あなたもあたしも、初咲き


・ご注意・
マレウス・ドラコニア×夢主
ふたりとも大学生という設定の現代パロ
モブが出張ります
マレウスが名前ありモブ女大生と付き合う描写があります
が当て馬です
視点がコロコロ変わります。できるだけわかりやすいように書いたつもりだけど人称も不安定!ごめんね

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茹だるような日差しが肌を燦々と刺す昼下がり。すらりと
した体駆に艶やかな黒髪を靡かせて、切れ長の翠眼を眩しそうに細めている青年──マレウス・ドラコニアは大学への坂道を登っていた。時間は正午を回ったところで、夏の太陽はこれでもかと自身の存在を主張し、アスファルトから昇る熱気がじりじりと肌を焼く。ふと、首筋にひやりと冷気が触れた。半袖のシャツから伸びた腕に風が当たって気持ち良い。
冷たさのやってきた方に目を遣ると、花屋がこぢんまりと佇んでいた。マレウスはなるほど、と一人合点する。あの冷気は花屋特有のそれだったのか、と。
その花屋はまだ開店したてなのか、祝いの花々がぽつぽつと店先に飾られていた。少し前までここは飲食系のチェーン店であったはずだ。都会の店の入れ替わりは微しいと考えながらちらりと腕時計を見る。急がなければすこしまずい時間であった。荷物を肩にかけ直し、眩さに眉を顰めながらまた坂を登り始めた。

「いらっしゃいま……あれ?」

店先に並ぶ大ぶりの花の間から、その少女は顔を覗かせた。
まだ少しあどけなさの残る顔立ちに、ふたつに束ねた黒髪を揺らし、両手で大きな花鉢を抱えている。

「お客さん、いたと思ったんだけどなあ」

彼女はぽつりとそう呟くと、店の奥へと舞い戻っていった。






「マレウスくん……っ、あのね」

目の前の小柄な女性は、幾度か口を開け閉めしてから話し出した。胸の前で両手を絡ませたり離したり忙しない。少し離れた建物の影からは、友達だろうか、数人の女学生たちが期待を込めた目で覗き込んでいる。マレウスは、まあ、告白か、と見当をつけた。そこまで長くもない人生の中で、告白はかなりの回数されていた。その度に断っていたが。彼には恋というものがよくわからなかった。読書はする方だし、映画なんかも好んで観るが、描写される恋の数々に共感することなど今まであったことがない。だから告白されるごとに丁寧に断っていたのだが、なぜか取り巻きの女子たちに非難されることが多かった。理由を追求され、好きというものがわからないと答えればまた糾弾される。わからないものはわからないというのに。

「……す、好きです。私、マレウスくんのことが好きです!よかったら、付き合ってくれませんか.....?」

付いて叫ぶように発された言葉。彼にとっては付き合う、ということもよくわかっていなかったが、ここらで恋人というものを体験するのも良いかもしれないと、ほのかに打算的な考えが脳内を過ぎる。なにより、大学生になってまで告白を断って周りの女子に非難されるなんて面倒なことは回避したかった。

