19.5

いやいや、いくらなんでも遅すぎやしないか。

自室にては組の実技計画を練りつつ土井の帰りを待っていた山田伝蔵は、作業の手を止めた。
時は子の刻。すでに真夜中だ。
名前と話をしてくると出ていったきり土井は戻ってきていない。
案を授け、全てを土井の采配に任せた。親ほど年の離れた自分よりも、近い土井の方が名前も話しやすいだろうという山田の配慮からだ。
ただこうも時間がかかるとは予想外。そこまで彼女の心の壁は固く閉ざす事態にあるのかと案じた山田は医務室を目指した。
医務室の扉の前に見えた先客の姿に山田は驚きながらも、こそりと声をかけた。

「…新野先生、何をしておられるんだ?」
「あ、山田先生。いやね、私も今しがた来たんですが、入っていいものかどうか分からずでして」

扉の隙間から中を伺う新野に並び、山田も中を覗き見た。
見えたのは抱き合う2つの人影。1つは背格好からして土井。ということはもう1つは名前であろう。
一瞬ぎょっとした山田だったが、様子がおかしいと目を凝らした。
2人とも微動だにせず、話しているふうでもない。
土井の表情も名前の表情も見えないが、土井にもたれている名前の体は脱力しているように見えた。

─あれは、寝ておるな。

なんとなくの状況が分かり、山田が室内に足を踏み入れると、気配を察知したのか土井がそろりと振り向いた。

「や、山田先生ー…」
「何を情けない声を出しとるんだ、土井先生」

助かったと言わんばかりの安堵の表情を浮かべる土井、そしてその土井の体に抱きついたまま眠る名前を見やり、山田は呆れた顔をした。

「彼女を宥めていたまでは良かったんですが、体勢が悪かったのか、お恥ずかしいながら身動きが取れなくなりまして」

無理にして起こすのも忍びなくてと眉を下げる土井に、山田ははぁと深い溜め息を吐いた。
やはりというかなんというか。
睦まじさも無ければ如何わしさも一切ない、思ったとおりの事態に、安堵半分呆れ半分である。
追って中へと入ってきた新野も同じような心境なのだろう、顔に浮かぶのは苦笑だ。
大の大人、しかも忍を育てるプロの忍が何をしておるのかという山田の冷たい視線に土井は小さいながら声を荒げた。

「おっしゃりたいことは分かってますので、手伝ってもらえませんか?!」

山田と新野の手を借り、名前を布団へと寝かせると土井はぐるぐると腕やら首を回し、凝り固まった身体をほぐした。

「それで、うまくいったということでいいんだな」
「そうですね。少し責めた物言いになってしまい、泣かせてしまいましたが」

なんとか嫌われずにすんだかと。
そう柔らかな表情を浮かべる土井に山田はにたりと笑うと、いやいやと言葉をかぶせた。

「朝起きたらどうなってるやらわからんぞ?」

顔も見たくないとなっているかも、とからかう山田に「またまた、ご冗談を」と土井は流そうとした。しかしである。

「女心は山の天気と同じと言いますしねぇ」

新野の思わぬ追撃にぴたりと土井の口が止まった。
そう女心はころころと変わるものと、目を合わせうんうんと頷き合う山田と新野。妻帯者であり、鬼……、いや愛妻を持つ2人の説得力は凄まじい。

「また嫁さんから熱烈なプレゼントが届いてな」
「いやはや、うちもいつも怒られてばかりで」

などなど嫁の話に夢中な二人は、些かの不安に襲われている一人の男のことなど気付くはずもない。
山田と新野のからかい言葉を受け、土井はそろりと名前を見た。

──嫌われていないよな?

そう問おうにも、当の名前はすよすよと夢の中である。
いや、仮に起きていたとて聞けはしない。もちろん己に聞いたところで、それは答えではなく願望だ。
山田と新野の会話はもうすでに愛妻話から未病の話へと移り、今さら女心云々かんぬんを問い直すことなどできない。
名前の本心に触れ、すっきり心持ちとなっていたというのに、新たに出てきた小さなしこり。
そのまま床へ着くはめになり、土井が悶々とした思いから解放されるのは、あと数刻先のことである。

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