It's too late to "Romance"

 




 鬱蒼とした森に不釣り合いな立派な屋敷。その扉を魔法で吹っ飛ばした。巻き起こる粉塵とともに甘酸っぱい香りが鼻をつく。
 ──やはり麻薬か。
 最悪の予感が当たり、胸糞が悪い。中には複数人の気配があったが皆一様に動きが鈍い。おそらく全て中毒者だろう。ここを管理している者たちは既に撤収済みということか。それなら遠慮する必要はない。鼻と口をスカーフで覆い屋内へ走り込んだ。
「おじさま!シャイロックおじさま!」
 切羽詰まった私の声は大きな吹き抜けに吸い込まれる。寝椅子に、階段に、絨毯に寝そべる死体も同然の無気力な人々は、突然の乱入者が喚いてるというのにさして反応を見せない。夢見心地の蕩けた瞳を向けていれば良い方で、多くは私がいることにも気づかない様子で手にしたパイプに吸い付いている。着崩してはいるが伏せる彼らの着物は上等なものだ。光源の少ない薄暗闇によくよく目を凝らすと壁にかけられた絵画、椅子、机そして吸引器具、全てが繊細な細工の施されたの高級品だとわかる。
 醜悪な趣味だ。どれだけ見た目を美しく飾り立てようと人を腐らすための道具にすぎないくせに。正体不明の廃人とやたら豪奢な家具の中、あの人を探して駆け回った。
「シャイロックおじさま!返事をして!」
 これだけ麻薬の充満した空間だ。呼びかけなんて彼の耳に届かないかもしれない。それでも一縷の望みをかけて叫ばずにいられない。
 市場で逸れた幼児を探す親のような必死さで駆けずり回り、見境なくドアを開けた。調理場も、書斎も、寝室も、屋根裏部屋だって。それでも見知らぬ人々が倒れているばかりで彼は見つからない。
「いったい、どこに……。」
 三度も屋敷中を巡回した。それでも彼の影も形も見つけられないことでじわじわとしみを作るように不安が広がる。
 どうしよう。情報源の男は呪いをかけられていたのか、この館の場所を伝えた途端に事切れたから、他に手がかりなんてないのに。目眩とともにぐらりと体が傾ぐ。咄嗟に壁に手をついて支えようとしたが、体重をかけた途端壁板が回転して私は暗闇に放り込まれた。
「うわああ!」
 情けない悲鳴を反響させながらボール球のように転がっていく。道はなだらかな坂になっているようで、わずかに漏れている元の部屋の光が上へと遠ざかっていく。
 壁の穴の輪郭が小指の爪ほど小さくなったとき、ようやく体が止まった。どうやらここが坂の終点らしい。そして、いまの衝撃で口もとのスカーフは外れてしまったようだ。こんな場所でも相変わらず濃く香る毒の匂いに顔をしかめた。こんな換気もできないような隠し通路の先でも麻薬を吸っているなんて。この屋敷はまるでよく漬けられた毒林檎のようだ。皮も実も芯や種ですら致死性を孕んでいる。
 目を細めると2メートルほど先から細く光が漏れているのが視認できた。打ち身が痛いのと、まだ暗闇に目が慣れていないので膝立ちで前方を手で探りながら前進した。光が漏れている場所とこちらは扉で区切られているようだった。慎重にその輪郭を下から這わせるように手で探り、やがて見つけたドアノブを回す。
 ギィ、と軋んだ音を響かせて視界に入った空間は、光のあるものの光量は少なく薄暗い。あまり広さもないようだ。気休め程度にしかならないとわかっていたが、袖を鼻と口に当てながら部屋の中に踏み出した。
 部屋の大半はキングサイズの天蓋付きベッドで埋まっている。瞬きしながら部屋のひととおりを見回したが、他の部屋とは違い、ベッドの上の1人以外には誰もいないようだ。
 それ影があの人であればいい。でも、もしも違ったら今度こそ打ちのめされて私は立ち上がれなくなる。
 生唾を飲み込んですり足で寝台に近づく。緊張と期待で脈打つ心臓の音は大きすぎて足音ともに静まり返ったこの部屋に響いてしまいそうだ。
 所詮は寝台一つで埋まる小さな部屋。十歩も歩かないうちに向こう脛が硬い木枠に当たった。その上で体を丸めて入り口の反対側を向いている影が一つ。今まで見た多数と変わらず、生きているのか死んでいるのか定かではない無気力さで横たわっている。枕元にはやはりパイプをはじめとする吸引道具が転がっていた。
 今まで散々上階で震わせた声帯が、今になって化石のように固まっている。この人の正体を確かめるのが怖い。黒くて豊かな長い髪にすらりと伸びた手足、背格好は彼によく似ている。けれど万が一、振り向いた顔が見知らぬ顔だったらどうしよう。