「……ああ、僕でよければ」

答えた途端、建物の影からきゃあ、と歓声があがる。女性──確か、草薙といった──は俯けていた顔をあげ、それは見る間に喜色に染められていった。

「あ、ありがとう。マレウスくんっ!これから、よろしく
ね」
「うん、よろしく頼む」

そうして、恋が何かもわからないまま、恋人ができてしまった。





マレウスと彼女──草薙の交際生活は程々に上手くいっていた。マレウスとしては、早々に破局するものだと思っていたのだが、思ったよりも上手く立ち回れているようだ。今日は彼女が授業を受け終わるのを待ってから一緒にランチの予定だ。彼はもう習慣となったかのように、大学を出てすぐの坂を下る。付き合い始めてからというもの、マレウスはことあるごとに彼女に花を贈っている。初めてのデートの時、一輪の花を見繕って贈ったら、予想以上に喜ばれた。「こんなロマンチックなこと、されたことない」なんて彼女は顔を明るくさせて、それが正解なのだと思ったマレウスは一輪ずつ花を贈るようになった。初めて買ったのはアンスリウムという花だ。
デート、というもので何をすれば良いのか迷っていたとき、大学へ向かう坂の途中にこぢんまりと停む花屋に目が留まった。その日は太陽は出ていなかったものの、夏特有の蒸し暑さが身体を蝕んでいて、ひんやりと流れ出す冷たい空気に誘われるようにしてふらりと花屋の中へ入ってしまった。どうせなら何か買っていけば良いだろうか、と店内を物色していると、一人の店員が声をかけてきた。

「こんにちは、何かお探しですか?」

その店員はまだ少女といって差し支えないような容姿をしていた。柔らかで長い黒髪を後ろでふたつに束ね、制服だろうか、黄緑色のエプロンをしている。
「ああ……恋人に贈る花を、と」
恋人、という単語を聞いた途端、その少女の顔がぱっと明るくなる。この年頃の少女はどうにも色恋というものに目がないようだ。

「そうですか!何かの記念日なんですか?」

少女はきらきらと笑いながら懐っこく問いかけてきた。日本人女性の平均身長と比べて、別段小柄というわけではないが、背の高いマレウスから見れば小型犬のようなものだった。

「いや、特に記念日というわけではない。花を贈られるのは嬉しいものだろう」
「わぁ…素敵!なんでもない日のプレゼントほど女の子が喜ぶものはありませんよ」

少女はまたも目を輝かせて花が咲いたように笑う。よかっ
たら一緒にお考えしましょうか、と訊かれて、マレウスは頷いた。

「あ、これなんかどうですか?」

そういって少女が持ってきたのがアンスリウムだった。

「恋にまつわる花言葉をもってて、夏が旬の花なんです」

少女の手の中で揺れるそれは赤みの強いピンク色をしていて、つやつやと光を反射する様が美しかった。

「じゃあ、それを貰おう。一輪だけ包んで貰っても良いか?」
「もちろん!少しお待ちくださいね」

少女は営業スマイルとは思えないほどにっこりと微笑んで
レジの奥へ引っ込んでいった。
包み終わった花を持ってカウンターへ立った少女から花を受け取り、代金を払う。「頑張ってくださいね!」と笑った少女の左胸には『たちばな』と書かれた名札がかかっていた。

そして今日に至るまで、デートのたびに一輪ずつ花を買っていった。応対してくれるのはいつも橘花という少女で、毎回旬の花とその花言葉を教えてくれた。今日もその花屋に立ち寄ると、すっかり顔馴染みになった橘花が「いらっしゃいませ」と出迎えてくれる。

「今日も花を見繕ってもらって良いか」
「もちろんですよ!」

橘花は初めてこの店を訪れたときと変わらず、にこにこ笑いながら花を手に取る。

「やっと涼しくなってきましたねぇ」
「そうだな。日が暮れるのも早い」
「あ、ピンクのリンドウはどうですか?『かわいらしい」っていう意味があるんです」

そういって橘花が手に取ってきたのは華やかなピンク色をした花だった。マレウスは思う、かわいらしい、という意味であるならば、今付き合っている草薙より橘花の方がずっと似合っていると。彼はふむ、と考え込むようなそぶりを見せると、橘花に言った。

「じゃあ、それにする。一輪ずつ、ふたつ買おう」
「ふたつ……?わかりました」

ふたつ、と言ったのに橘花は少し不思議がっていたが、二輪のリンドウをもってレジ奥へと消えていく。

「できました」

ビニール袋に入れられた二輪のリンドウを受け取って、代金を支払う。橘花はそれを不思議そうに眺めていたが、いつも通り「デート、楽しんでくださいね」と声をかけた。しかしマレウスはおもむろに一輪のリンドウをビニール袋から抜き取り、橘花へと手渡した。

