殺してくれるんだね。
もう、このまぶたは上げない。

どうか、一思いに。

ベクターの冷たい手が、私の首にかけられた。

後はベクターの自由。その冷たい掌の上。

私は淡々と、夜が明けないことを願った。