寒空に魔法をかけて
古めかしさを感じる寂れたあの寮は、この頃ほんの少しだけ賑わいをみせるようになった。廃墟とはいえなくなったそれから遠のくばかりであったはずのマレウスの足は、不思議と今も向いていて。それどころか以前よりも随分と頻度が上がっているのもまた、純然たる事実であった。
「送ってくれてありがとね、ツノ太郎」
「何、大したことじゃない。僕にとってはこれもちょうどいい散歩だ」
その言葉に嘘はないのだろう。マレウスはこの荒廃した寮までの道をそうやってよく訪れていた。けれどそれは夜に限った話で、こうして帰路を辿るものではなかったはずだ。けれどもどうしてか、そうちょうどいい日課としてしまうほど、マレウスは皙をよく送ってくれた。
「そういえば今日ね。ヴィル先輩が作った映画を観たんだけど、綺麗な雪景色にオーロラが輝いてて、すっごく綺麗だったんだー!」
「オーロラ……?」
怪訝そうにぼそりと口にするマレウスの様子に皙ははっとする。ディアソムニア寮といえば茨の魔女の高尚な精神に基づく寮だ。眠れる森の美女で有名なオーロラ姫を彷彿させてしまったかもしれないと皙は慌てた。
「あ、えっと、今のは――」
「そんなものでお前は喜ぶのか……?」
「……え?」
相変わらず怪訝な表情のままではあるが、マレウスのそれは不機嫌を表すものではなく、単純に疑問を唱えただけのようだった。ライムグリーンの双眸がじっと皙を問うように見つめる。
「お前は……僕がそれを目の前で出してみせれば、そうやって喜ぶのか――」
「ツノ太郎……? あ、何!? わっ――!?」
おもむろにマジカルペンを振りかざしたマレウスのそれが、煌々と輝く。発光するそれが輝きを増して、世界を光で覆った。咄嗟に腕で目を庇った皙が光が止んだと同時に感じたのは、肌を刺すような凍てついた空気だった。
「さ、寒……!? 一体何が……って……え、ええっ!? 雪ーー!?」
皙の視界に飛び込んできたのは、一面に広がる銀世界と、寒空を神秘のベールで包み込むオーロラだ。すっかり冷え込んだ空気は妖精によって快適な温度が保たれているナイトレイブンカレッジでは久しく味わうことのなかった、紛れもない冬であった。
呆気にとられるままにぽかんと口を開ける皙に、マレウスはどこか得意げに話しかけた。
「どうだ、人の子よ。気に入ったか?」
流石は魔法を得意とするディアソムニア寮のトップといったところか、この一見大掛かりなはずの魔法をいとも容易く発動した上に「まだ出せるぞ」とドラゴンを模した氷像まで作ってみせた。
「あ……え、えーっと……」
何て言おうと皙が思案するように言葉を選んでいると、その反応を気に入ってもらえなかったと思ったのか、マレウスの表情は、どこか落ち込んでいるようなものに変わった。
「……気に入らなかったのか。人の子は難しいな……」
「え!? いやそんなことないよ! ほらこのドラゴンとかカッコいいし! すごいよツノ太郎!」
指を差して褒めたそれは、咄嗟に目に付いたものではあったものの、細部まで精巧な造りをしており、十分に賞賛に価するものだった。改めてちゃんと見た皙が瞬く間に瞳を輝かせたのもあって、マレウスはすっかり元気を取り戻したようだった。
「そうか。そんなに気に入ったならもう幾つか作ってやろう。何、遠慮するな。この程度、僕からすれば瞬きをするのと同然だ」
「わ、わー。嬉しいなー。ありがとう、ツノ太郎」
マレウスはそれから言葉通りに一瞬でありとあらゆる氷像を作ったが、当然のことながら気温はさらに下がり、風は凍てつくように冷たく、凍えそうに冷え込んだ。
(そういえば……そろそろこんな時期だよねぇ……)
皙は何だかこの感覚が酷く懐かしくなった。本来の世界では、とっくに冬が訪れている頃だろう。白い息を吐きながら、マフラーを巻いて、手袋をして。寒いと愚痴りながら学校へ行く。このちょっと不便で快適な、摩訶不思議な学校ではきっとこうでもしなければ味わえなかっただろう。そう思うと、皙はマレウスを寒いと憎めなどしなかった。ふっと表情を綻ばせた皙が、マレウスとの距離を縮めた。
「ツノ太郎、ちょっと手を貸してくれる?」
「? かまわないが何をするんだ?」
「んー、こうするの」
すくい取るようにその手を握った。あったかい手袋なんて今ここにはないけれど、忘れた時はいつもこうしていたのを思い出す。思った通り防寒を目的としていないマレウスの手袋越しの手は、何だか冷たかった。
「……人の子よ。これは何をしているんだ?」
「あっためてるの。摩擦熱っていって、人の知恵だよ」
かじかむ手に息を吐く代わりに、皙はその両手を握って擦るように温めていた。魔法を使った方がずっと早くて便利だろうけれど、それでも人からそうやって受ける温もりは得難いものだということを皙は知っている。
「熱の伝導か……それなら、こちらの方が効率的だ」
「ツノ太郎?」
するりと大した抵抗もなく抜けた両手に、皙の瞳が丸くなる。マレウスはすっと身に着けていた手袋を外し、素の状態に戻すと、再び両手を差し出した。まるで「温めろ」と言わんばかりに。
「これで先程よりも熱が伝わりやすくなったことだろう」
「……ツノ太郎って……お世話されるの慣れてるよね」
「それは否定しない。だが、お前に世話をされるのも悪くない」
「……しょうがないなぁ」
ふっと笑った皙は、再びその両手を包み込むように握った。初めて触れたマレウスの肌は冷たく、この環境もあってか氷のようだった。それをゆっくりと溶かしていく皙の体温に、マレウスのライムグリーンの瞳が僅かに見開いた。
「人の子の体温とは……こうも温かいものなのか。それとも、お前だからなのか……」
「子供体温って言いたいの? 確かにちょっと高めではあるけども」
マレウスが覚えたのは戸惑いにも似た感情だ。火にあたる方がよっぽど温かいはずであるのに、この微々たる熱が手放しがたいのだ。触れたのは手だけだというのに、何故か胸の奥にほんのりとした熱を感じる。
それら全てが初めてのことで、マレウスはそれに理由をつけるのにやや苦労をした。
「これが……人の知恵か……」
「そうだよ。人間もすごいんだから」
「――そのようだ」
寒空の下、語り合うのもいいものだと思える程度には、マレウスはこの時間を気に入っていた。きっと明日も同じように彼は皙をこの寮へと送りに来るだろう。何せ、彼女と共にする時間は退屈とは無縁で、日々新しい驚きが待ち受けているのだから――。