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ボールが床に落ちてバウンドする音以外に今、この場で聞こえる音はない。黒尾さん達や、私でさえも黙って転がるボールの行方を目で追っていた。ついにはシン…と静まり返るこの場。いたたまれない、いたたまれなさすぎる。だからダメなんだって私はこういう静かな雰囲気……!
余りにも心のなかで荒ぶりすぎた私は、思わず力みすぎてしまい、「ふきゅっ」という訳の分からない声を出してしまった。慌てて口を両手で押さえる。その瞬間、ブフッと誰かが吹き出し、それに吊られていくかのように赤葦くん達が笑いだした。どうやら一番最初に吹き出したのは黒尾さんらしい。よっしゃ、あとで死刑確定や。私は黒尾さんを睨みながら転がっていったボールを取りに行く。


「レシーブすげぇって思った瞬間にソレは反則だろ。んなの、笑うに決まってるじゃねーか」
「黒尾さん後で覚えてろ、です」
「おー、覚えてたらイイネ!」
「こんのやろ……っ!」


恐らく恥ずかしさで赤くなっているであろう自分の頬の熱を感じながら、未だに腹を抱えて笑い転げている木兎さんにボールを投げつけた。(見事にキャッチされてしまった)
笑われすぎてご機嫌斜めになった私はむくれ、黒尾さん達からフンッと顔を背けた。行動が幼稚なのは知っている。だが、今は幼稚でもなんでもいいのさ!反抗できれば!

「納豆?」

赤葦くんがなんの反応も示さなくなった私の名前を疑問そうに呼ぶ。でも私は答えないまま。絶対、なにがあっても反応してやるものか……!


「ほーら、せっかくの可愛い顔が台無しになるよ。だから、もうそんなにむくれないの」
「へっ!?」


思わず照れてしまうような言葉と、両頬に感じた違和感。私の両頬に触れられた赤葦くんの指は……戸惑いもなく、私の頬を摘まんだ。
決して痛みを感じるような強さではなく、あー摘ままれてるなーぐらいの強さだ。そこに、赤葦くんの優しさを感じてしまう。

きっと木兎さんだったら容赦ないんだろうな……。



「あかあしくん、はなしてくだはい」
「これちょっと楽しいから癖になりそう」
「やめへね!?」



気づくと私はもう全然怒っていなくて、あんなに固い決心をしていたはずなのに、それをいとも容易く粉々に打ち砕いてしまった赤葦くんを少し怖く思ってしまった。やっぱりあの癖だらけの木兎さんを支えているだけあるな、心なしか私を見る目が優しい赤葦くんの目をじっと見ながらそんなことを思った。


「にしても、一度ならず二度までも木兎のスパイク(サーブ)拾うなんてよー。正直ビビった」


黒尾さんがボールを手で弄りながら話し出す。中々黒尾さんからは聞けないのではという有り難いお言葉を貰い、さっきとは一転して上機嫌になる私。単純とか言わないでね。
それにしてもこうしてみると自分も自分に驚いている。「落とす気がしない」とは言っても今の相手は全国区のエースだったのだ。木兎さんが今、本調子ではないのも知っている。完全に全力という訳ではないことだって。だけど、単純に──嬉しかったんだ。

私にだって長所はあるんだって、短所だらけな私ではないんだって。
今だったら大声で言えることが、なによりも嬉しかった。



「なんで、そんなに……」

──だから、この時の私には月島くんの異変が分からなかったのだ。





「てかさ、明日だよな?一回合宿が終わるのって」
「そういえばそうでしたね」
「なぁああにぃいいいい!?」
「はぁー……やっと帰れる……」


ところでいきなりだが、実は今日の午後練の時、我らが烏野の変人コンビの日向くんと影山くんにちょっとした方向性の違いがでた。この二人が衝突しあったりするのは今回のことだけでは無いらしいので菅原先輩から「大丈夫だよ」と、言われたのだが……少し心配。マネージャーを始めたばかりの私がこんなことを言うと、調子に乗ってると思われてしまうのだが、日向くんと影山くんの性格上お互いの意見をぶつけるときには体でもぶつかりに行ってしまいそうに思える。この考えがあながち間違いでは無かったことが分かるのは明日のこと──。


「すみません、今日はもう私抜けますね」
「送ろうか?」
「ううん、大丈夫。平気だよ」


赤葦くんの申し出をやんわりと断り、私は黒尾さん達に会釈をしてから体育館を出た。明日帰るということを思い出した私は、荷物をまとめていないことに気付いたのだ。


「日向くんと影山くん、かぁー。難しい問題だよこれは……」


二人のことを考えながら廊下の曲り角を曲がった瞬間、体全体にバンッと衝撃が走った。
前を向くと、音駒のセッター孤爪研磨くんが顔をしかめて立っていた。恐らく、孤爪くんとぶつかってしまったのだろう。かなり渋い顔をしているので機嫌を損ねてしまったのだろうか。だとしたら申し訳ない。


「すみません!私の不注意で……。怪我はありませんか!?」
「……あ、例の人・・・。ねぇちょっと、……来て」


私は孤爪くんに手を引かれていた。
意味が分からないよ、なんて、某魔法少女アニメの白い生物風に言ってみちゃったり?




