Want you to bite off my throat.




とん、とん、とん。

毎朝同じ時間に鳴り響くノック。
いつものように返事は待たずに扉は開かれた。
真っ暗な部屋に明かりが灯されて、ぼくの一日が始まる。

部屋に入ってきたメイドたちは3人がかりでぼくを抱き起こして着替えをさせる。
今日の衣装も無駄なひらひらが山ほどついた、身動きが取れないくらいに窮屈なものだ。
首元までボタンがしっかりと閉じられ、その上からさらにリボンが巻かれて息苦しさを覚える。

足の先まで飾り立てられれば、次は用意された食事がメイドの手によってテンポ良く口に運ばれる。
ただの作業としての楽しみも何もない行為に、無心で口を動かす。
食事が終わると、仕上げとばかりにメイドの手でトイレへ運ばれて排出を行う。

一度だって例外なく、毎日同じ流れで支度が済まされる。
そうして朝の身支度が終われば、その先に待つのは長い長い苦行だ。




ぼくはこの屋敷で人形≠やっている。

この町を治めている旦那様に見初められたぼくは、ずっと前にこの屋敷へ連れてこられた。
旦那様は綺麗なお人形を集めていて、ヴィータであるぼくのこともお人形としてコレクションに加えたくなったらしい。


『この先、私が許可するまでずっと「人形」でいなさい』


屋敷に来てすぐに豪奢な洋服を着させられたぼくは、旦那様にそう命じられた。
最初は旦那様が何を言っているのか分からず、じっとしていることに飽きて動き回っては「人形は動かない」「両親がどうなってもいいのか」と叱責された。
部屋に1人で居ることに退屈して世話をやきに来たメイドに話しかけたりもしてみたけれど、ぼくが話しかけたメイドの姿をその後見かけなくなると気付いてからはそれすらもやめてしまった。

そうして旦那様の言っていたことを理解してしまったぼくは、ただ求められるがままこの屋敷にたった1体の生きた人形として過ごしてきた。
ぼくが自ら動くことを許されているのは、まばたきと食事中の咀嚼だけ。
部屋に旦那様がいる時は何があってもピクリとも動いてはならない。

動かず、喋らず。
今となっては自分で歩くイメージすらも湧かなくなり、声の出し方すら忘れてしまった。
何も無い日々をただただ耐えるしかなかった。




でも、この苦しいだけの毎日もきっと今日で終わる。
屋敷中に響き渡る喧騒がそう予感させた。


毎朝の支度を終えて部屋に置かれたぼくは、いつものようにソファーでじっと座っていた。
できる限りぼくを人形でいさせたい旦那様の意向で、食事も排泄も必要最低限と決められている。
メイドたちも旦那様の許可なしにこの部屋には近付かないから、夕食の時間まではこのまま1人きりだ。
それでも気まぐれに旦那様がやってくるかもしれないと、手遊びはできず眠ることさえも許されない。
ぼくは微動だにしないまま、外の世界を夢想する。


ああ、父さんと母さんは元気だろうか。
母さんのお腹の中にいた赤ちゃんは無事に生まれてこれただろうか。
妹だっただろうか、弟だっただろうか。
ぼくがここにこうしてじっとして居る代わりに、家族には何か恩恵が与えられているといいんだけれど。

屋敷に来る前、毎日のように遊んだ野原には今も綺麗な野鳥が飛んでるのだろうか。
今の季節はなにで、どんな花が咲いているのだろうか。
友だちとこっそり埋めた果実の種はちゃんと芽吹いただろうか。

家族は、友だちは、町は、世界は。
思いつく限りのたくさんのことを取り留めもなく考える。


そうしてどれくらいの時間が経ったのか、ふと扉の外から何か騒ぐ声が聞こえてきた。
屋敷の一番奥にあるこの部屋には外の音はほとんど聞こえてこないから、屋敷の中の音だ。
何を言ってるのかまでは聞き取れないけれど、旦那様じゃない、知らない男の声。
そしてガタン、ガタンと大きな物音が響いてくる。

いったい何が起きているのだろうか。
もしや盗賊かなにかが入り込んだのだろうか。
今まで一度もなかったことに緊張が走る。
それでも身体に染み付いた習慣というのは頑固なもので、ぼくは姿勢を崩すことすら出来ずにソファーの上で息を殺すしかなかった。