「え」
「それは、橘花にやろう。その花言葉は、お前にも似合う」

橘花は驚きつつ花の包みを受け取ると、その言葉を聞いて目を丸くした。

「では」

マレウスが踵を返して大学へ向かった後も、橘花はしばらく固まったままだった。




橘花皙は、困惑していた。彼女は大学近くの花屋でバイトをしている。大学に程近いのと、知り合いが経営しているということがあって、ほとんど毎日のように出勤しているが。
そしてそのバイト先に、数ヶ月前──夏頃から、ある客がよく訪れるようになった。その客はすらりと背が高く、どこか日本人離れした流麗な顔立ちをしていた。彼は恋人とのデートの度にここへ来ては、一輪だけ花を買ってデートへ向かう。
初回に橘花が案内したので、今までずっと、彼とその恋人に花をセレクトしてきた。
秋の香りがしてきた今日は、『かわいらしい』という意味を持つピンクのリンドウを選んだ。いつも通り一輪包もうと思ったものの、彼はふたつ包んで欲しいと言う。橘花は言われた通りふたつ包んで持ってきたところ、彼はおもむろに一輪抜いて、橘花に手渡した。そのまま彼は別れの言葉を口にして、颯爽と店から出ていく。
そして、冒頭へ戻る。
彼が言った言葉、『その花言葉は、お前にも似合う』……恋人でもないあたしに言っても良いのだろうか。やっと身体がほぐれてきた橘花はいまだ混乱していた。彼には恋人がいると言った。デートの度にわざわざ花を選んで贈るほどの。
そんな恋人がいる彼にあんな口説き文句を言われて、浮気にならないのだろうか。……あれ、なんであの人あたしの名前知ってるんだろう。など悶々と考え続けていたら、客が入ってきた。彼はもしかしてとんでもない天然なのかもしれない──そしてそれはあながち間違ってはいない──と折り合いをつけて、いらっしゃいませと客に声をかける。





「今日の花はリンドウと言うんだ。綺麗だろう」
「うん、とっても素敵!いつもありがとう、マレウスくん」

なんでもないランチデートの前に、一輪の花を手渡す。マレウスの恋人──草薙は顔を輝かせてそれを受け取った。
告白されるまではマレウスの眼中にさえなかった彼女だが、よく見てみれば周りの女子に比べてかなり容姿が良い。小柄で小動物のような体駆にミディアムロングで緩く巻かれたマロンブラウンの髪がよく似合っている。いわゆる、『男ウケ』するタイプだろう。駅前のカフェで向かい合って食事をしながら、マレウスはじいっと草薙のことを見つめていた。

「ま、マレウスくん?どうかした?」

しかし、マレウスは思った。やはり、橘花の方がかわいらしいな、と。常識的に考えて、恋人とのデート中にその恋人以外の女性をかわいらしいと思うなど御法度ではあるが、マレウスに恋はわからない。この恋人関係もただの社会経験の一端として考えていた。

「いや、なんでもない」
「そう?あ、このお店、どうかな?友達が勧めてくれた
んだけど」
「ああ、雰囲気も良いし食事も美味しいな」
「満足してくれたならよかった!」

穏やかな時間が過ぎていく。彼女と付き合っていて特に胸がときめくなどはないが、世間一般でいう男女の付き合いというものは経験できているのではないか、とマレウスはこの現状におおむね満足していた。

「……ねえ、マレウスくん」

草薙が緊張したように問いかけた。オムライスを食べていたスプーンをかたりと置く。

「あ、あの、これから、空いてる……?よかったら、私の家、きませんか?」

少し目を潤ませて、上目遣いで懇願するように放たれた言葉に、マレウスが動揺することはない。

「すまない、今日はこれから友人と会うことになっていてな。また今度の機会に」
「あ、……わかった。また誘わせてね」

草薙は落ち込んだように少し俯いて、食事を再開した。マレウスの方はと言えば、友人と会う約束などはなかった。まるっきりの嘘だ。好きでもない女性の家に上がり込むのはよろしくないとわかっていた。
その日はそのまま食事を終え、それぞれ別れて帰途に着いた。





