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【-EPISODE MARIA-】

▽2019/05/10(Fri)
もしかしたら今も仄暗い水の底にいたのかもしれない

そう、それはまだ幼い幼稚園児、好奇心旺盛な若葉の頃。
幼稚園近くの氷が張った冬の池。

けっこう大きな深い池。
池の淵周りには鉄の柵。
回りは木々に囲まれ周囲からは見えない静かに佇む不気味な人工的な池。
池を覗きこむと岸辺には石垣を積んで作った人工池。
さすが城下町、昔、お城があった場所に現存する由緒正しき幼稚園。

そんな歴史的な場所にある幼稚園に通う、自分を含めた三人の園児たちとその氷の張った池の上で遊んでいた。
まだ幼かった私はそれがどれほど危険な事なのかも理解出来ていなかった。

普段は池の上など歩ける訳もなく、冬のこの時期ならでは、氷の張った池の上を歩ける非日常感に心を踊らせワクワクしながら歩いていた。

岸から数えて何歩目だろう?
今まで歩いても大丈夫だった分厚い氷がいきなり割れて、冬の冷たい水の中へ体まるまる真っ逆さまに落ちた。

突然の出来事に私はパニックになり水の中でもがいていた。
当然、足が底につくわけでもなく、あっぷあっぷしながら手足をばたつかせもがいていた。
周辺の氷もだんだん割れてきて何も掴めるものはなくなった。

私の異変に気づいた他の二人もただごとではない状態、状況に困惑ぎみだった。

一人が「逃げよう」と言った。
もう一人が「可哀想だよ」と言った。

私は命の危険を感じながらも二人の会話が冷静によく聞こえていた。
今も脳裏にこびりついて離れない。

「逃げよう」と言った園児は案の定逃げた。
「可哀想だよ」と言った園児は私を助けようと近づいたその時、氷が割れて一緒に落ちて溺れてしまった。

私とその子がもがいている間、周りには誰一人として人気はなく静まり返っていた。
数羽のカラスだけが不気味に鳴いていた。

そうこうしている間に一緒に溺れた子が先に水の中から抜け出した。
続いて私も氷に両手をついて抜け出す事ができた。
両手を氷について抜け出す時、体重が氷にかかるため、また割れるんじゃないかとドキドキしながらも抜け出せた時は内心ホッとした。

ようやく岸に戻って地面に足をつけた時、私の片方の靴が無くなっていた。
ばたついていた時に脱げてしまったのだろう。
通園用バッグの中身も何もかも水に浸かってしまった。
通園用バッグに貼っていた、何枚かのお気に入りのアニメのシールもふやけ、破れ、剥がれていた。
その時は、助かった気持ちが先行してシール云々どころではなかった。

全身びしょ濡れの私とその子はすぐさま無言で帰路に急いだ。

冬の乾いた道路には、濡れた二人の足跡が点々としばらく続いていた。

帰りの途中、その子の母親が帰りが遅いのを心配して迎えに来た。
その途端、その子は安堵したのか「ママ…」と泣き出した。

私は途中で一人ぼっちになりトボトボ歩いた。
色々な事を考えながら歩いた。

「逃げよう」と言って我先に逃げ出したもう一人の子。
「可哀想だよ」と言って助けようとして一緒に溺れてしまった子。
もし、「逃げよう」と言われて二人ともその場から居なくなってしまったら、私はたった一人不安感に押し潰され、本当に溺れて水の底に沈んでいたかもしれない。

もしかしたら、その子たちが口をつぐんだりしたら、今でも私は行方不明として捜索願いが出されているかもしれない。
面白おかしく、神隠しにあった園児としてマスコミに騒がれているかもしれない。
あるいは誘拐でもされ犯罪に巻き込まれたと騒がれているかもしれない。

私は「逃げよう」と言って本当に逃げた子の顔は決して忘れないし、「可哀想だよ」と言って助けようとしてくれた子の顔も決して忘れない。

でも不思議かな、現実は助けようとしてくれた子の顔よりも、私を見捨てて逃げ出したもう一人の子の顔のほうが今も鮮明に覚えている。

そしてそんな私は家に近づくたび、溺れてしまった私を見て、もしかしたら両親に怒られるかもしれないと思っていた。
両親は共働きなので帰っても家にはいない。
泣きたくても抱きしめてくれる人はいない。

私は寒い部屋で濡れた服を脱ぎ捨て、着替えた服を身にまとって凍える身体を震わせながらコタツにすっぽり丸まった。

夕方、仕事から帰って来た母親は、びしょ濡れの服や片方だけの靴を見て理由を聞いてきた。
その辺の記憶が曖昧だけど、たぶん母親は心配してくれて優しく温かく抱きしめてくれたと思う。
もしかしたら怒られたのかもしれない。
けれども、はっきり記憶はないけどそういう事にして心の中に留めた。

だってそこで突き放されると心が壊れそうだったから…

一度、亡くなりかけたこの命、何の縁で取り留めたのかわからないけど、神様が「まだまだ早いよ」と言って手を差しのべてくれたのかもしれない。

でも私は「逃げよう」と言った子の顔は絶対に忘れない。
本人は当の昔に忘れてもだ。

「絶対、絶対に忘れない…」
「絶対、絶対に許さない…」

あの時、本当に命を落としていたら、今も仄暗い水の底から、変わり果てた姿で、こう呟いているのかもしれない。







category:思い出/幼少期/回顧録
タグ: 幼稚園 溺れる
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