それから喧騒が止むのに、そう時間はかからなかった。
さっきまでの騒がしさが嘘のように、屋敷はいつもどおりの顔をしてシンと静まりかえっている。

じっと息を殺したまま耳を澄ませてみれば、遠くの方で微かに物音がした。
かしゃん、かしゃんと不思議なそれは、旦那様でもメイドたちでもない重たい足音だ。
足音はゆっくりとこの部屋の方へと近付いてくる。

かしゃん、かしゃん、かしゃん。
予想通り足音はこの部屋の前で止まった。
一拍も置かず、ガチャガチャと乱暴にドアノブが回される。
旦那様の大切な人形が集められたこの部屋には許可なしに誰も入れないように、そしてぼくが勝手に部屋から出て行かないようにと、外側からしか開けられない鍵が掛けられている。

重たい足音の誰かはこの部屋の鍵を持っていないみたい。
案の定、旦那様にとっては招かれざる客なんだろう。

しばらく続いたガチャガチャという音はガン!という大きな音に変化する。
ガン!ガン!ガガン!!
鍵付きの扉は一際大きな音と共に壊された。



「…人形?」


壊された扉の向こうにいたのは、鎧をまとった精悍な青年だった。
まるで話に聞いた王都の騎士様みたいだ。
どう見ても盗賊なんかには見えないその姿に思わず目を瞬かせる。
すると、彼も驚いたように目を見開いた。


「まさか、ヴィータか!こんな奥の部屋に子供が閉じ込められていたとは…」


その反応に希望を抱いた。
彼がこの屋敷から、苦痛からぼくを連れ出してくれる人なんだと。
きっとさっきの喧騒は何か悪いことをしちゃった旦那様を、王都の騎士様が捕まえに来たんだ。

それならばと、もうこの屋敷には居ないであろう旦那様の言いつけを破って立ち上がろうとする。
だけれど、もうずっとその役目を奪われていた両足に身体を支えるだけの力は無く、情けなくもソファーから転がり落ちるような動きにしかならなかった。


「おい、大丈夫か!」


転がるぼくに慌てて騎士様が駆け寄ってくれる。
差し出された手を頼りにもう一度立ち上がろうとしたけれど、やっぱり自分の重みに耐えられず座り込むことになった。


「もしかして、立てないのか?」


問いかけに頷きで返す。
そんなことすら出来なくなった自分への絶望感に俯けば、次の瞬間には騎士様に抱えられていた。
メイドの腕なんかよりもしっかりとした騎士様の腕に少しだけ安心する。

「とりあえず、外へ出よう」

ぼくを抱えた騎士様はそのままスタスタと屋敷の玄関口へと向かっていった。
ぼくたちの他に誰も居ない屋敷内は、廊下に飾られていた花瓶が床に落ちて水溜まりをつくっていたり、朝には無かった傷があちらこちらにあったりと酷く荒れ果てた様子だった。
ずっと過ごしたお屋敷だったけど、寂しさとかは一切感じなかった。
だってここには苦しくて辛い、嫌な思い出しかないから。



騎士様に抱えられたまま、ようやく出られた外の世界は記憶の中にあるものよりもずっと明るく、眩しかった。
たっぷりの布に包まれていても少し肌寒くて、今の季節が冬だということを知る。
空は茜色から紫に変わっていくところで、うっすらと浮かぶ月は半分より少し大きい。

周りを見渡してみれば、屋敷を取り囲むように剣を持った人が何人か居て、さらにその周りで興味深そうに屋敷を覗き込む人々が居た。
ちょっと素朴な格好をしている彼らの中には見覚えがある顔がちらほら見える。
町長の屋敷で騒ぎが起きてるなんて何事か、と町民が集まるのは当然だと思えた。

屋敷から最後に出てきたぼくたちに、彼らの視線が集まる。


「おい、あれ見ろよ」
「…名前だ」
「あの子は生きてたのか…」


騒めく彼らからはそんな声が聞こえてきた。
ゆっくりと皆に近づく騎士様の腕の中から1人1人の顔を確かめて、父さんも母さんも居ないことに落胆する。
まあ、ここに町民全員が集まっているわけじゃない。
きっと妹か弟の世話をしながら、夕飯を作ったりしているんだろう。
ぼくもやっと家に帰れる。早く母さんのご飯が食べたい。


「奥の部屋に閉じ込められていたんだ。怪我があるわけじゃ無さそうだが、歩けない状態だ」


騎士様はそう説明すると、ぼくを彼らに差し出した。
けれど、誰もぼくのことを受け取ろうとしてくれない。
騎士様の眉間が寄せられる。


「…この子の親は?」
「……」


みんな、表情を曇らせて首を横に振る。

その反応に、ぼくにはもう帰る家がないんだと察した。
ぼくを置いてどこか別の所に行ってしまったのか、それとも。
町民たちの重たい雰囲気に父さんと母さんがどうなったのか考えを巡らせる。