 手を握ったり開いたり、口を開けたり閉めたりして忙しなく惑っていたら、ふいに目の前の背中が身じろぎして、こちらを向いた。覚悟の決まらないままだった私は叫んでしまいそうで咄嗟に口に押しつけた袖を噛んだ。
「う、……ん……。」
 苦しげな吐息を吐き出した顔は探し求めていた面影を宿していた。
「おじさま……っ!」
 今度こそ正しくその人へ向かって呼びかけて、がむしゃらにベッドへ上がり這い寄った。改めて至近距離で見つめた彼は眉根を寄せて浅い呼吸を繰り返している。よくよく観察してみると目の下には濃いクマがあり、血の気をなくした唇は端が切れていた。投げ出された手首には絞め上げられていたような赤い跡。ようやく闇に目が慣れて、明らかになった彼の様子に私は思わず絶句した。羽織っただけのシャツから覗く彼の肌には歯形と痣、そして多くの鬱血痕が残されていた。
「ごめんなさい」
短く謝罪しながらめくった掛け布の下はもっと酷い。暴行者たちは立ち去るその寸前まで醜い欲を満たしたらしい。剥き出しになった彼の下肢とその下のシーツ、両方に悍ましい体液の跡が──。
 薬の匂いに紛れて鼻に届く、栗の花のような青臭さに胃液が迫り上がってくる。唇をギュッと結んでそれを押し留めはしたが、じわりと滲んだ涙までは堪えきれなかった。
「なんてこと……」
 思わず漏れた呟きと共にぽたりと、一滴が仰向けになった彼の頬に落ちた。すると、まつ毛を震わせて少しだけ瞼が開き、ガーネットのような深紅の瞳をのぞかせた。
「あ……」
 彼は真上、つまり私の方向を向いてはいるが、水の中にいるみたいに焦点の合わない様子で呆けている。まさか薬の影響が視力まで犯してしまったんだろうか。心臓に氷の刃を向けられたような心地で慌てて彼の肩を揺さぶる。
「おじさま、起きて。ねえ、私の顔、見えますか?」
 ガクガクと為されるままに揺れながら何度か瞬きして緩慢な動きでやっと私たちの目と目が合った。
「ああ、よかった。待ってくださいね、今から体を清めて怪我の痛みも……。」
 安堵して語りかけた言葉は驚愕によって途中で引っ込んだ。彼が腕を伸ばして捕食者のようにするりと私の首筋に絡ませ、引き寄せたのだ。体制を崩したせいでまるで私が押し倒したような姿勢に顔が熱くなる。
「あ、の、すみま……んぅ!?」
 今度の言葉は私の中ではなく、吸い付く彼の唇の中に溶けた。頭が状況に追いつく前に開いた口に生暖かいなにかがぬるりと侵入してくる。より強くなったあの芳香と苦い味を感じて舌を入れられているのだと気づいた。
 離れようとベッドについた腕に力をこめると、案外呆気なく拘束は解けた。彼はぱたりと所在なく、解いた腕をベッドに落とした。その瞳は枯れ井戸のような暗さをたたえ、先程触れ合った唇だけが唾液に濡れて艶かしい。
 ──自分から離れたのは惜しかったかな。  
 一瞬よぎった邪な思いを振り落とすようにかぶりを振った。どう考えても尋常じゃない様子の人に欲情するなんて。彼を犯した狼藉者と同じじゃないか。
「……は、……か? 」
 後ろめたさで視線を逸らしていたら、ボソリと彼がつぶやいた。
「え? 」
 肝心な部分が聞こえなくって聞き返すと、同じような声量、同じようなトーンで再び問いかけられる。今度は耳を傾けていたからちゃんと届いた。
「新人さん、キスはお嫌いでしたか? 」
 本来の彼なら、酒の好みを聞く時だってもっと相手の心に寄り添う。こんなにも乾いた声で尋ねたりしない。まして、自分を切り渡した時になんて。わたしのことを暴漢達の一員と誤認していることよりも彼がすり減らされたことが悲しかった。
「ねえ、あなた何をして欲しいんです? これ以上は前払いになりますよ」
 肺を満たして脳を侵した毒が、彼の知性を、矜持を、跡形もなく溶かしてしまった。
 もう薬を吸わなければ禁断症状でのたうちまわり、正気を失うところまで来てしまっているんだろう。いや、とうに正気の沙汰ではない。この人が物品と引き換えに春をひさぐなんて。始まりは薬も合意の無い性交も強引に行われたものだったはず。それが芸をして餌を恵まれる獣のように飼い慣らされるまで一体どれだけ自尊心を踏み躙られたのか。誇り高いこの人のことだから拷問のような暴力は生かさず殺さず昼夜を問わず幾度となくその身を苛んだに違いない。
「あなたに望むことはありません。わたし……もう二度とおじさまに酷いことはしないって決めたんです」
 胸を衝く痛ましさのせいで涙腺がいうことをきかない。煩わしげに眉を顰める彼の輪郭がぼやけるほど、止めどなく涙がながれる。私がここで泣いたところで何になる。それでも溢れて落ちた雫は雨のように見下ろした彼の顔に降った。
