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なまえは人生で三度目の「膝から崩れ落ちる」体験をした。かつて通った学び舎は無残な姿で鉄骨を晒し、周りの家々などは柱の一本すら立っていない。変わり果てた故郷の姿は彼女の心をいとも簡単に手折った。
「わかってたはずなのに。」
そう呟いて俯いたなまえの頭の上に一匹のハムスターが飛び乗った。田中がいつも連れている破壊神暗黒四天王のうちの一匹、サンDだ。
「なまえよ、そんなに沈んだ顔をしてくれるな。」
後ろからゆっくり歩み寄る彼の顔もまた明るいとは言い難い。なまえもここへの途中で目にしたものを見たのだろう。かつて飼育小屋があったところに大きな穴を。
「自分の顔を鏡で見てみたら?私とそう変わらない顔色してる。」
「……ああ、俺が言えたものではなかったな。しかし、お前がそんな顔をしているのは心配だ。サンDもそう言っている。」
「そっか。ごめんね田中、サンDも。」
なまえが頭に手を伸ばすとサンDはその手の甲に乗り移り、人懐こく頬をすり寄せた。その様が愛らしくて思わず笑みを漏らしたなまえをみて、田中の表情も幾分か和らいだようである。
それから二人は無言のままに、しばらく廃校を眺めた。かつてこの街は多くの人で賑わっていた。しかし、すっかり荒れ果てたここで音を立てるものは少ない。廃墟の隙間を通り抜ける不気味な風の音、こんな場所でも逞しく姦しいカラスの鳴き声。そんな荒涼としたものを耳にしながら、かつての日々を思った。
江ノ島盾子が気まぐれに破壊した平穏は大事なものだった。彼女が単調で退屈だとぐちゃぐちゃに潰した毎日は、尊いものだった。本当の価値というものは得てして失くしてから気づくものである。なんとも言えない、そっくり同じの悲痛な顔をして、二人はただ沈黙していた。眼に映る全てを噛みしめるように。
夕陽が廃墟の群れに触れそうなほど低く沈んだ時、田中は重々しく口を開いた。
「俺は」
それはまるで、古い古いヨーロッパの城門を百年ぶりに開けるような重さだった。
「俺は、罪人だ。」
苦々しく放たれたその一言はなまえの耳にしっかりと届いた。遠く彼方を見つめる田中はその先にかつての過ちを回想しているらしい。その横顔には苦悶の表情が刻まれていた。
「ワルプルギスの魁となり、この世に暗澹たる混迷を満ち満ちさせた罪業を、赦すものなどは居まい。俺様自身、この宿業は贖い続ける他にどうすればいいかもわからん。」
罪、それは田中のある意味パフォーマンスと化している婉曲した表現による大げさなものではない。江ノ島盾子の罠に嵌められてかつて同級生たちと一緒になって世界を絶望の底に叩き落とした過去は正気を取り戻して数年経った今でも彼を悩ませている。
その罪悪感に対して、なまえは中途半端な立場の人間だということを自覚していた。当時普通の女子高生であったなまえは当然、例の一連の事件に加害者として関与したことはない。しかし、事情を知ってしまったから一様に江ノ島以外の加害者を恨むこともできなかった。安易でやすっぽい慰めを与えることも、大きな顔をして詰ることもできなくて、しばし逡巡した後、自分の素直な気持ち、それだけを彼に伝えることにした。
「私ね、まで立っていられないほど悲しくなったことが3回あったの。まず、あの事件が起きた時、それから田中がもう起きないかもしれないと言われた時、そして今さっきここの変わり果てた情景を目の当たりにした時。でも、私はこんな爛れた世界に慣れてしまったし、あなたは目覚めてこうして私の隣にいてくれる。」
そこまで言ってしまうとなまえは田中の手を包み込んで彼と向き合った。
「だからこれも乗り越えられる。田中が一緒にいてくれるならきっと。」
すっかり日は沈んであたりは夜の帳に包まれていた。光源は二人が身につけた制服に備え付けられた小さなライトのささやかな光だけだ。しかしそんなぼんやりした暗闇の中でも自分を射抜く光を、闇の中でも確かに灯る一条の希望を、田中はなまえの瞳の中に見出していた。
「俺の贖罪の道連れとなることを望むか。」
その声は少し震えていて、田中にとって決死にも等しい覚悟で発した言葉であったが、なまえは事も無げに微笑んで肯定した。
「うん、田中と一緒ならどんなに辛くても頑張れる、と思うから。」
面食らった田中はらしくない惚け面を晒した後、はっとしてから口元のマフラーをずり上げ顔をなまえから背けた。あまりに呆気ない返事だったのでなまえが言葉の意図を理解しているのか、ちらりと様子を伺うと少しそっぽを向いて丸見えになった耳が赤い。さすがはなまえ。10年近く連れ添ったというだけあって田中の迂回にも程がある表現を正しく理解できたらしい。
「覚悟とか、大層な理想とか、そんなものは思いつかないし、未来機関の中でもヒラだし、私の持ち合わせって私自身くらいしかないの。けど、それでいいならあげる。私の全てをあなたにあげる。」
「なまえ……。」
未だ幽幽たる雲に覆われて先の見えない、そんな世界でも希望は生まれる。こんな崩壊した景色の中でも掴める幸せはある。いつの日か、手放しでこの僥倖を味わうことができるのだろうか。罪悪感に足を取られつつも田中はなまえを腕の中に収めた。
かの岬にて
2017/12/8
title:夜長文庫にてチキンロール名義で投稿