マレ白和風パロディ


 最近、山奥で龍が現れるらしい──。そんな噂が経つようになったのは、一週間程前だった。ただでさえ人口の少ない山村故に其の噂は瞬く間に広がり、子を持つ親を含め村人たちは互いに噂の山には近づかないでおこうと喚起した。其の平凡な山村には昔から龍の言い伝えがあった。時代が移り変わるごとに言い伝えは歪んでいき、原型は誰が噂しているかも分からない。
好印象というのは悪印象に容易に塗りつぶされてしまう為、良い噂だとしても悪い噂に潰されてしまったのだろう。今では龍は恐ろしい化け物として其の村の人々に話されていた。龍は出会った人間を喰らうとか、奴隷として捕まえるとか。とにかく龍は悪いものだと、そう噂されていた。そんな山村で暮らす一人の娘が居た。其の娘は家族と仲睦まじく暮らしており、今日も何時ものように山に木の実や山菜を採りに行こうと出掛けて行こうとした。其の時、娘──皙の母が勢い良く田んぼから足を引きずって飛び出してきて、彼女を止めた。今、山に行くのは危ない。龍が現れると村中で噂になっている、と。可愛い子には旅をさせよ、ということわざがあるけれど、これは決してさせてはいけない旅路だ。龍の噂が出回る中、近頃雪が降っており噂の山は雪が降り積もっている。逃げるのも困難だからこそ、母は余計に娘を止めようとしていた。
「安心してよお母さん、あたし今まで帰ってこれなかったことなんて無かったでしょう?」
山で転んで大怪我して帰ってきたことは、指で数えられない程にあるでしょう。そんなことを言おうとした時には、もう皙は山に入っていってしまっていた。皙は丁寧に山菜や木の実を採りながら、木々の間を通っていった。雪が積もっているせいか、時々足が縺れて転んでしまう。其れでも、今日の収穫が少ないから、と進む足は止まらない。ルは、山奥に入ってしまい、母の忠告を無視した形になってしまった。帰る頃合で母には気づかれてしまうのだろう。最終的に叱られてしまうなら、と彼女は其の進む足を止めようとはしなかった。しばらく歩いて採って行くと、山菜や木の実は十分に籠の中に入っていた。此れだけ採って帰れば母だって多少なりとも許してはくれるだろう。皙は少し休憩しよう、と籠を厚みのある雪の上に優しく置くと、早朝の自然の心地よさに浸る。目を閉じて耳を澄ませば聞こえる滝の音、小鳥のさえずり、木々の揺れる音。
「え──」
身体に衝撃が走った。早朝の日の光に美しく照らされる黒髪に、鶸色の宝石のような視線が吸い込まれる瞳。他にも美しい景色は、知っていたはずなのに、此の人の其の姿で全てが消えてしまいそう。印象的で生涯忘れることの無い其の男性は雪に映えて!其れどころか雪に消えてしまいそうな儚さを持っていて、皙はつい足を進めて手を伸ばしてしまう。消えないで、そう思うように。またしても雪が彼女の進もうとする足を掴み、引きずるように姿勢を崩させた。全身で積もった雪に飛び込んでしまったからか、其の人もゆっくりとルに近づいていく。ルとは違い、雪は彼の味方とでも言わんばかりに彼の歩む姿勢を邪魔せず、とても美麗だった。其の人は皙の片腕を掴んで雪から勢い良く引き出す。
「ヒトの子が何故此処にいる・・・?」
訝しげに彼は皙に問い掛けて、彼女の顔色を伺った。威圧感のあるような其の態度からは、予想もしない優しげな声色に皙は戸惑いを隠せない。
「山菜と木の実をと、採りに来ました!!」
呼吸をするのも忘れるぐらい彼に心が掴まれた様な気がして、答えを返すときには緊張の糸が緩んでしまったせいか声は大きく山中に響く。其の人は皙の大きい声に驚きつつも優しく彼女の腕を放す。そして、一息ついてから龍の噂があるから帰った方が良い、と皙に悟り掛けた。
「心配してくれてありがとうございます!だけどあたし今まで、熊とか大蛇とか噂があっても無事に帰ってこれたので今日も大丈夫だと思います」
初対面の人間に優しくしてくれる此の人は優しい人だな、と物思いにふけていると、其の言葉を聴いて其の人は口角を少しあげた。一息つく間も無く、目の前にいたはずの男性は龍の姿へと変わっていた。