ある日、橘花皙はキャンパス内をふらふらと歩いていた。
坂を登ったところにあるこのキャンパスは大きく、自然に溢れている。秋も深まってきたこの頃、至る所に植えられた銀杏や紅葉に色がつき始めたのを眺めながら次の講義までの時間を潰していたのだ。紅葉が紅くなってる、綺麗だなとぼんやり思っていたら後ろから急に声をかけられた。

「橘花?」

その声は確かにバイト先の得意客のもので。

「あれお客さん?」

くるりと振り向けば見慣れた黒髪が揺れた。いつもはたくさんの植物で狭い店内で窮屈そうに身体を縮めているからか、屋外で彼のことを見るといつもより大きく感じる。

「お客さんもここの大学生だったんですね!」
「ここでは客ではない。マレウスと呼んでくれ」

マレウスはほんのりと眉を顰めて言った。橘花に名前を呼んでほしかった。

「じゃあ、マレウス……さん?」
「さんも要らない。橘花の下の名前はなんだ?」
「えっと、皙、ですけど」

橘花にしてみればただの店員と客の関係だから、ここまでぐいぐい来られるとさすがに困惑してしまう。脳内にはてなをたくさん浮かべながら、ぎこちなく名前を口にした。

「そうか……皙はどの学部なんだ」

至極ナチュラルな名前呼びだった。驚くほどに。こんな距離詰めてくる! と橘花は混乱しっぱなしだ。

「心理学系……です」
「何年だ?」
「二年生です」
「僕も二年だ。敬語はつけなくていい」

マレウスは見るからに嬉しそうに微笑みを浮かべて話し続ける。橘花はと言うと、さっきから混乱し続けており、少しだけ目が回っていた。まずただの客だと思っていた人が同じキャンパスで学ぶ大学生だったこと、あまつさえ同級生ということ、急に名前を名乗られ、自らの名前も差し出してしまったこと、いやそもそもマレウスに苗字を知られていたことなど、混乱すべき事物が重なりすぎてまともに情報を処理できないでいた。

「え、あの、マレウスくん?は、どうしてあたしの苗字知ってたの?」

とにかく訊くべきはそれだろう、とバイト中から気になっていたことを訊く。

「ん?名札をかけていただろう」

橘花は自分の制服の左胸を思い出し、ああ、と納得した。
確かに、勤務中はひらがなではあるが、『たちばな』と苗字を書いた名札をかけている。

「ふふ、勤務中はあまり話すことがないだろう。話せて嬉しい」

マレウスの言葉に、橘花はようやっと収まってきた混乱がまた襲いくる気配を感じた。話せて嬉しい?ただの花屋の一店員と?疑問が浮かんではそのままそこに留まる。橘花の脳内はパンク寸前だった。また固まってしまった橘花を彼は不思議そうに覗き込む。彼の顔が間近に迫って、橘花は一歩後ずさった。薄暗い花屋の店内ではよくわからなかったが、こうして日の下で見ると本当に美しい顔をしている。きめ細かい肌には艶があって、切れ長の瞳を長いまつ毛が縁取っている。鼻筋は通っているし、瞳は黄緑色だ。名前からして、外国の人間だろうか、とどこか他人事に捉えていないと正気を保っていられなさそうだった。

「皙、どうかしたか」

少しだけ眉を下げて、困ったように顔を覗き込んでくるマレウスに、不覚にも、きゅんと、胸が高鳴ってしまった。秋の柔らかな陽光を受けた瞳が物怖じするほど美しかった。橘花はそのまましばし硬直する。
橘花を動かしたのはある男子学生の一声であった。