『あの子は生きてたのか』


さっき誰かが言っていた。
ぼくは生きていたけど、それなら誰は生きていなかったんだろう。
旦那様は一体何をして屋敷へと押し入られたんだろう。
姿を見なくなったメイドたちは、父さんと母さんは、一体どこへ。

なんだ、そうなんだ。
退屈な日々に鍛えられた想像力は簡単に一つの結論にたどり着く。
無理やりにぼくを得た旦那様は、父さんと母さんに恩恵を与えるどころかきっと。

苦痛や理不尽に今まで必死に耐えてきたのは、一体何のためだったのだろうか。
屋敷で過ごしてきた日々を振り返り、思わず騎士様にしがみつく。
騎士様は町民に向かって差し出していた腕を戻して、ぼくをもう一度しっかりと抱き直してくれた。



「…君は、どうしたい?」


頭上から柔らかい問いかけの声が聞こえて、惨めさに押しつぶされ伏せていた顔を上げる。
見上げた騎士様の瞳には気遣いの色が滲んでいた。


「この町に残るかい?」


どうしたい、と言われても何と答えればいいのか分からずに困惑すれば、騎士様から選択肢が提示される。
その言葉にもう一度、集まった人達を見た。
ぼくの目線に対して誰も彼もが気まずそうに視線を反らす。
その動作は言葉よりも雄弁にぼくへの拒絶を示していた。
父さんも母さんも居ないうえに、町の誰からも歓迎されていないなら。

騎士様に向かい直して首を振る。


「…そうか。それなら俺と一緒に違う町に行こう。君みたいな子どもが暮らせる場所を知っている」


騎士様はそう言うと町のみんなに目をやることなく踵を返し、剣を持つ人たちへと声をかけた。
頭上で交わされる会話を聞くに、騎士様は偶然この町にやってきただけで隣町の自警団だという彼らとは仲間というわけじゃないらしい。
彼らにぼくを押し付けても良かっただろうに、一通りの挨拶を終えた騎士様はそのままぼくを連れて町を出た。

騎士様の肩越しに生まれ育った町を振り返ったけれど、名残惜しさみたいなものは一切浮かんでこなかった。


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「名前、ここで目を閉じて待っていてくれ」


目指す街への道中、獣が出ると必ず騎士様はぼくに目を閉じているようにと命じる。
獣が屠られる姿を見せまいという心遣いが、ぼくを綺麗なモノ≠セと思ってくれているように感じて少しくすぐったい。
ただ、何度も獣に遭遇する内に死にゆく獣のおぞましさを避けるよりも、獣に立ち向かう騎士様を目にしてみたいと思うようになった。
常に凛と背筋を伸ばした騎士様が、どんな風にその剣を振るうのか見てみたかった。

だから何度目かの襲撃のとき、ぼくは騎士様の指示を無視して直ぐに閉じた目を開いた。

振り上げられた刀身が日に当たって煌めき、犬のような獣の首筋に見事に入る瞬間だった。
獣の首から吹き出た真っ赤な血が騎士様に降り注ぐ。
騎士様はパッと顔の返り血を拭うと、重症を負ってなお激しく暴れる獣の爪をしっかりとその剣で受け止めた。

赤く染まる顔の上で若草色の目がギラギラと光り、口の端が歪な弧を描く。
それを見て、何故か心臓が鷲掴みにされたようにぎゅっと痛んだ。

もしかすると騎士様はおぞましい獣の姿ではなく、自身のあの顔を見せたくなかったのかもしれない。
そう思うほどに、普段の精悍な騎士様の雰囲気とはかけ離れた表情だった。
それこそまるでぼくたちを食らわんと襲ってくる獣のような。


もっともっと獣がたくさん現れて、目指す街にこのままずっとたどり着かなければいいのに。
愚かにもぼくはそんなことを思う。
獣に向かう騎士様の表情はそれほどまでにぼくの心を捉えて離さなかった。


「…名前、どうかしたか?」


戦いを終えてぼくの元へ戻ってきた騎士様が上の空なぼくを心配して声をかける。
そのとき考えていたことを騎士様に伝えることなんて、できるわけがなかった。




いつかその顔でぼくを見てほしい。
そしてぼくの喉元を噛みちぎって欲しい、だなんて。


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