「目の前に龍がいてもか?」
龍が話す其の言葉は、何故か理解できて、先程の男性と声が一致する。ゴツゴツとした鱗にそっと触れるとヒトならざる者だと身をもって知る。しばらく呆然と立ち尽くしていると、其の龍は人の姿に戻り、またしても皙を上から見下ろす。
「貴方は何者なのですか…?」
皙が彼を怯えない様子で尋ねると、寧ろ彼が口をあけて状況を理解出来ないでいた。今の此の流れを見て、僕を何者か理解していないだと?もう一度龍の姿を見せようとするとは目の前で木の枝を使って雪をなぞる。そして、何か描き終えたかと思えば満足そうに男に見せた。
「其れは蛇か?何故足が生えている」
男が目の前で描かれていたのは蛇らしき生物に足が生えたものだった。まさに蛇足とは此のこと。皙の方に目線を寄せると衝撃を隠せないように首を横に振る。これは、龍なのだ、と彼女は言い張るのだ。有り得ない──否、男にとって悲しい現実だった。自分は村の人々にこんな姿と思われているのか。笑っていなければ、自然と落ち込んでしまいそうになる。
「ヒトの子よ、お前は面白いな」
男が口角を上げて上機嫌でいる姿は、余計に彼の美しさを引き立たせていた。皙が彼の笑顔に魅了されていると、彼は顔を近づけて其の様子を意地悪そうに微笑む。其れは、大人であろう姿を持つ彼とは反対にいたずらをしたがる小さい男の子のようだった。男の手に引かれて、皆はどんどん山奥に進んでしまう。危険だとあれほど忠告されていたはずなのに、本能が此の人といれば平気だとそう語りかけてくるのだ。
「…手が冷たい。死んでしまいますよ!」
しばらく歩いて皙と繋いだままであっても暖かくならない其の手。皙は危険だから村の医者に診てもらった方が良いと彼を引き止めた。
「言っているだろう、僕はヒトではない。龍だ。ヒトの子のようにもろくはない」
安心しろ、そう彼は言いたいのだろうけれど、語る彼の其の哀愁漂う顔を見てしまったら不安が増す一方だ。しばらく死ぬ死なないで其の場で彼と口論には満たない議論をした。
「今のは──」
議論をしている中で、ガサガサと先程から無理やりに草木を掻き分ける音がする。皆が後ろを振り返ったとき、既に熊が狙いを自分に定めていた。あ。其の皙の一言を合図かのようにして、彼女は瞼を閉じ──そして「龍」が熊を灰にしていた。流石の皙も其の光景を見て彼を人とは言えなかった。然し、ルを庇おうとした為か龍の青白い綺麗な手に切り傷が出来ていた。
「ごっ、ごめんなさい!直ぐ手当てしなきゃ!」
皙は彼の手を掴んで治療をしようとすると、彼は気にしなくていい、と血を軽くふき取ってから放置しようとする。其の様子は、何時もそうしているように見えて自分の身体を大事にしていないような印象を受けた。皙は見てもいられなくてもう一度彼の冷たい手を取り、持っていた布で応急処置をする。一つ一つの作業を丁寧に、なるべき彼に痛みが出ないように慎重に手当てをした。男は不思議そうに其の一つ一つの動きをじっくりと見物しながら其れが終わるのを見守る。
「お前は、僕以上に僕を大事そうに扱う。これぐらいしばらくしていれば治ると言ったはず」
其れでも手当てをされたことに対して嫌悪感を示さずに、手を色々な角度に変えて見て、布で手当てされた現状を寧ろ面白がっていた。こんなに親身になってくる人間は男にとって初めてで、其れでも自分との時間の価値観に大きな歪みが生じる。
男にとっての一時は、人間にとっては一生で。男がしばらく寝ていたら、近くにあったはずの村はもう無くなっていた。
「僕はヒトの子とは違う。身体どころか、其れに生きていく年数でさえ違う。今更、此の身を丁重に扱ったとて、此の道筋が良いものになるとは限らない」
初めて会ったはずのヒトの子に分かるはずが無い。そう思って分かっていたはずなのに、目の前にいるおなごが此の地獄に糸を垂らしてくれるのではないだろうか、と思ってしまうのだ。
皙は下を俯いたまま黙り込んでしまった。やはり、こんな思いをか弱いおなごに背負わせようとするのではなかった。男が顔色を伺わせない為に顔を背けようとすると、皙が勢い良く顔を男側に向ける。
