「……うわっ」
橋の上を歩いていると上流のほうから見覚えのある両脚が流されているのが見えた。上半身は完全に水の中。まるでスケキヨのような光景だった。
また自殺か。何度も失敗しているのに、良く飽きないものだ。面倒なのでそのまま何も見なかったことにしようと足を一歩進めたその時。
〜♪
「あ」
メールが届いた。内容は「バカを知らないか?」。……無視しよっかなあ。でも、今ごろ探し回ってるだろうし。
悩んでいると、ぼちゃん、と何かが水に飛び込む音がした。え? と思って見てみると白い頭が浮き沈みしながらスケキヨの下へ泳いで行くのが見えた。
マジかあ。これを見てしまった以上、流石に放っておくわけにはいかない。というか、助けたのに文句を言われるだろうあの子が可哀そうだ。
仕方がない。国木田さんに場所を示したメールを送りながら、橋を渡って土手を駆け下りる。その間に白い子はバカを引き上げたらしい、ぜえぜえと肩で息をしていた。
「大丈夫?」
「え?」
手を差し出すと白い少年はポカン、とした表情で差し出した手を見つめる。少しの間が開いて「あ! ありがとうございます」と手を握り返した。
手を引っ張って立ち上がらせた少年の恰好を見て思わず眉根を寄せた。ボロボロの薄い服はロクな生活を送れていないことが分かる。体も薄いし、何よりこの砂色のコートを着た男を助けたせいでびしょ濡れだ。
「寒いでしょ? これ着な」
「え! そんな、大丈夫です! 僕寒さに強いですし!」
「いいから。お詫びだよ、お詫び」
「お詫び?」
コテン、と少年が首を傾げると同時にむくり、と男が起き上がる。
苦々しげな顔をする私とは対照に、少年は恐る恐る大丈夫かと声をかける。彼はは「助かった……」と呟き――
「――――ちっ」
と眉間にしわを寄せ、舌打ちをしながら立ち上がった。その態度に私の眉間にもしわが寄る。
気づかれないようさり気無く背後に回って。
「君かい? 私の入水の邪魔を」
「舌打ちの前にお礼を言え青鯖」
思いっきり背中を蹴りつけた。
えええ!? と驚きの声を上げる少年の横を顔面からスライディングしていく男。その気になれば避けれるくせに……。
「いたた……。酷いじゃないか、なまえ」
「助けてくれた恩人に向かって舌打ちするのは酷くないんですか」
痛くなってきた頭を押さえる。おろおろしている少年の頭を落ち着かせるようにポンポンと軽く叩いた。
「えーと……」
「自殺しようとしてたんだよ、このバカは」
「自殺!?」
「そう。私は自殺しようとしていたのだ。それなのに君は余計なことを」
少年は何故怒られているのかわからないと言った顔をしている。そりゃそうだ。そして感じるデジャヴ。思い出したら腹が立ってきた、もう一度蹴ってやろうか。
「あなたの信念は人に迷惑を掛けないクリーンな自殺でしょ。絶賛彼に迷惑かけてますけど」
「む。それは此方の落ち度、君には何かお詫びを……」
と、お腹の音が響きわたった。発信源は少年、思わず顔を見る。
「実はここ数日何も食べてなくて……」
さらにもう一度、お腹の音が響く。今度は少年ではなく、目の前の男の物だった。思わず目線が冷たくなる。
「奇遇だな。実は私もだ」
ポケットからカエルが跳び出す。
「ちなみに財布は流されたようだ」
このクズ! と叫びたくなるのを抑える。なんでこんなのに着いてきたんだと昔の自分を罵りたくなるが、今は我が身の事よりこの変人に振り回されてしまった少年の事だ。
「私が――」
何か奢るよ、と言いかけたその時。
「こんなところに居ったか唐変木!!」
聞きなれた大声に対岸を見ると、見慣れた眼鏡の男――国木田さんが額に青筋を浮かべながら腕を組んでこちらを、正確には彼曰く唐変木を睨んでいる。
「おー。国木田君、ご苦労様ぁ」
「何がご苦労様だ!! 苦労は凡てお前の所為だこの自殺マニア! お前はどれだけ俺の計画を乱せば気が済む! お蔭で非番のなまえまで巻き込む羽目になっただろう!」
「そうだ、良いことを思いついた。彼は私の同僚なのだ、彼に奢ってもらえばいい。あ、なまえは私のを頼む」
「人の話聞けよ!!」
「なんで私があなたに奢らなきゃならないんですか」
少年は現時点では巻き込んでしまった他人だから奢るのもやぶさかではない。しかし、このカオスの元凶に奢る理由は欠片もない。むしろ奢って欲しいくらいだ。
じとーっと視線を送るも、華麗に無視した男は少年に話しかける。
「君、名前は?」
「中島……敦ですけど」
少年の口から出た名前に、一瞬だが呼吸が止まった。
「…………山月記」
「? 何か言ったかい」
「いいえ」
しまった。危うく出そうになった舌打ちを抑える。つい口に出してしまうのは昔からの悪い癖だ。
探るような視線を向けられたが、黙って目を合わさない。暫らくして諦めたのか、肩を竦めて少年――敦君に向き直った。
「では着いてきたまえ敦君。何が食べたい?」
「あの……。できれば」
「なあに、遠慮はいらないよ」
奢るの私らでしょうが。まったく払う気がない癖に何を言っているのかこの人は。
声に出さずに愚痴りながら敦君の答えを待つ。
「……茶漬けが食べたいです」
茶漬け?
予想外の返事に私と男はポカン、としたがすぐに笑い出した。
「餓死寸前の少年が茶漬けを所望か。いいよ。国木田君となまえに30杯ぐらい奢らせよう」
「ちょっと」
「俺達の金で勝手に太っ腹になるな太宰!!」
さっきから思ってたんだけど、よく対岸からこっちの会話が聞こえるな。
「太宰?」
「ああ、私の名だよ」
ふわり、男のコートの裾が風にあおられる。
夕暮れ時の河原で不敵な笑みを浮かべる彼は、腹が立つほど絵になった。
「私の名前は太宰……太宰治だ。こっちはなまえ。私の……お嫁さんかな」
「ンなもんになった覚えはねえですよクソ鯖!!」
スパーン、と頭を引っぱたいた音が河原に響いた。
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