「あ、橘花さん!今って大丈夫?こないだの課題のこと聞きたいんだけど」

彼はある講義で橘花と同じグループに所属していて、少々空気の読めないきらいがある。しかし、今の橘花にとってはまさに鶴の一声だった。

「わ、わかった。マレウスくん、ごめんね。あたし行かなくちゃ」
「お、わかった」
「声かけてくれてありがとう!またお店で待ってるね」

人好きのする笑顔でにっこりと微笑んでから、男子学生の方にくるりと振り向いた彼女をマレウスは少し不満げに見つめていた。
マレウスは訝しんでいた。突如自分の中に現れた謎の感情を。今日は入っていた授業が突如休講になり、その間を埋めるため大学図書館にでも行こうと思い、キャンパス内を歩いていた。そのとき、紅く染まり始めた紅葉を眺めていた橘花を見つけた。気づいたら「橘花?」と声をかけていて、彼女は驚いたようにこちらを振り向いた。いくらか会話をして、マレウスの名前を教え、同学年だったから敬語を外してもらうなどしていたら急に橘花が固まった。マレウスが不思議そうに硬直状態の彼女を覗き込んでいると、同じ講義を受けているのだろうか、妙に馴れ馴れしい男子生徒が彼女に声をかけてきた。彼女ははっと気がつくと、すぐにそちらへ返事をしてマレウスに彼の元へ向かうことを伝えた。マレウスかわしぶしぶと了承の意を伝えると、彼女は花が咲いたように笑って、店で待っている、と告げた。その後すぐ、男子生徒と仲良さげに歩いていく姿を見て、マレウスの心の中には靄がかったような、不思議な感情が居座り始めた。彼はこの感情を持て余すかのように眉を顰める。この感情はなんなのだろうか。だいぶ遠ざかった橘花の姿を見る。その感情はさらに肥大化していくようだった。感情を抑えるようにふうと一息吐く。暴れこそしないが、胸の内がぎゅっと締め付けられて苦しいような、怒っているような、悲しいような、形容し難い感情が渦巻く。結局その感情に名前をつけられないまま、マレウスは図書館へ向かうことにした。





あの日、キャンパス内でマレウスに声をかけられた日から、マレウスは橘花の働く花屋に、毎日のように訪れていた。ふらりとやってきては店内の花を物色し、橘花が現れれば、目に見えて嬉しそうな雰囲気を纏う。橘花は最初こそ驚いていたが、二週間ほど経った今ではもう慣れ始めていた。マレウスがくるのは昼過ぎから夕方にかけてだったので、できるだけその時間にはバックヤードから出て店内にいるようにしていた。橘花の見立てによると、この連日の訪問はどうやら彼女関連のことではないらしい。普段通り恋人に、と一輪包みを買っていくこともあれば、家族に、家に、と花束を、橘花に勧められたから、とミニブーケを、また、自ら一輪だけ選んだ花を会計直後に橘花に渡してくることもあった。橘花は、そんな彼のことを好ましく思っていた。久方ぶりに胸のときめきを自覚し、危機感を覚えるほどには。これ以上好きになってはいけないと思うのに、日々顔を合わせる中で、彼の知らなかったことをしってしまっていた。近寄り難い雰囲気だが、笑った顔は存外かわいらしいこと。花を愛でる瞳が優しい光を宿していること。そしてなにより、その美しい瞳にまっすぐ見つめられると、余計なことなんて全て吹き飛んで、彼のことしか考えられなくなってしまうこと。ああ駄目だ、彼には恋人がいるのに……と橘花が悩み始めた頃には、もう手遅れだったのだろうか。彼女は、すでに恋に落ちていた。
恋に落ちた、と自覚してからは駄目だった。まともに顔を合わせられず、接客しなければと思うのに声がうわずってどうにも話せない。次第にマレウスがくる時間帯にはバックヤードに篭ることが多くなった。今日もバックヤードに引き篭もっている。こっそりと店内を覗き込むと、きょろきょろと橘花を探して、いないとわかるとはっきりとはわからないほど小さく肩を落として落ち込むマレウスの姿があった。橘花は自分の弱さに申し訳なさを募らせたが、これ以上思わせぶりな態度に翻弄されることは避けたかった。今日も黙々とラッピング用の薄紙を切る。
最近、マレウスは毎日のようにあの花屋へ赴いている。橘花に会うために。あの日感じた、名前のつけられないあの感情の答えを知るために。何かしらの理由をつけては花を買い、橘花と話した。しかし突然、店内で橘花に会うことが少なくなった。しばらく前までは、毎日店内に彼女がいてマレウスを接客していたのに、だ。マレウスは店内を見回して、彼女がいないとわかると少しだけ肩を落とした。彼女のおかげで、随分と花言葉にも詳しくなったな、と思いながら店内を物色する。今日は恋人とのデートであったから、適当に一輪花を選んで、レジまで持って行った。
ラッピングに包まれた一輪の花を持って、待ち合わせ場所に向かう。冬もぐっと近づいて寒くなってきたこの頃、紅葉が一番綺麗な時期だと聞いたので、ふたりで紅葉狩りに行こうと思っていた。駅前でじっと待っていると、白いマフラーを揺らした彼女が近づいてきた。

