「いらっしゃいませー、あ」
ぴゅう、と北風が吹き抜けて、肌が痛いような冬の日。雪のように真っ白なワンピースに、店の制服である黄緑色のエプロンを身につけ、左胸に「たちばな』と書かれた名札を提げている少女ー橘花皙は、客が入ってきたことを知らせるベルの音に入り口を振り返った。低い位置でふたつに結んだ黒髪が風に吹かれて揺れる。あ、と言葉を途切れさせた先にいたのは、少し前、彼女の恋人となった青年──マレウス・ドラコニアだった。
「マレウス」
「皙」
マフラーに巻かれたままくふふと満足気に笑うマレウスに
橘花はほんの少しため息を吐く。
「もう、まだ退勤時間じゃないから。でも、外は寒いよね……」
今日はクリスマスイブ。橘花とマレウスはこれからイルミネーションを見に行って、それからディナーと洒落込む予定だった。しかし先日、イブに出勤する予定だった同僚が最近流行りのインフルエンザに罹ってしまい、急遽橘花がシフトに入ることになってしまった。幸い、花屋の店長は橘花の知り合いであったし、ふたりの関係性も知っていたため、早くに退勤させてくれることになったが、ふたりで過ごす時間が減ってしまったのは事実だった。
「どうしよう……」
「別に皙の顔を見たかっただけだ。終わるまで外で待っている」
顔を見たかっただけ、と殺し文句を言われて思わず胸が高鳴る。ああもう、こういう天然たらしなところが困るんだよなぁ……と幸せな悩みを抱きながら、橘花はしばし押し黙る。
きっと外は寒い。大学からここまできたであろうマレウスだが、顔が赤くなっている。大学からここは近いというのに。
ああどうしようか、外で待っていてもらうのも忍びないが、退勤時間まであと半刻はあるのも本当だった。
「あら皙ちゃん、どうしたの.…ってあらあら、彼氏さんじゃない!」
そうこうしているうちに、バックヤードの方から店長が出てきてしまった。サボっていると思われるかもしれない、とわたわたと慌てる橘花とは対照的に、彼女は至極嬉しそうだった。
「ごめんなさいねえ、クリスマスデートをお邪魔しちゃって。皙ちゃん、あと三十分であがりでしょう?早く出ても大丈夫よ」
店長はにっこりと笑ってそう言った。橘花はいきなりのことにさらに慌てることになる。
「えっ、いいんですか!!」
「いいのよいいのよ。恋人たちの聖なる夜を邪魔しちゃ悪いでしょう」
店長は自分で言っておいて照れたのか、頬を赤く染めてきゃあと声をあげている。
「そうか、ではありがたく」
マレウスはもう橘花を連れ出す気満々だった。
「あ、え、わ、わかった。着替えてくるから少し待っててね」
店長にありがとうございますと頭を下げながら帰りの準備をしに行った橘花に、店長とマレウスは顔を見合わせた。
「はあ、本当に寒い……」
橘花はマフラーに顔を半分ほど埋めながらマレウスの隣を歩いていた。まだ5時だというのに日は落ちきって外は真っ暗。イルミネーションはさぞかし綺麗だろうなと思いを馳せる。隣を歩くマレウスも寒そうに鼻の頭を赤くさせていた。
「これだけ寒いと、駅前が遠く感じる……」
「そうだな」
吐く息が白く染まる。手のひらをきゅうと握りしめながら歩いていると、急にマレウスに右手を取られた。そのままいわゆる恋人繋ぎという形にされ、橘花の顔が赤くなる。
「ま、マレウス……」
「ふふ、こうした方があたたかいだろう」
マレウスは満足気だった。
しばらく歩いていたら、駅前でぴかぴか光る明るいイルミネーションが見えてくる。橘花は思わず「わあ、」と声をあげてその光を見つめた。
「マレウス、すごい、綺麗だね」
「ああ、そうだな」
青と白を基調にしてはいるが、さまざまな色が使われた角とりどりの電飾に、ふたりは心を奪われていた。
「皙」
「ん、なあにマレウ……」
急に声をかけられて橘花が振り向くと、その先に大きな花束があった。真っ赤な大きなポインセチアを中心に、クリスマスといえば、なセレクトでまとめられた美しい花束だった。
「マレウス、これ……」
「ふふふ、実は、店長と計画していたんだ。大成功だな」
いたずらが成功して嬉しそうに笑う幼子のように笑顔を浮かべるマレウスに、はしばらく言葉が出なかった。
「じゃ、じゃあ今日早くきたのって……」
「計画のうちだ。皙が着替えているうちにこれを受け取ろうと思ったんだ」
そういえば、と橘花は思い返す。マレウスは今日珍しく大きな荷物を持っていた。その中にこっそりとこれを忍ばせていたのか。
「メリークリスマス、皙」
きらきらと瞬くイルミネーションの下、素敵な恋人から大きな花束を受け取る。橘花が小さな頃から夢想してきた『素敵なクリスマス』そのものだった。今の状態に、橘花の目元にほんのりと涙が浮かぶ。
「!?し、皙、なぜ泣く!?」
橘花の目元に浮かんだ涙を目敏く見つけたマレウスはこれまた珍しく慌てふためいて、どうにか泣き止まないかと手を振っている。
「ふ、ふふ…」
そんなマレウスに、笑みが溢れる。
「ちがう、ちがうよマレウス。あたし、嬉しいの。ふふ、ありがとうマレウス。こんなに素敵なクリスマスはじめて!」
花束を受け取って、ふんわりと微笑む。こんな理想のようなクリスマスを迎えられたことが、なによりも嬉しかった。
「メリークリスマス、マレウス!だいすきだよ」
溢れ出してくる気持ちをそのままに、だいすき、と言った。
するとマレウスがぎゅう、と橘花を抱きしめてきた。もちろん、間にある花束は潰さぬような強さで。
「ああ、僕も大好きだ。皙」
抱きしめ合う恋人たちの上。この冬はじめての雪が、ふわりと降り立った。