「泣くなんて。暴虐を看過することは"酷いこと"の限りではないと? 呆れますね」
 嘲りを滲ませて持ち上げられた口の端に力強さはない。微笑は浮んだと思ったら、すぐに消え、彼は何かを堪えるように唇を噛んで短く息を吸った。
「どこか痛いところでも? 」
「"どこか、痛いところでも?"よくもまあ、おめおめと」
 再び伸ばされた両手が捕らえたのは喉笛だ。びくりと体を強張らせた私を見据えて彼が目を細める。
「ええ、痛いですよ。全ての骨が軋んで、四肢がもぎ取られるよう。あなたも体験してみます? 」
 ギリギリと爪を立てられて喉が痛む。このまま親指で気管を潰されれば私は死んでしまうだろう。分かっているのに逃げられないのは傷をつけられたわたしより彼の方がよほど苦しそうな顔をしているからだ。実際この人は苦痛を感じている。彼がこうなってしまった責任の一端はわたしにも有るように思えた。だって、駆けつけるには遅すぎたのだ。私が失踪の一両日中に居所を探り当てられたなら、こんなにも麻薬に浸かりきった状態じゃなかったろう。一ヶ月近くもたもたとしていたのが悔しい。もっと必死になれたんじゃないのか。何を蹴散らしても、私の何を手放してでも、この人の無事以外に重要なものなど無いはずなのに。わたしの落命がその懲罰であるなら、わたしの苦悶であなたが満たされるならそれでもいい気がした。
 しかし、わずかに冷えた頭の隅では理解していた。平時の彼ならそのような無闇矢鱈な自己犠牲にいい顔をしない。全てを投げ打って自分を蔑ろにし、他人に価値を見出すことは翻って無責任な依存となるからだ。それに、自分だけさっさと物言わぬ石になったとして状況の劇的好転は望めない。一刻も早く彼を連れ出す以外の最善手は無い。
「……時間がありません。私への処罰は保留です。とにかくここを出なければ」
 これ以上の悪手を打つわけにはいかない。迷いを振り払って魔法を使って彼の腕からするりと逃れた。
 わたしのさっきの発言を受けて、ここにきて漸く疑念が湧いたようだ。向けられる視線が侮った軽蔑から緊張を伴った警戒に変わった。
「あなたは、誰? 」
「わたしは、あなたの……。」
 そこまで口にしておいて答えに窮した。単純に自分の名前を伝えればよかった。この場で、単純な事実に則した「親戚」や「従業員」では物足りないし、かといって「恋人」や「王子様」なんて大嘘は衰弱した相手に言うような冗談じゃない。
「敵ではありません」
 散々考えあぐねたくせに出した結論は毒にも薬にもならないようなもの。曖昧な答えに彼も訝しんでいるようだ。
「とにかくここを出なくちゃ」
 もごもごと一度言った言葉を繰り返して下手なことを言った恥ずかしさを誤魔化す。取り急ぎ身体とシーツを清潔にしてシャツのボタンをきっちりしめて腰にシーツをしっかり巻いた。本当は帰路は箒で飛ぶのだし、ちゃんと何かしらパンツを着せて上げたいのに、部屋の中には見当たらなかった。
 侍女のように着物を整えている最中、彼はおとなしかった。ちらりと伺った表情に不満は滲んでいたので不快でも払いのけてするほどの元気もないのだろう。
「ちょっと、失礼しますね」
 身支度を終えたタイミングで声をかけて背中と膝裏に手を差し入れる。気の毒なほど痩せた身体は持ち上げるには都合が良かった。身長差がそれなりに有るから不恰好だけれどできるだけ恭しく、悪夢に閉じ込められた姫君にするように丁寧に抱き上げた。
「帰りましょう、おじさま」
「帰る……」
 うわごとのようにおうむ返しにつぶやいた声に頷いた。
「ええ、あなたの家の鍵を持っていないので一先ずは私の部屋にですけれど。それまでどうぞ目を閉じて。次に目を開けた時はきっと夜が明けていますから」
 不安でむずがる子供にしてやるように腕の中に微笑みを向ける。本当のことを言うとわたしは不安でいっぱいだった。人間達の扱うこのような薬が及ぼす影響について詳しくを知らないからだ。せめて安らかにという祈りを込めて眠りに落ちる魔法をかけた。魔法使いにできるのは呪いをかけること、魔法をかけること。王子様や英雄のように解くことは専門外。少なくともきっとわたしの役目じゃない。証明するようにわたしの到着は遅すぎた。
 この出来事は一人の魔法使いの悲哀にピリオドを打って終いだ。何かを生むには始まりから手遅れだった。
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