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それを“昔”と呼べほど自分の中で時間は経過していなくて、でも他人からしてみれば“昔”であって。“過去”に出来ないのは自分の中でまだ残り続ける残像のせい……。



町で香った香水に引き寄せられるように目を向けた。そこには見知らぬ男が居て、無意識に思い出の彼と重ねてしまう。いけない事だと分かりつつ、寂しさを埋めるように背丈がよく似たその男に声を掛けた。

身体を撫でる手、口付けの仕方や動き方。何もかもが彼とは違う事に気が付き、火照る身体と裏腹に心は冷たく凍っていく。



自業自得だと理解している。



向けられた手を、あの日私は取らなかった。その時見せた悲しげな彼の顔を今でも忘れられない…。別れの挨拶と共に向けられた背に無意識に伸ばした手が空を切る。



掴めない。掴めるはずがない。



震える手をぎゅっと握り引き寄せる。漏れ出る嗚咽。零れ落ちた雫は床を濡らす。



行かないで…。置いて行かないで……。



音に出来ない想いが胸の中で反芻する。お互い想いあっても、私たちが相入れることは絶対にない。だって私は……



「セツ大佐、またこちらにいらしたのですか」



呼ばれた名前に一呼吸置いて振り返る。そこにはビシッと敬礼をした部下が居た。顔を見た限り怒ってはいないが、呆れているようだ。そんな彼から小言が飛んでくる前に、眉を下げ反省の意を示す。



「すみません。少し、海が見たくて…」

「……次からは一声お掛け下さい」



はい。と返事をすれば疑いの眼差し。それに苦笑いを浮かべ話しをすり替えようと試みる。



「……それで、何かありましたか?」



私の言葉に要件を思い出した彼は少し慌てる。珍しいその姿に嫌な予感がした。



「本部から緊急招集要請です。火拳のエース公開処刑に伴い、白ひげ海賊団との全面戦争に備えよ。とのお達しです」



ああ、やはり。嫌な予感は的中する。白ひげ海賊団二番隊隊長である火拳のエースが捕らえられた時から、いつか来るその時を想像はしていた。大佐の地位である私はそれから逃げる事は出来ないだろう事も……。


乱れる心を落ち着かせるように小さく息を吐き出す。



「…分かりました。準備が出来次第マリンフォードへ…」



私の声に部下は綺麗な敬礼を残し踵を返す。遠ざかる見慣れた白を見送り、もう一度先程眺めていた景色へと目を向ける。

青くどこまでも広い、広大な海。荒ぶる私の心とは裏腹に穏やかな波音が聞こえる。



「海なんて……」



大っ嫌い。



だって彼が大好きだったから。

彼を魅了して虜にして離さない。どんなに私が嫉妬しても、負の感情を向けても海は変わらずそこにある。穏やかな音を奏でて、まるで母のように……。私はただ癇癪を起こした子供のようだ。

見つめる地平線は青く、どこまでも続く。日差しが反射しキラキラと輝く水面に目を細める。



大っ嫌い。



……そう思いきれたらどれだけ楽だろう。

そう思う事が出来ないのは私が人であり、海軍だから。彼もそうだ。人であり、海を愛す男だから離れる事が出来ない。結局はお互い様。きっと今もこの広大な海のどこかを彼は航海しているのだろう。

私の事など忘れて……。



「……会いたい」



呟いた言葉は誰にも届かず波音に掻き消される。そんな自身を嘲笑う。私の心はあの時のまま未だに前に進めずにいた……。



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