知らないままでいたかった
※セクハラ・パワハラ発言あり
∞----------------------------𓏲𓎨ෆ ̖́-
私は、それなりにスルースキルがあると思っていた。自分が重大なミスをした場合であれば、素直にお叱りを受ける気持ちになるけど、日によって言うことが違ったりする場合は、それに振り回される周りが困惑し、早くその場から逃げ出して対処する為に時間を有益に使いたいと思うのは、社畜であれば誰でもそう思うだろう。
本当は、面と向かって『端的にお願いします』と言えれば良いのだが、そうすれば相手を逆撫でしかねない。仕方なく話を合わせて、余計な言葉は聞き流す。相手を持ち上げるべき所は持ち上げる、といったように上手くかわしているつもりだった。けれども、それは人によっては自分に気があるのだと勘違いを招き兼ねない為、紙一重である。
私の場合、男性陣に比べて暴言を吐かれる事はない。だけど、ここ数ヶ月は上司のセクハラ紛いの言動が目立ってきて、辟易していた。
用事もないのに過度に接触してきて、会話の内で肩や髪に触れたりと、気持ち悪いったらない。
前にも言ったかもしれないが、私は尾形さんによって擦れてしまった為に、笑顔の下では暴言を吐いていたりと純粋な女の子とは掛け離れている。性格が悪いと言っても良いだろう。故に、どうにか証拠を集めて役員に突き付けるつもりではいた。それでも、溜まりに溜まった鬱憤は、私の心の中のグラスの中に少しずつ溜まり自分でも気付かないうちに溢れ出す寸前で、何かしらのきっかけでそれが溢れ出す。それが、そのタイミングが今回の決起会と称した飲み会での事だった。
勤務中は肩や髪程度で何とか我慢出来たけれど、アルコールによって気が大きくなった上司は肩だけでなく抱き着いてきて、おまけに太腿の際どい所を触ってくる。その瞬間、一気に感情が爆発した。
先輩方が庇おうとしてくれるも、どうにもならない。対して強くもないアルコールを摂取して酔い始めた私は、抵抗の意志を見せるものの、男の力には適わない事をまざまざと思い知らされ、悔しくて涙が込み上げてきそうだった。否、もう泣く寸前だった。
すり、と脂ぎった太い指が撫でるような手付きに引き攣った悲鳴を上げる。その瞬間、背後の襖が勢いよく開けられ、私以外がそちらに視線を移した。
かしゃかしゃとシャッター音が聞こえた気がした。
『ちょっと静かにしてもらえんですかねぇ。折角美味い酒を飲んでるのに不味くなるじゃありませんか。おや?立場を悪用してセクハラですかな?』と低音の、否、低過ぎる声音が聞こえた。
以前にも聞いたことがある、脳が溶けるような色気のあるバリトンボイス。否、忘れもしない、忘れたくても忘れる事の出来ない、好きな人の声をどうやって忘れられようか。
「…外に出ましょう」
「っ、」
上司が尚も突っかかっているが、ははぁ!と特徴的な笑い方をした尾形さんは、上司の何倍にもして言い返しているのをぼんやりと聞いていた。
どうしよう、明日からが怖い。そう思うと私の顔からは血の気が引いていく。
尾形さんは一方的に会話を終了させると、私の背中に触れた。外に出るのを促されるままに、――直ぐにでも帰りたかったから正直助かった――尾形さんに支えられるようにして店の外を出る。
触れられた箇所が熱い。密着しているから、尾形さんの車の芳香剤なのか香水なのか、それに混じった煙草と仕事終わりの微かな汗の臭い、どれも不快ではなくて。尾形さんの匂いまで覚えているような気がした。
それでも、尾形さんから逃げる事を選んだ私は、助けてもらったにも関わらず尾形さんを押し退けようとした。
『んな真っ青な顔して何処が大丈夫なんだよ』と言う尾形さんに対し、私は声を荒らげ尾形さんの腕の中から抜け出した。
その拍子に、酔いが一気に回ったのかぐらりと私の身体が傾き、尾形さんが咄嗟に引き寄せた。近過ぎる距離に、息を呑む。
ここまでしたら、尾形さんは私に嫌気が差して嫌いになるだろう。そう思ったのに。尾形さんは私をぐっと引き寄せてタクシーを呼び止め、私を強引にタクシーに乗せ尾形さんも乗り込んだ。
尾形さんが私の家の住所じゃなくて、恐らく尾形さんの家の住所を運転手に告げる。タクシーがゆっくりと前進する。
尾形さんは私の頭に触れると、尾形さんの肩に凭れ掛からせた。
「目ぇ瞑ってろ」
「……」
それが、何を意図しているのか理解出来なかった。でも、ぽんぽんと頭を撫でられ、どきりとした私はそれ以上何も考えられなくなった。