「おまたせ、マレウスくん!まった?」
「まあ、少しだけだ。それで今日は……」
「ねえマレウスくん、あのね、行く前に少し話したいことがあって……あそこのカフェに入ってもいいかな?」

彼女は駅前のよくあるチェーンのカフェを指差した。マレウスはひとつ頷くと、ふたり連れ立って歩き出した。
それぞれカフェモカとホットコーヒーを注文すると、丸いテーブルに腰掛けた。

「それで、話したいこととは……」
「うん、はっきり言うね。マレウスくん、最近他の女の子と仲良くしてるでしょ」

丸くて大きな瞳がマレウスを見据える。彼女の指先は少し震えていた。

「他の女子と……ああ、皙のことか」
「あの子、皙さんって言うんだ。あの、黒髪のふたつ結びの子」
「ああそうだ。花屋の店員をしていてな。よく世話になっている」

あ、とマレウスは思い出したように左手に持った一輪の花を持ち上げる。

「今日もそこで花を買ってきたんだ。どうだ?」

すっと左手を差し出すと、彼女はばしんと花ごとその手を叩いた。

「....っ、ふざけないでよ!そんな、そんな女のところから買ってきた花、普通彼女に渡す!」

叩かれた拍子に花が床に落ち、乾いた音を立てた。ヒステリーを起こしたようになっている草薙の目には涙が浮かび興奮のせいか頬が上気している。

「私のことなんて、遊びだったの……?」

たかだか他の女子と仲良くしていただけなのに、あんまりな論理の飛躍だが、マレウスにとってこの関係は『遊び』と同義だったのは言うまでもない。そのまま彼女は両手で顔を覆ってぐすぐすと泣き始めた。
マレウスはと言うと、この状況をどこか他人事かのように見ていた。心の奥の方で何かが急速に冷えていくような心持ちだった。初めから、別に彼女の笑顔を見ても胸が高鳴りはしないし、彼女が他の男と話していても嫉妬なんかすることない。橘花に感じるものとは大違いだった。橘花が笑ってくれれば嬉しいし、他の男と話していれば胸が引き裂かれるような辛い気持ちになる。──ああ、これが、恋か。ふっと空から降ってくるように、それは自覚された。僕は皙のことが好きなんだな。そう、自分で思って、少しだけ微笑んだ。

「草薙」

いまだぐずぐず鼻を鳴らす彼女に声をかける。

「別れよう」

マレウスの口から端的に語られた言葉に、草薙はばっと顔を上げた。その顔には何本か涙の筋が伝っていて、本当に悲しかったのか、と思った。

「えっ、マレウスくん、今、なんて……」
「だから、別れよう。たしかに、僕はお前との関係にそこまで熱を持っていなかったんだ」

取り乱す彼女とは対照的に、冷め始めたコーヒーをひと口含んで、マレウスは話し続けた。

「僕は昔から、『恋』というものがわからなかったんだ。でも、草薙に告白されて、良い機会だからと、本当にそれだけの理由で付き合い始めた。花を持ってきていたのは、女子はそういうものが好きだとどこかで聞いたから……花はいつも、皙が働いている店で買っていた。そのうち、皙と仲良くなってな」

