鳴り止まぬ鼓動
スパダリ尾形さん
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尾形に甲斐甲斐しく世話を焼かれたなまえは、離れなければいけないと思う反面、尾形の側にいる心地良さを感じ始めていた。
それは、前世では置いていかれた悔しさと悲しさ、焦燥感や喪失感といった色んな感情が綯い交ぜになり、心を壊してしまったが、尾形への感情を忘れる事が出来なかったのだから当然である。
前世の記憶があるからそう思ってしまうのだと、何度も自分に言い聞かせていたが、こうしてまた出会い弱っている所を優しくされれば、なまえでなくても好きになってしまうだろう。
否、前世での嫌味ったらしく人を挑発するのが常であった尾形が、今世では別人のようになっている事に驚きを隠せないが、それがなくても尾形の特徴的ではあるが整った容姿と美声であれば、誰でも一瞬で恋に落ちてしまうのではないだろうか。
そう思うと、自然と溜息が零れた。どんなに否定したところで、好きだという感情を消し去る事は、もう出来ない。
認めたくないが、認めるしかなかった。
寝室に案内され、向かう足取りは重い。逃げるとでも思っているのか、手首を掴んで引っ張られている。それでもなまえの歩幅に合わせてくれていて、手も振り解こうと思えば出来る力加減である。
「…さっさと入れ。折角温もったのに冷えて風邪でも引かれちゃかなわん」
「でも、ひゃっ」
「一人だと余計な事考え兼ねんからなぁ」
先にベッドに上がった尾形が中に入るよう促すが、突っ立ったままのなまえの言い訳を聞き入れずに腕を引っ張った。
その反動で体勢が崩れて受けるだろう衝撃に思わずぎゅっと目を瞑ってしまうが、受け止めた尾形の腕の中は、思っていた程の衝撃を感じなかった。
尾形に抱き締められ、近過ぎる距離とボディーソープと清潔感のある衣類の匂いが鼻腔を擽り鼓動が速まる。前世で狙撃手であった尾形は音にも匂いにも敏感であったし、人の機微にも敏い。だからなまえの鼓動の速さにも気付いているに違いない。
「心配しなくても襲ったりしねぇよ」
くつりと喉奥で笑う尾形に対し、返答に困り目を泳がせてしまう。だったら離れてくれても良いのに、とは言えなかった。
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尾形がぽんぽんと規則正しくなまえの背中を叩くと、その瞼が段々閉じていく。
意識を手放す瞬間、額に温もりを感じた気がしたがなまえはそれが尾形によるものだと知る由もなかった。
襲ったりしないと言ったものの、本心はそれはもうなまえに触れたくて仕方なかった。漸く見つけ出す事が出来たのだ。
なのに、記憶がないフリをして逃げ出そうとする始末だ。
尾形はなまえを抱き締めると肺いっぱいになまえの匂いを吸い込んだ。
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ゆっくりと、意識が浮上する。目が覚めたなまえは、数回瞬きをした。寝ている間に寝返りをしていたらしく、背中にぴたりと張り付いた温もりと腹部に回された腕に気付き、ぴしりと固まった。
背後から抱き締められた状態で眠っていたらしい。
すうすうと規則正しい呼吸音が首筋の辺りから聞こえてくる。腹部に回された腕を掴んで抜け出そうとするが、むずかる子供のように唸り声をあげ、ぎゅうぎゅう腕に力が込められる。おまけに肩に額をぐりぐり押し付けられ、髪が首に当たって擽ったい。
それだけならまだ良かったが、尻の辺りに固いものが当たっている事に気付いてしまい、身体を強張らせた。生理現象であるから仕方ないとは思うが、恋人でもない相手に密着され腰を押し付けられている現状はどう考えたっておかしいだろう。そもそも、一緒に風呂を済ませて同じベッドで眠っている事が間違いである。
家に招かれた時点で、なまえが受け入れていると取られても仕方の無い事だ。
尾形が起きれば、どんな反応をすれば良いのか分からなかった。
「……勝手にいなくなるなよ」
「っ、起きてるなら離してください」
「逃げ出さないならな」
どうにか抜け出す事は出来ないかもぞもぞしていると、背後から寝起きの掠れた声音が聞こえて息を呑んだ。
尾形の言葉に、逃げ出さない事を告げると腕が離れていき、小さく息を吐いた。
きゅるきゅるお腹が空腹を訴え、尾形に笑われた。恥ずかしくて身体の熱が一気に顔に集中する。尾形は軽く伸びをすると『朝飯用意するから待ってろ』と言い何事も無かったかのように寝室から出て行った。
まるで恋人同士の朝の様子を思わせる光景に、なまえは溜息を吐いた。お互い前世の記憶持ちではあるが、だからと言って今世も恋人になるとは限らないのだ。
それなのに、尾形は何も言わずに甲斐甲斐しく世話を焼くのである。
︙
尾形は朝はブラックコーヒーのみだ。なまえにはたっぷりの牛乳入りの甘めのカフェオレとトーストにオムレツとサラダを用意してくれた。礼を言ってそれらをお腹に収めていく。
「……昨日はすみませんでした。それに朝ご飯まで頂いてしまって」
「別に構わない。そんな他人行儀にするなよ」
「いや、でも。見ず知らずの人にそこまで…」
「ははぁ、見ず知らずねぇ。お前は何の疑いもなくのこのこついて来て一緒に風呂に入って一緒に寝るのか?見ず知らずの男と?そんな阿婆擦れだとは思わなかったなぁ」
「!それはっ…」
「記憶がないフリをするとは、流石に傷付いたよ」
ふぅ…と目を片手で覆い溜息を吐く尾形に、なまえはぎゅっと拳を握った。見知らぬ男とワンナイト出来るほど器用では無いし、しようとも思わない。拗らせているなまえが今更誰かと恋愛する気にはなれないのだが、尾形の言うようにのこのこついて来て泊めてもらっているのだから阿婆擦れと言われても仕方がなかった。
それでも、尾形にそう言われるとちくりと胸が痛み、唇を噛み締める。
尾形とて、なまえが誰彼構わずついて行くような女ではない事は分かっている。けれども、記憶がないフリをして逃げようとした仕返しくらいしても良いではないかと思うのだ。
なまえは気付いていないかもしれないが、その眼差しが尾形の事をまだ好きだと告げている。
「気付いてるか?俺を見る目が好きだと言ってるんだがなぁ」
ひゅっとなまえの喉が鳴る。言い返そうと口を開くが、言葉は出てこず、はくはくと口を開閉させるだけだった。薄らと頬が染まり、それが尾形の言葉を肯定しているようだった。
昨夜は傷付いたなまえの心を尊重して優しく接していたが、勿論それは変えるつもりはないが、狙撃手は狙った獲物は逃さない。ここから狩りの如く獲物を手に入れるべく捕獲に移る。なに、長期戦は嫌いでは無い。けれども、あまり悠長にしている余裕も無く、なまえを早く己のものにしたいと躍起になるのだった。