「あの、孤爪くん?」
「研磨でいい……。なに…?」
「じゃあ研磨くん。なんで私は『音駒の人達の部屋』に居るのかな」


そう。研磨くんに手を引かれ、着いた先は音駒の人達が合宿中寝泊まりする部屋。今ここには 私、研磨くん、夜久さん、海さん、リエーフくん、犬岡くん、芝山くん、そして──日向くんがいる。


「朝霧先輩もいる!よっしゃっ、影山に勝ったぞ!!」
「あはは……、一体どこを基準にして勝ったことになってるんだろう……」
「朝霧さん、合宿中音駒の担当してくれてありがとう。大変だったよね」
「わわっ、海さん……!いえっ、私なんぞが担当してしまい逆にすみませんでした!」
「んなことねーよ。俺は納豆にバレー教えられて楽しかったけど?」
「や、夜久さんまで……!」
「なんか、先輩たちいい雰囲気だな!な、日向!」
「ぐぬぬ……先輩は烏野のマネージャーだかんな!」
「あの先輩凄く可愛いよな、翔陽!」
「ぼ、僕もそう思うなぁ」


一人、会話に加わらずゲームをしていた研磨くんは後に仲間にこの時のことをこう語った。「ほのぼのした」と……。


「あ、そうだ研磨くん」
「なに」
「影山くんが研磨くんと話したがっ」
「ムリ」
「返事速くな」
「ムリ」
「……」「……」


研磨くん曰く、影山くんは雰囲気というか圧力が強いらしく苦手なようだ。話せば結構可愛いげのある子なんだけどな。
私がそう言うと、研磨くんは「……親バカ?」と、言ってきたので無言の圧力をかけておいた。
なんだかんだ楽しい合宿だった気がする。私にできることも、なんとなく答えは見つかった、はず……。
と、ここで一つ忘れていたことがある。夏休み中に行われるもう一回の合宿に、残念ながら私は──いけないのだ。





「えぇーなんでですか朝霧先輩!」
「ごめんね日向くん。知り合いのお手伝いに行くことになってるの。本当にごめんね」
「朝霧先輩と……合宿行きたかったなぁ……」


そうなのです。私には高校の部活のコーチをしている知り合いがおり、先日その人から夏休みのとある期間中に「手伝ってくれないか」と言われたのだ。それが見事に二回目の合宿と被ったという訳である。合宿と期間が被るとわかっていたら引き受けてなんていなかった。とにかく今は何事もなく終わることを祈ろう。








「「ありがとうございましたァ!」」


無事に合宿は終了。私達烏野は他の高校の人達に見送られながら出発した。
私は今日の朝の内に強制的に交換された研磨くんと赤葦くんとのトーク部屋(ライン)を見ながらため息をついた。これからしばらくの間二人に会えなくなるのが寂しく感じてしまう。あ、恋愛てきな意味ではなく、なんだかんだ話の合った友達と会えなくなるのはストレスが溜まるのだ。……宮城に着いたらメッセージ送ろうかな。
徐々に迫り来る睡魔に打ち勝つことができぬまま、私の意識は深い沼へと沈んでいった。



ピコンッ


赤葦[またね、納豆]
研磨[今度電話するから]

同時に二人から届いたメッセージに気づくのは家に帰った後──。





「それでは皆さん明日はゆっくり体を休めてくださいね」
「はい!ありがとうございました!」
「「ありがとうございました!」」


挨拶をして解散した後は「疲れたー」「早く帰ろーぜ」「腹減った」等の言葉が飛び交いそれぞれ帰路へとついていく。そんな中、私は仁花ちゃんに「一緒に帰ろっか」と、声をかけた。潔子先輩にも声をかけたのだが、親が迎えに来ているらしい。実に残念。


「納豆先輩!ぜ、ぜひお願いシャス!」
「いえいえ、こちらこそ。それじゃあ──」


「行こっか」と、言おうとした私の言葉はとある人の大きな声で掻き消されてしまった。


「朝霧先輩!谷地さん!」
「日向くん?」
「日向?」
「あの、これから少しで良いのでボール出してくれませんか!?少しで良いんです!」
「……分かった。いいよ。でも仁花ちゃんはもう夜遅いから返してあげて?」


私がそう言うと、隣にいた仁花ちゃんはギョッとしたように目を見開き何か言いたげに口をパクパクとさせている。多分、「私も一緒に付き合います」とかそこらへんのことを言おうとしているのだろう。だがそれを仁花ちゃんが言ってきても私はyesとは言わない。ただでさえこんな時間なのにもっと遅くに返すなんてことはしてはいけないだろう。嫁入り前の娘を夜遊び紛いにに付き合わせるのはちょっと……。なんて、オバサン臭いことを言ってみたり。


「あの、納豆せんぱ」
「仁花ちゃんはもう夜遅いから帰りなさい」
「でも…」
「近くまでは送ってくから」


日向くんに断りを入れて、先に仁花ちゃんを近くまで送ることにした。有無を言わせぬように圧力もかけ、無事仁花ちゃんを送り届けた。