草薙は、淡々と話すマレウスを是然と見ていた。彼はそんなことをひとつも気にすることなく、口を動かす。

「それで、気付いたんだ。これが「好き』だと。僕は、皙の
ことが好きなんだ」

そうして、マレウスは一等美しく笑った。それこそ、花が開くような、美術品としてそのまま飾っておきたくなるような笑顔だった。草薙は思う。彼は本当に、あの皙という女のことが好きなのだと。自分には、こんな美しい笑顔、一度も向けてはくれなかった。嫉妬しないと言えば嘘になる。現在の恋人を目の前に、彼女のことを思って綻んだその表情が一等美しいなんて、ひどい話だ。でも、草薙はなぜか、この状況に納得しかけていた。初めから、それこそ告白したときから、彼の心が自分に向いていないことなどわかりきっていた。
そもそも大学生になってからも受け続けた数多の告白を有無も言わさず断り続けている時点で望みなど希薄だったのだ。
そんな中で告白に応じてくれたなんて、気まぐれ以外の何物でもないと、わかっていた。しかし、付き合ってみたら彼はそれはそれは紳士で、とても素敵な男性だった。だから忘れていたのだ。彼の心は最初からここにはないということを。
ああ、皙という女はどれほどの人間なのだろう。あのマレウスが、ここまで美しく笑うなんて。

「.....うん、わかってた。マレウスくんは、私のこと、好きじゃないんだろうなって、知ってたよ。」

長い長い沈黙の末、草難が発した言葉の端々には震えが混じっていた。

「でもね、私に優しくしてくれて、きっと私、舞い上がってた。ごめんね、拘束しちゃって」

ぽろぽろと、溢れた涙がテーブルにみていく。草薙は膝の上でスカートを握りしめた。すると、前からすっと、紺色の上品なハンカチが差し出された。

「すまない、泣かせるつもりは……なかったんだ。悪かった......それは、返さなくていい」

マレウスは彼女がハンカチを受け取ったことを確認すると、コートを持って立ち上がった。流れるように財布を出すと札をテーブルへ置いてまた鞄へしまいこんだ。呆然とする彼女をよそに、コートを羽織ると、一言言った。

「僕は皙が好きだ。でも、お前と過ごした時間も、悪くはなかった」

ハンカチを握りしめて泣く草薙を置いて、マレウスはカフ
ェを出て行った。






橘花は悶々と考え込んでいた。マレウスへの恋心を自覚した日から、その想いは日に日に大きくなっている。布団の中ではあ、とため息を吐いて、ごろんと寝返りを打つ。この気持ちはどうしたらなくなるだろうか。彼には恋人がいる。デートの度に花を贈るほどの……そう考えてしまうと、真面目に彼らに協力していた過去の自分すら恨めしくなってくる。
早く破局してくれれば、あたしにだって入る隙ができるのに……と恐ろしい考えが思いついてしまって、急いで頭を振って考えを消し去る。こんな恐ろしい考えが自分の中で浮かんでしまったことに困惑し、恋というものが少し怖くなった。
とりあえず、今日はもう寝よう。考えるのはそれからだ。と思って目を閉じるが、なかなか寝付けなかった。

翌日、橘花は調べ物をするために大学図書館へと向かっていた。ひゅうと駆け抜ける北風に身が縮む。随分と冷え込んだなあと考えながら、コートの上着を握りしめて早足で歩いた。
一段と強い風に鼻と頬を赤くしながら歩いていると、いきなり後ろから声をかけられた。

「皙」

その声は、もう聞き慣れてしまった声だった。くるりと振り向くと、花束を持ったマレウスが立っていた。

「ま、マレウスくん......?」

橘花は困惑していた。その大きな花束はなんなのかとか、コートを着ていないようだが寒くはないのか、とか、疑問を聞かれればとめどなく溢れてしまうくらいにはこの状況に混乱していた。