「考えましたが、駄目です!ご自分の身体を大切になさらなかったら、より辛い道を歩むことになります。今の其の生きてきた道がつまらないというのなら、あたしがこれから毎日共に歩みます。あたしが道から外れても貴方があたしの足跡を見て笑ってしまうぐらいに思い出を作ります!」
男に笑い掛ける皙は慈愛に溢れていた。何故此の方だけが、虚しい思いをして生きていかなければいかなければならないのだろうか。誰かを守る為に自分を傷つけてしまうような、そんな優しい方が。男は一回二回と瞬きをした後、高らかに笑う。
そんな考えを自分を巻き込んでするヒトがいるとは思いもしなかった。肯定的に捉える様子を見せていると、ルは嬉しそうにこれから何をしょうかと指を折りながら考えている。
「あ、そういえば龍さんはなんとお呼びすれば?」
これから話すには呼び名は必要だ、とは言うけれど男にとっては名はただの文字でしかなかった。どんな形でさえ己を呼んでいると分かれば良い。好きに呼べ、と言ってみるとは頭を抱えて悩ませる。そして、しばらく経って男の其のツノを見て「ツノ太郎」と名づけた。悩みに悩みぬいた結果そんな可愛らしい名前をつけられて、ツノ太郎はやはりヒトの子は面白いと言って何度も其れが僕の名前か、と口角を上げ喜びを隠そうとはしていなかった。
「ヒトの子よ、其の堅苦しい話し方はよせ」
皙が話しながら丁寧な語を使っていることが未だに距離を取られている様に感じてツノ太郎は眉を逆八の字にした。其の考えには、皙も同調し、慣れない様子で敬語を崩そうと努力する。
「お前と僕はこれから夫婦になるのだからな」
山の中に静寂が訪れる。小鳥も滝も其のツノ太郎の発言を見逃さなかったように音を発しはしなかった。皙は口をあんぐりとさせ、今の発言が理解できなかったかのように頬をつねる。
彼女の類にはヒリヒリとした感覚だけが残り、今更夢で片付けさせてはくれない。
「何故驚く。毎日僕に会いに来るということは嫁ぐということだろう?」
当たり前じゃないかと言わんばかりな顔をするからの頭は余計に混乱する。そんな皙の頭を緩くしたのはカァカァというカラスの鳴き声。気付かぬ間に空は夕暮れで、日に照らされた雪も影で覆われようとしていた。帰らなければ。事柄が渋滞した最中、母が自分を心配する姿だけを痛く思い出す。お返事はまた今度、申し訳なく言おうとすると、ツノ太郎は龍の姿となり、皙に背中に乗るよう促した。彼の龍の姿もまた美しく一つ一つの鱗が頑丈で宝石のように陽の光を美しく照らし、彼の指先のように冷たくひんやりとしていた。彼が村に脚を着くと、村人は其れは大慌てでクワを持って自分の命を守ろうとする。
そんな中で皙の家族だけが其の龍の背中に乗る彼女を見つけた。
自分の命も顧みずに龍に駆け寄ると、娘は予想外のことに静かに龍の背中から降りてきた!しかも無傷で。龍に笑って礼を言う娘を家族は理解出来なかった。皆が家族に気づくと大きく手を振る。そして、隣にいたはずの龍はヒトの姿に変貌していた。母は何よりも無事に帰ってきてくれたことに対して感謝を何度も告げ、娘を抱きしめる。──時たま横の龍であろう青年の目線が気になるが。家族含む村人が身を乗り出してルに何があったのか問いただす。民衆が気になるのも当たり前だ、噂の龍の背中に乗ってきて、何より無事に生きているのだから。
「こ、此方はツノ太郎。あたしの旦那様──だそうです……」
此処は、人口の少ない山村。二人の噂は一時間と待たずに広まった。家族や村人は大慌てで理解することも出来てはいなかったが、客はもてなさなければいけない、と急いで準備をし始める。まずは村長の所へ、と案内されるものだからとツノ太郎は指示に従うほかない。ツノ太郎はゆっくりと皆の手を握る。皙は共のひんやりとした冷たい手が嫌ではなかった。
「冷たいね、まだ心配になるよ」
「なら、お前がこれから温めてくれればいいだろう?」
ツノ太郎、彼の本当の名はマレウス・ドラコニア。過去に彼は人々を見守り、人々から愛される怖くない龍だった。そんな彼が雪山にいても手が暖かくなっているのはもう少し後の話。