「ああ、皙。僕はわかったんだ」
「何が……?」
マレウスの様子はいつにも増して真剣だった。そのトルマリンのような瞳に見据えられて身体が動かなくなる。周りにいた大学生たちが何事だ、とざわつき始めた。

「僕は……僕は、皙が好きだ。付き合ってくれないか」

言った瞬間、花束を突き出される。花束はピンクやオレンジを基調とした柔らかい色合いの秋の花で構成されているもので、可愛らしい印象を受けるものだった。
は、と息を吐いた橘花は、しばらくなにも発せなかった。

「皙?」
「あ、えっと、これは……」
「花束だ。告白の常套手段だろう」

マレウスの声ではっと我に返った橘花は、心の困惑を表に出すように花束を指差し質問した。マレウスはどこか満足気に花束を振って見せる。どうやら、橘花だけがわかっていないようだった。

「え、ええ?あの、マレウスくんって彼女さん…いたよ
ね?」
「別れた」
「ええ!」

少し食い気味な回答に橘花は困惑を隠そうともしなかった。わざわざ毎回花を贈るほどの溺愛していたのではなかったか。

「ああ、別に僕は草薙のことが好きだったわけじゃない。ただ、恋人というものを体験しておくのも大切かと思っただけだ」

その橘花の困惑を読み取ったかのようにマレウスが言う。

「僕が初めて好きになった相手、それが、お前だ。」

マレウスはそのまま流れるような所作で膝をつく。花束を掲げるともう一度橘花と目を合わせた。

「皙、もう一度言う。僕はお前が好きだ。付き合ってくれないか」
「ちょ、ちょっと待って!?」

真摯に見つめるマレウスの瞳を直視できなくなって、橘花は反射的に後ずさる。意味がわからなかった。でも、それ以上に、嬉しかった。気分が高揚していくのがわかる。

「……これでは、不満だったか」

急に後退した橘花を見て、マレウスは不満気に花束を見つめる。花束の根元を持っている手に力が入るのがわかる。

「あ、あ!違うの、これ」

今にも花を折ってしまいそうな様子のマレウスに橘花は焦ってわたわたと手を動かす。

「こんな告白、されたの初めてだし……あたしも、……だし
……」

やっとのことで橘花が発したのは蚊の鳴くような声だった。
いまだひざまづいたままのマレウスはよく聞こえなかったようで小首を傾げている。

「…………あたしも、マレウスくんのこと、好き、だよ」

途切れ途切れで、声は小さいし、お世辞にも立派な告白とは言えなかったものの、橘花はそう返事をした。マレウスはその言葉にぱあっと顔を輝かせるとすっくと立ち上がって、彼女に近づいた。

「そうか、皙……」

花束を抱えたまま、それはそれは嬉しそうに笑うマレウスは続ける。

「嬉しい、な。これから、よろしく頼む」

ふふふ、と笑いが堪えきれていないようだ。そうこうしているうちに花束は橘花の手に渡り、彼女は興味深そうに花束を観察していた。

「これ、コスモスメインの花束なんだね」
「ああ、これは僕の勝手なイメージだが、この花が一番替に似合うと思ったんだ」

思わぬところから飛んできた弾丸にきゅんと胸が高鳴る。
ああ、あたし、この人といたら寿命が縮んじゃうかも……とこの先の不安に思いを馳せていると、ふいにぱちぱちと拍手が聞こえてきた。橘花がはっと現実に戻って周りを見回すと、まばらに大学生が立っていて、数人が生暖かい笑顔を浮かべながら拍手をしていた。どこからか「おめでと!!」と野次る声も聞こえてくる。そうだ、ここは外だった。告白された時よりも急速に頬が熱を持つ。

「ふふ、祝福されているな」
「わ、笑ってられないよ!すっごく恥ずかしい!」

橘花は恥ずかしさが限界を突破したのか、涙さえ浮かべている。

「いいだろう。これで皙をとられることもないだろうしな」

マレウスは笑いながら不穏なことを言う。でも、悪い気はしなかった。
抱えた花束が風に揺られて、花の優しい香りがふわりとあたりを包んだ。